春編 シーン1
――4月10日――
すっかり暖かくなった春の校舎、その廊下をわたしは歩いている。 お昼休みももうすぐ終わる時間になってきたから急いでという程でもないけど、わたしと同じように自分の教室に戻ろうとしている人達が多いかな。
わたしは青空 春香、この柊東学園の中等部の三年生です。 いつもはお弁当を教室で食べ終わったらそのまま”隣の席の人”とお喋りしている事が多いんだけど、今日は後輩の子に少し話があって出かけた。
「……あれ?」
私の教室の前に同じクラスの男子が立っている、体格は小柄でもなければ特に大きいというわけでもない、いかにも普通いう雰囲気をした男の子だ。
その彼と話している女子は別のクラスの、わたしの知らない女の子だった。
「……すいません、せっかく誘ってくれたのに……」
「まあ、無理強いは出来ないしな、気にしないでくれ……」
そんなやり取りの後、その女子が立ち去ってから「……晴夜君」と声を掛けた。
天野 晴夜、この人がわたしの”隣の席の人”なんだけど、実は隣なのは席だけじゃなくて家も隣同士の、いわゆる幼なじみ。
「……ああ、春香か……」
「何やってたの? もしかしてナンパ?」
絶対に違うと分かりつつ聞いたのは揶揄ったからで、予想通りに「んなわけあるか!」と少しムキになって否定してきたので、わたしは心の中でクスッと笑う。
「……例の件だよ。 さっきの女子、椎名さんっていうんだが、ちょっと顔見知りで部活にも入ってなかったんでな?」
「へ~? で、返事は……って、さっきの様子だと聞くまでもないかな?」
「ああ、そういう事には興味はないみたいだな」
少し雑に整えた黒髪を掻きながら言う晴夜君の顔を見ると、おそらく予想はしてたんだろうなと分かる。
「……で? そっちは?」
「……はい?」
「春香がわざわざ昼休みに出て行ったって事はだ、目的は俺と同じじゃないのか?」
こういう察しの良さはやっぱり付き合いの長さだねと考えると少し嬉しい。 わたしは頷てから、やはり晴夜君と同じような答えだったと伝える。
「……まあ、デジタルなコンピュータ・ゲーム全盛のこの時代に、アナログなボードゲームなんてやりたがる奴もそういないよなぁ……」
そう、わたし達はこの学園にボードゲーム部を立ち上げるために部員の勧誘をしているんです……と言っても、発起人はわたしでも晴夜君でもなくて……。
「せーや~春香~~! もうチャイム鳴るよ~~!」
教室の中から声をかけてきたのは雨空 立夏ちゃんといってわたしのもう一人の幼なじみにしてお隣さん……になるのかな? 緑色の髪をツイン・テールにしているこの子は訳があって晴夜君の家にお世話になっているの。
そして、この立夏ちゃんがボードゲーム部を立ち上げようとしている張本人……の一人になるのかな?……で、これだけ聞くとその立夏ちゃんは何もしてないの?って思うかもだけど、まだ転校してきたばかりで知り合いもほとんどいないから仕方がない。
「まったく……あいつもあいつだが、姉さんも無茶を言うよ……」
愚痴りながら歩き出した晴夜君に続くと同時に、お昼休みの終了を告げるチャイムが響いた。
晴夜君の言う”姉さん”とは初雪 冬子さんっていう十歳は年上の幼なじみのお姉さん。 でも、それだけじゃなくて……。
「ほら、みんな席に就け! 授業を始めるぞ?」
教室に入って来たのは黒い髪を肩くらいまででそろえて、眼鏡も駆けた知的そうな先生が冬子さん……つまり、わたし達の担任の冬子先生でもあるんだ。
つまり、わたしは幼なじみの晴夜君と同じクラスで席は隣同士、その晴夜君の更に隣の席は立夏ちゃん。 そして担任の先生が冬子さんっていう普通に考えたらありえない状況よねぇ……。
「……二人共ごめんねぇ……ボクのために……」
席につくと立夏ちゃんが謝ってくる。
「気にしないでいいよ? 立夏ちゃんの頼みだしね?」
わたしが言うと、「……だな」と晴夜君も面倒そうな顔をしながらもわたしに同意してくれた。 そこでふと気が付いて教壇の方を見たら冬子先生はこっちを一瞥したら何もなかったように話を再開した……気を遣ってくれるのはありがたいんだけど、いいのかな?
こういうのって公私混同になるんじゃないかって心配になるけど、それも今更かと思えてしまうのも冬子さんなんだよねぇ……。
わたし達の事情を簡単に説明すると、小学校三年生の時に転校した立夏ちゃんが再びこの春華市に帰ってきたらボードゲームという趣味を持っていた。
でもこの学園にはボードゲーム部とかないのを残念がったら、冬子さんが「なら、作ったらどうだ?」と言い出したので新学期早々わたし達はボードゲーム部の立ち上げを目指して活動する事になっちゃった。
学校の規則では顧問の先生に部長と、後は四人以上の部員が集まれば許可が申請出来るって事で、わたしや晴夜君が残り二名の部員を勧誘中ってわけ。
「……ふむ? そうそう簡単にも行かんか?」
放課後に職員室に呼ばれて三人揃って行くと、予想通りはその話でした。
「……とはいえ、いくら何でも規則を変えられんからな? どうにか後二人を探してくれ」
ちなみに顧問の先生は探すまでもなく冬子先生です。
「でも……流石にそろそろ二人に悪いよ……」
確かに始めて一週間近くにもなるし、勧誘できるような知り合いも残っていない。
「千秋が学園の生徒なら手っ取り早かったんだがな……」
「千秋はまだ小学生だしな、しゃーないよ冬子先生……てか、それでも一人足りないでしょう?」
無念そうな冬子さんに晴夜君が肩を竦めた。 芙容 千秋ちゃんは晴夜君の従妹で彼女もわたし達とは幼なじみなの。 頼めば協力してはくれるとは思うんだけど、晴夜君が言ったようにまだ小学校で学園の生徒じゃないのでどうしようもない。
「……ん? そこは私が顧問兼部員と出来るように頼んで……」
「いや……無理でしょ?」
立夏ちゃんがツッコミを入れると、「……む? やはりか?」と冬子さんは肩を竦めてみせた。
「……とにかくだ、千秋が部員として数えられない以上は後の二人を何とかしなければいかんのだ、私の方でも当たってみるから晴夜と春香ももう少し頼む」
わたしも晴夜君もボードゲームをそこまでやりたいわけでもないし、正直に言っちゃえばこんな事は面倒っていうのも本音なんだけど……それでも他ならない立夏ちゃんのためだし、冬子さんにも頼まれたらそうも言っていられない。
「分かった……じゃなくて分かりました冬子先生、やれるだけやってみます」
晴夜君も間違いなくわたしと同じ気持ちだって分かるから、わたしも「はい」と頷いた。