落ちてきた、雨粒と黒
普通思わないだろ、雨以外が降るなんてさ?
何で 人生は こうも退屈なんだろ?
僕は何時ものように、終鈴が鳴り響く教室を一番最後に出た。
日直がやり残ししてないか、
チェックするのが日課になってるから仕方ないよなあ。
僕は花山奏。
先月高校に上がったばかりの、一応女子だ。
自分を【僕】なんて呼ぶのは……
うん、理由はあるんだけどまた今度話す。
中学までは黒板にチョークでカツカツ書いてたもんけど、高校に来て驚いた。
ホワイトボードにマーカーなんだな。
校舎建て直しほやほやだからか、この天宮高校には黒板は無かった。
黒板の溝に溜まったチョークの粉掛けて虐められた事あるから、見ると胸がじくじく痛む。
だから、見なくて済むのは有り難い限りだ。
ま、今の僕に手を出そうなんて馬鹿は居ないだろな。
将来は警察官!だからかなり鍛えてるし。
僕を馬鹿にしようものなら、あの人が黙ってない。
や、寧ろほっといてくれた方が楽なんだけど……
止めよう、あの人の過保護は病気レベルなんだし。
ふと見上げた空は厚い雲に覆われていた。
「雨か……」
雨は好きだ。
音が好きだし、雨粒が地面を叩く度に漂う土の匂いにほっとする。
置き傘してるから雨に濡れる事もないし。
廊下を行けば、雨に気付いてバタバタしてる連中に出くわした。
そんな中、見知った顔を見付けた。
「なんだ、委員長か」
面倒見のいい彼には結構お世話になってる。
確か……清水君だったかな。
だけど委員長の方が呼び易いな。
僕の声にふわりと笑った。
「花山、今日もお疲れ」
この人、僕がチェックしてから帰るの気付いてて。何故か労ってくれる。
「疲れないさ。委員長のが疲れるだろ?」
ハイと折り畳み傘を差し出した。
「え?」
困惑したみたいに折り畳み傘を見た。
今朝の天気予報は曇りだった筈。
傘持ってる奴の方が珍しいんだよ、うん。
「貸すよ。僕は置き傘あるからそっち使う」
僕は先生方を丸め込んで職員玄関に大きな和傘を5本置いている。
かなりいい誂えの傘で先生も使える事にしてあるからクレームは無かった。
「ありがとう。借りるよ」
「うん。濡れないよう気をつけて」
あれ、委員長顔赤くないか?
何故か慌てて玄関を出た彼を、首を傾げながら見送ったのだった。
雨は勢いを増していく。
学校から徒歩5分圏内のやたら高級なマンション。
そこの最上階が僕の、そして僕の保護者になってる人の住まいだ。
朱堂大五郎……それが彼の名前。
兄さんの親友だった人で、今の僕の一番の理解者。僕はダイさんって呼んでる。
玄関に入れば、ダイさんの使ってる香水の匂いがする。
あれ、匂いが濃いな?
不思議に思ってたら、電気がパッと灯って。
「お帰り、奏」
ぎゅむっと抱き締められた。
どっから湧いて出たんだ?この人……
「おいおい、仕事終わらせてきたお兄ちゃんに湧いて出たは無いだろ?」
「口に出てたか。ごめんなさい、ダイさん」
「お兄ちゃん!」
「……はぁ、オニイチャン……」
片言かよ!とツッコミ入れながらバシバシ背中を叩き、そのままキッチンへ連れてってくれる。
だって、烏滸がましいじゃないか。
お世話になってる身でさぁ……馴れ馴れしいとか図々しいとか思わない?
そんな心中も見抜かれてて、馬鹿だなって言いながらまた抱き締められた。
僕とダイさんとは5歳離れてる。
ちっちゃい頃から兄さんの後を付いて回ってた顔馴染みの僕は、ダイさんにとっても妹なんだって。
弟しか居ないから、妹が欲しかったって言っては会うたんびにハグされるんだよ。
や、兄さんもイケメンだったし免疫はあるとは思う。
思うけど、慣れない。
心臓に悪過ぎだよ、ホント。
そう悪態つきながら、勧められた椅子に座った。
美味しそうなパスタが大皿に山盛りに盛り付けられてた。
ニンニクたっぷりのペペロンチーノ
生クリームたっぷりのカルボナーラ
ピリッと辛いアラビアータ。
どれも僕の大好物。
たっぷりとしたサラダもあって、思わず唾を飲み込んだ。
「俺、これぐらいしか作れないからな~?」
いや、十分でしょ!そう内心ツッコんだ。
「何時も食事作ってくれてありがとうな。さ、食べようぜ!」
ダイさんは財閥の三男坊で、会社を任されている辣腕なんだ。
すっごい人なのに、ここまで時間を割いてくれるなんて……
つい考え込んでしまった僕は、またまたダイさんの腕の中に閉じ込められる。
「奏可愛い♪」
ダイさんは優しいから、僕が考え込まないようにしてくれてるんだよな。
じわっと熱くなる目頭をそっと押さえた。
急に窓の向こうが真っ暗になって。
ガラガラッ、ピッシャーン!
こんな音が耳に届いた。
強い光が真っ直ぐベランダに走って、次の瞬間横に部屋全体が揺らいだんだ。
「「……落ちたな(ね)」」
あ、ハモった!
顔を見合わせ、改めてベランダを見た。
「なんか焦げ臭いな」
「行こう、ダイさん」
あちこちに備えられてる消火器を肩に担いで、ベランダに向かって駆け出した。
「奏、危ないから俺が行くよ」
「火事にでもなったら洒落にならないよ!」
しかも消火器持ってんのは僕だ。
初期消火は早くしなくちゃね!
ベランダに飛び込んだ僕は、固まっていた。
続いてやってきたダイさんは、不思議そうに覗き込んでくる。
ベランダの一部からモクモクと煙が立ち込めているんだけど、
抉れてる筈の場所に黒い固まりがあったんだ。
なんか、やたらデカいんだけど……
「人……だよね?」
「だよな?」
2人して疑問形なのは見逃して欲しい。
言いたくもなるだろ!なんで雷が落ちたとこに人が居るのさ?
以前、雨は激しく降り続いている。
僕達はその人に見えるそいつを室内に運び込んだ。
案の定ずぶ濡れで、僕は眉根を寄せた。
「奏、こいつ着替えさせるからゲストルーム整えてくれ」
僕達が住む最上階はこの一戸だけ。
部屋はかなりの数があって、今でも兄さんの友達が泊りがけで訪ねて来る。
僕がその時の部屋を整えるのをよく請け負ってるからお手の物。
直ぐに一番近くのゲストルームに走った。
10分後、ダイさんが黒い着流しに着替えさせたそいつを担ぎ込んで来た。
気を失った人を着替えさせるって大変だろうに、流石だよ!
目をキラキラさせて見ていたら、苦笑された。
「ま、そんな奏も可愛いけど。こいつ休ませてやろう?」
迂闊な自分にハッとする。
直ぐに体を拭くタオル類と、体温計やスポーツドリンクを準備した。
とても穏やかに寝息を立てている人物の顔や腕や足をダイさんと分担して拭いていく。
「へぇ……」
「時代劇の俳優みたいだね、この人」
着流し姿が違和感ない、純和風の毅然とした空気を纏うイケメン。これがそいつだった。
通った鼻梁といい、薄いのにどこか色っぽい唇といい、この容貌……なかなかお目にかかれない位整ってないか?
思わず見惚れてしまって手を止めてしまう。
「俺がついてるからお粥作ってやって?」
体温計を手にしたダイさんに頷いた。
冷えピタを箱ごと差し出してから、極力音を殺して部屋を後にした。
卵粥を手に戻った僕の目に飛び込んで来たのは、掴み合うダイさんとあのイケメン。
僕の目が一気に細まり、盆を素早くサイドテーブルに置いた。
「あんた、恩を仇で返す気か!」
そう叫べば此奴、ピタッと止まるから驚いた。
「恩だと?」
低くてどっか柔らかい低音。
声までイケメンなのか……こっそり感心してしまう。
「雨でずぶ濡れのあんたを着替えさせた上、此処まで運んでくれたんだぞ!恩人じゃないのか?」
緊張した面持ちのまま、そいつはダイさんから手を離した。
「それが本当ならそうなるな」
声から伝わる不信感にイラつきは強くなる。
「ならこの部屋に、着衣に見覚えはあるか?出来る範囲で確認するといい」
吐き捨てた僕を一度睨んで……驚いたように呟いた。
「異人の子がこんな所に居るとは……」
異人とは言ってくれる。
頭に血が上り過ぎて、却って僕は冷静になれた。
小さい頃から生まれつき明るめな髪の色なんだけど、髪を染めてるんだとよく誤解されたもんだ。
それで虐められたっけな。
……余計な事思い出させてくれやがって!
「異人ねえ?この令和の世でそんな時代遅れな言葉聞かされるなんて思わなかったよ」
皮肉って叩き付けた言葉に、そいつが血相を変えた。
「何を言う!そんな年号聞いた事が無いぞっ」
そのまま一気に僕に駆け寄って来て、首元に冷たいものをあてがってきた。
「甘い!」
そいつの腕に一撃して技をかける。
「ぐうっ!」
苦しそうな声が聞こえたが、構わず体重をかけて全身で絞め技にかかった。
「ダイさん、刃物仕舞っちゃって。んで、警察に連絡しよ!此奴間違いなく危険だよ」
……ん?
抵抗が全くないから怪訝に思って男を威嚇しながら振り返れば、なんで?
此奴の顔、燃えちゃいそうに赤いんだけど!
「おい、何赤くなってんだ!」
「……か……?」
何だってんだ、急にもじもじしやがって!
さっきと随分態度が違わないか?
「聞こえない、もっと大きく」
「だ、から!お前……おなごか?」
ああ、確かにこんな体勢だし密着してるんだ分かるわな。
「だから何だ。いきなり刃物突きつけるような奴は、容赦しない!」
いきり立つ僕に、眉根を下げて懇願してきたんだ。
「頼むから離れてくれ……力が入らん」
何なんだ此奴は、ワケわかんない。
見るからに怪しい奴なんだし、今だって刃物使われたからな!油断出来ない!
依然、乗っかったまま口元をひん曲げた。
「力が入らないなら好都合だな。女には不自由しない方に見えるが、なんでテンパってんだ」
「テンパるとは何だ?お前の国の言葉か」
「あんた、テンパるって耳にした事も無いのかよ?」
「ない!意味を言え」
「今のあんただね」
「今の……俺?」
「いっぱいいっぱいになってて、焦ってしまう様子を言うんだ」
言われて、ああと合点したらしく大きく頷いた。
「生憎聞いた事が無い。……俺もまだまだだな。壬生狼とまで呼ばれた身で、女に絡め取られるとは思わなかった」
「壬生……え?なんで幕末の話なんかするのさ」
「幕末?」
「江戸幕府の治世の末期だから、幕末って呼ばれてる。新選組の別名だろ?壬生狼は」
「別名?蔑んでそう呼ばれたんだ。京の民は余所者を嫌う。荒くれ者ばかりの集団は目障りだったんだろうな」
落ち着いた語り口に聞き入っていると、視界の隅にダイさんの姿を認めた。
改めて、そいつに向き直る。
「僕、花山奏ってんだ。あんた、強いのに力押ししないのな?さっき僕に刃物向けたくせに、変なの」
目の前の底知れぬ深い蒼の瞳を覗き込んだ。
「なあ、冷静に話しないか?」
逆ギレされて殴られるのを覚悟で提案すると、なんと微笑まれた。
「俺は斎藤一という。新選組三番組組長の任を拝命している。
花山、お前や兄君にも乱暴はしないと約束する。話をする為にその……降りてくれ」
聞かされた内容に固まってしまう。
「斎藤……一?あんたが?」
「ああ。その……どうか降りてくれ」
再度言われて慌てて身を退かせる。
「花山は凄いな。こんな風におなごに全身で押さえつけられたのは、初めてだ」
「そ、そうなんだ」
冷静さを取り繕うものの、頭はパニック状態だ。
今の話の端々からするに、
このイケメンは幕末からタイムスリップなりして 此処に来たようで。
思わず遠い目になった僕の手に、ダイさんの手が重ねられた。
「仲間外れは止めてくれよ?」
話し合いは深夜にまで及んだ。
話が尽きようとしないんだから仕方無いかな。
有り難い事に明日は土曜日で授業はない。
寝坊してしまおう。
ダイさんはどうだろう……またお仕事かな?
何時も通りに起こしてみようか。
「花山」
「奏でいいよ、斎藤さん」
あのイケメン、斎藤一とは取りあえず話し合いが出来た。
「いや、まだ自身の失態を償ってないからな。俺の事は一と呼んでくれ」
……カタいな、此奴
心で溜息ついた。
「……なら一さんで」
外見や声は文句なしの極上なこの人、あまり融通は利かないらしい。
非日常は、意外に身近なんだな。
しみじみそんな事を考えていると、嗅いだ事の無い匂いが鼻を掠めた。
「何?」
ゲストルームにあるクイーンサイズのベッドの上で雑魚寝中の僕ら。
「うわっ」
ぐいと抱き込まれた。
「済まない……不埒な真似はしないから、どうかこのままで」
真面目な顔で頼まれた。
……僕みたいなナインペタに盛る程一さんが飢えてるとは考え難いか。
「あったかいだろ?抱き枕役、きっちり勤めるから安心して」
ニッと笑うと、優しく頭を撫でられた。
「花山は強いのに優しいのだな。忝い(かたじけな)」
「んーん。明日は散歩行こう?
まだ桜が咲いてるとこがあるんだ」
序でに未来を垣間見するのもいいんじゃないかな。
色々考えてるうちに、僕の意識は遠のいて行った。
斎藤side
俺は有り得ない事象に出くわしてしまったようだ。
腕の中、無防備に眠る花山に目を向けた。
何故すぐに気付かなかったのだろう?
花山がおなごだと。
彼女は見るからに細いし、可愛らしい顔立ちをしている。
明るめの髪色は白い肌を際立たせているし、先程まで見ていた大きな目はまるで闇のように深く美しい。
そんな外見に見合わず度胸があり、強いのが驚きだった。
何より、俺相手に一気に組み伏せ全身を上手く使って締め技とやらをかけて身動き出来ないようにしてしまうとは。
まるで男のような口振りだが、凛とした気品と気高さを感じさせる花山。
俺はすっかり気に入ってしまった。
だから、話し合いを申し出られてすぐに受けた。
簡単にだが状況も教えられ驚いた。
此処が何百年も先の未来の日本だなどと。
信じられない、とは思わなくもなかった。
だが花山から聞かされた新選組の情報に目を剥いた。
俺が敬愛する副長、土方歳三は密かに俳句を趣味にしている。それを言い当てたのだ。
他にも幾つか挙げられた内容に、ただただ唸った。
此処まで言い当てられては、信じるしかないではないか。
まだ完全に信じきれてはいないが、取りあえず花山を信じてみる事にした。
花山の方とて同じなんだろう。
だが、寛いだ花山は信じられないくらい可愛らしくて。……愛でたくなっていた。
昔から小動物が密かに好きだったのだが、それと同じ感覚だろう。
……そう思っていた。
それが俺の認識違いだったと気付くのは意外にも直ぐだったのだが。
「あまり見ていると気付いて起きてしまうかもしれないな」
そっと目を閉じた。
「お前、奏に興味があるのか?」
伸ばされた手を跳ね除けながら、相手を見上げた。
「朱堂、何故他人の妹御を預かっているのだ?」
花山の兄の友人だという男だ。花山を離そうとしない俺を睨み据えている。
「質問に質問で返すな。奏の兄貴は俺の親友で、諍いに巻き込まれて死んだんだよ……」
その時誓ったのだと言う。花山を守ると。
「未婚の男女が家を同じくするというのは望ましくあるまい。花山の家族はどうした?」
「家族はこの子を傷付ける。彼奴はそれを気に病んでずっと引き取ろうとしてたんだ……」
そんな中、死んだと言う事か。
俺は目を眇めて起き上がった。勿論、花山から身を離して。
「花山は存在が潔い。好ましいし愛でたいが……これは興味が云々と言えるのか」
「しっかり興味があるんじゃないか!泣かせてみろ、ただじゃおかねぇ!」
「世迷言を。濫りに触れたりなどしないし、花山なら守ろう」
暫く睨み合っていると、くいと何かに引き寄せられた。
「は……なやま?」
「うん……」
目を閉じたまま、緩く頭を振り花山が俺の着物を掴んだ。
「寒い……」
ぽつりと言うとそのまま頬を寄せ、嬉しそうにふにゃりと顔を緩めた。
「ん、あったかい……」
無防備な様子に一気に毒気が抜けた。
「って!何触ってんだよ!」
「ああ、可愛いからつい」
甘えてくる花山が可愛いものだから、つい甘やかしてやりたくて。
自然と受け入れ頭を撫でていた。
「朱堂、俺は花山を傷付ける事は無い。兎に角落ち着け」
暫く俺の様子を見守っていたその男は長い溜息をついて身を寄せた。
「そう言う事にしてやるよ。ま、俺も監視はするからな」
「上等だ」
一度笑い合ってから、共に目を閉じた。
明日は、街に出ると言う。楽しみだ。
早く休むとしようか……