シーン11
――4月5日――
ドアをノックする音がしたかと思うと、「お風呂あがったよ~せーや~」という声と共に開かれて立夏が入って来る。 水色のパジャマ姿にツイン・テールを解いた緑の髪の毛に僅かに水滴がついている姿には、幼なじみとはいえ少し色気を感じてしまう。
「ああ、分かった……これが終わったら行くよ」
返事をしてテレビのモニターへと視線を戻したが、立夏が部屋を出て行く気配がないのに「……ん? どうしたんだ?」と尋ねてみる。
「いや~~春休みももう終わりだねぇ~ってね?」
幼なじみみんなで行った花見以外は特に何もなかったいつも通りの春休みだったが、それなりに楽しく充実していたとは思う。 それはきっと春香達と、この帰って来た幼なじみの少女のおかげだと思える。
「ああ、明日から学校……しかも三年生になるんだからな、気を引き締めていかないとな?」
……とは言ってみせたものの、実のところその実感はなかったりする。 何しろ教室が変わる以外は何の変化もないのだから。
「だね~~? まあ、また晴夜と一緒に学校へ行けるのって楽しみ~」
そう言って立夏は部屋を出て行った。
「……また立夏と一緒に……か」
それまで当たり前であった事が当たり前でなくなった変化……そして、それが再び当たり前になろうとしているのは果たして”変化”なのだろうか? しかし、元に戻ったという表現も違う気がする、だって間違いなくなく時間は前に進んでいて俺も立夏もあの時の俺と立夏ではないのだから……。
月明かりの下、ピンクより緑が多くなった庭の木を見上げながら、「……時が来たのかも知れないね?」と発した声は、老婆のものとはとても思えない若々しい少女のそれだった。
「……時ですか?」
『時って……?』
間違いなく別人であると分かる女性と少女の声は、老婆――永遠の足元の黒猫から発せられたいるのもまた間違いなかった。
「常に前に向かって流れる時間の中でもね、変化というものはゆっくりと緩やかだよ……でもね、それもほんのちょっとした変化をきっかけに一気に変化していく事もあるんだ」
「それが今だと?」
女性の――永遠には聞きなれたアインの声に頷く。
それは理屈や理論ではないし、予知めいた魔法の力でもなく単なる直感でしかないのだが、永遠は大人となった今でもその直感を大事にして、そして素直に従っていた。
『僕の望みが叶うって事ですか、それって……?』
「今すぐじゃないと思うけどね、晴夜達の元へ立夏が帰って来た……それは間違いなく大きな変化のきっかけだよ? 四季……」
『……はぁ……?』
少女の声――四季はまったく分からないが、アインには彼女の言葉の意味が良く分かった。
かつてこの魔女が子供だった頃に起こった老婆との”出会い”は些細な変化だった、そこには特別な意味などなく互いに新しい話し相手、あるいは友達が出来た程度のものだったはずだ。
しかし、それは大きな変化もなくゆっくりと続く時間の中にいた彼女に、その後の人生をも決める程に大きな変化のきっかけとなった”再会”でもあった。
『それにしても……今更ですけど、永遠さんもアインさんもどうして僕に力を貸してくれるんですか?』
損得を言えば損しかないと思う、少なくとも彼女達は自分という存在のために数年という時間を消費しているのだ。 そしてその対価として得られるものなど何もないはずである。
あるいは、これが世界の運命に関わるほどの大事ななら損得は関係ないかも知れないのだが、自分の望みはそれに比べればちっぽけなものだと思う。 確かに自分や晴夜にはとても大事な問題だが、この人のような大人にしてみたらきっとありふれた小さな不幸に違いないとも考えられる。
「う~~ん? そうだねぇ……あえて言うなら気まぐれかな?」
悪戯をとがめられた子供のような照れ笑いで言われるのに、『……はい?』と素っ頓狂な声を返してしまう。 数年という時間を一緒に過ごしてきたが、この人は本当に分からないのである。
しかし、「まったく、あなたらしい答えですね」と笑うアインには、どうやら理解出来ているようだった。 それは、やはり永遠も大人ならアインも大人なのだからなのだろうかと考えた。
「でもね、四季。 あなた達の未来を決めるのはあなた達だからね?」
『……?』
「春香に立夏、千秋や冬子、それに晴夜……もちろん四季、あなたものだよ?」
自分はただ少し手伝うに過ぎないと永遠は言う、しかし……。
『……僕には未来なんか……』
小さく暗い声だ、永遠には四季の姿までは見えないが、それでも彼女には沈んだ顔で俯く四季の姿が”視えて”いた。
「四季、あなたは確かに生者はないけど今という時間の中で確かに存在しているわ。 だからね、例えどれだけ短い時間だとしても未来は未来なのよ」
生物学的な考え方などどうでもいい、永遠にとっては自分の意志と心を持った存在はすべて”ニンゲン”なのだ。 しかし、それを理解するのに四季はまだ子供過ぎた。
『……分からない……分からないよ……』
「四季……」
なおも続けようとする永遠にアインは「ご主人様……」と呼び、そして首を横に振った。
「……とにかくね、あたしもアインもあなたの望みを叶える事に最後まで協力する……これだけは約束するよ」
『はい……ありがとう……』
そう、確かに自分には未来はもうない。 だが、だからといって晴夜の、大好きな男の子の未来を見捨てるわけにはいかない。 例え彼の未来で、その隣に立つ女の子が自分ではなくてもだ。