クローリスへの帰り道
長くなったネーレウス王国の滞在を終え、アリアンヌ達は帰路についた。帰りはリヒャルトとマリユスも共に、マリユスが乗ってきた馬車である。馬車は行きにアリアンヌが使った辻馬車とは違い、四人が乗っても充分な広さの箱馬車だ。揺れも少なく、快適な旅路である。貴族の旅らしく護衛も連れているので、行きのような危険もない。ティモテとウーヴェは護衛に混ざり、騎馬で付いてきている。
「アリアンヌは、よくこの道を一人で旅しようと思ったな」
マリユスがアリアンヌの行動を窘めるように言い苦笑する。アリアンヌは少し目線を落とした。
「今となっては、私もそう思いますわ。次はもう少し考えます」
「──次は事前に相談するから、もうこんなことはしないでくれ。心臓がいくつあっても足りない」
リヒャルトの言葉にアリアンヌはぱっと表情を輝かせた。
「よろしいのですね?ありがとうございます、私も安心ですわ」
「いや、お前は少し反省しような?父上も兄上も呆れてるぞ」
「それは……やっぱり怒られますかしら?」
「当然だろ、父上だぞ?」
マリユスの言葉にアリアンヌは嘆息し、窓の外に目を向けた。アリアンヌの父であるレイモンは、以前はアリアンヌを冷たくあしらっているのだと思っていたが、今年の社交シーズンで、アリアンヌにどう接して良いか分からないでいただけで、本当は愛されていたのだと分かっている。図らずも今回の騒ぎで、シャリエ伯爵家の家族の絆は強くなったようだ。
クローリス王国の王都ナパイアとは異なる、色とりどりの色の屋根が並ぶ。王城を出て数日、ネーレウス王国最北端のキルケで、アリアンヌ達は休憩を挟んだ。ネーレウス王城へ向かう時には後ろ髪を引かれつつも先を急いだ商人の町だ。動きやすいよう町歩き用の簡素なドレスで、アリアンヌはリヒャルトとマリユスと共に様々な異国の品物が並ぶ露店を見て回った。
「お兄様は、ネーレウス王国に来たことはありましたの?」
複雑な文様が刺繍されているハンカチーフを手に取って見ながら、アリアンヌは聞いた。マリユスは頷いて、アリアンヌの見ている物の色違いを見ながら答える。
「ああ、パブリックスクールの頃に何度か来てるんだ。流石に今回みたいなのは初めてだけどな」
マリユスは少し離れたところにいるリヒャルトを盗み見た。リヒャルトは、マリユスと話しながら楽しそうに土産物を選んでいるアリアンヌを、周囲に警戒しながらも微笑ましく見守っている。アリアンヌはそれに気付かず、家族に向ける安心しきった笑顔でマリユスと会話を続けた。
「それで慣れた様子でしたのね。……大変な旅でしたが、私はここに来られて良かったと思いますわ」
シャリエ伯爵邸で留守番をしているニナと、帰ったら久しぶりに会うであろうフェリシテ。ドレスを仕立てさせてくれていたレイモンと、きっと心配をさせたアンベールとリゼット。一つずつ土産物を選びながら、アリアンヌの表情は明るい。
「そうだな。アリアンヌはこれまで家にいることが多かったから、これから少しずつ、世界を広げていくと良い」
マリユスはアリアンヌの頭をくしゃくしゃと撫でた。アリアンヌは手櫛で乱れた髪を整えて、リヒャルトを振り返る。目が合って、アリアンヌは微笑んだ。
「ええ。──リヒャルト様の隣で、もっと広い世界を見ていきたいと思うの」
楽しそうなアリアンヌに、マリユスは面白いものを見る目をしている。
「アリアンヌ、忘れているかもしれないが、クローリス王国を出てから、帰ったら一月くらい経っているんだが……結婚式の準備、溜まってるんじゃないか?」
アリアンヌははっとマリユスの顔を見る。
「結婚式の準備──……」
「ああ。少なくともドレスのデザインは、社交シーズンが終わる前に打ち合わせないといけないだろうな。帰ってから、王城の夜会まで、一ヶ月もないが──」
マリユスの言う『王城の夜会』とは、社交シーズンの終わりを告げる、王城で行われる夜会だ。梅の花が咲く頃に行われる。これを終えると、社交の数も激減し、貴族によってはそれぞれの領地に帰ることになる。来年の社交シーズンの始めに結婚式を挙げる予定のアリアンヌがドレスを王都の職人に依頼するには、それまでに採寸をし、デザインを決定する必要があった。もちろん、式の準備だけでなく、花嫁修業も一ヶ月遅れているのだ。リヒャルトもクローリスに不在だったので、式の準備は滞っており、執務も溜まっているのだろう。もちろん、まだ続く社交シーズンの誘いもあるに違いない。
「……お兄様、しばらく忘れさせてくださいませ。考えると、一人の旅路なんかよりよっぽど怖いですわ」
顔を顰めたアリアンヌにマリユスは軽快に笑った。いつの間にか近くにきていたリヒャルトは、アリアンヌの額を指先でつつくと、悪戯に笑った。
「アリアンヌ。──私もあまり帰りたくないくらいには気が重いが……アリアンヌと一緒に暮らすのは楽しみだ。共に頑張ろう」
アリアンヌはリヒャルトに触られた額に手を当てて頬を染める。今日は町に溶け込むために選んだであろう服装のリヒャルトは、初めて出会った日のようでもあった。
「ええ、もちろんですわ」
不敵な笑みを浮かべたアリアンヌは、リヒャルトの手を取って、土産物選びを再開した。