夜会の始まり
両国友好を目的とした夜会なだけあって、ファーストダンスは両国共に行うのだそうだ。楽団によってワルツが演奏され、妃の手を引くディートヘルムに次いで、リヒャルトもアリアンヌに手を差し出した。
「アリアンヌ、緊張しないで、私だけを見ていれば大丈夫だから。──おいで」
アリアンヌの大好きなとけるような微笑みで、リヒャルトはアリアンヌの重ねた手を引いた。アリアンヌは導く手に身を委ね、真っ直ぐに大広間の中央に進む。
ワルツの音楽が、一際大きくなった。それを合図に、リヒャルトはアリアンヌの腰に腕を回す。アリアンヌもまた、リヒャルトの腕に手を沿わせた。
踊り始めてしまえば、品定めをする周囲の視線も噂話も、賞賛するような騒めきも、全てが遠くのことになった。ディートヘルムと妃と、リヒャルトとアリアンヌだけが踊っている。言葉もあまり通じない異国でも、アリアンヌの前にはリヒャルトがいて、しっかりと支えてくれていた。覚悟を決めたばかりのアリアンヌには、これほど心強いことはない。
「そう、その調子だ。──大丈夫、今日のアリアンヌは、誰より美しいよ」
リヒャルトがアリアンヌに顔を寄せて、甘く囁いた。アリアンヌは頬を染める。
「私……まだリヒャルト様に甘えてばかりで──」
否定するアリアンヌに、リヒャルトは周囲に気付かれない程度に首を左右に振った。
「そんなことはない。今こうして手を取って共に踊ってくれていることを、私がどれだけ嬉しく思っているか──焦ることはないよ、アリアンヌ。無理して大人になる必要はないのだから」
その言葉はアリアンヌの不安を全て包み込むようだった。潤む瞳から涙が溢れないように、アリアンヌはぐっと奥歯を噛み締めて口元を引き締める。
「貴方に優しくされると、私……強くなりたいのに、弱くなっていくようですわ」
茶化すように言った言葉に、リヒャルトは甘く微笑んだ。
「それは素直になるって言うんだよ、アリアンヌ。──でも今泣かせてしまったら、私は怒られるね。……ほら、行って」
リヒャルトは手を引き、アリアンヌにターンを促した。アリアンヌは無邪気だが優雅な笑みで、その美しさを見せつけるやうにふわりと何度か回る。巻き込まれるようにしてリヒャルトの腕の中に戻ると、リヒャルトに腰を支えられた。
「綺麗だよ、ずっと見ていたいくらいだ」
アリアンヌを見つめるリヒャルトは、艶のある甘やかな表情だ。エメラルドグリーンの瞳の中に映る熱が、どちらのものなのか分からなくなった。
「──やっぱりリヒャルト様は意地悪ですわ」
拗ねたように言ったアリアンヌに、リヒャルトもまた軽やかに笑う。二人の笑顔が両国友好の夜会の空気を和らげていることに、アリアンヌは気付かないままだ。
ワルツの演奏が終わり、アリアンヌはリヒャルトのエスコートで優雅に礼をする。わっと沸いた会場で、アリアンヌは自分達が注目を浴びていたことを思い出し頬を染めた。
新たな曲がかかり、ネーレウス貴族達が次々と手を取り合ってダンスに興じ始める。リヒャルトはアリアンヌの手を引き、席へと戻った。マリユスは戻ってきたアリアンヌに、揶揄うような笑顔を向ける。
「アリアンヌ、綺麗だったが──公爵殿しか見てなかっただろう?」
「お兄様、何を言うのですかっ……恥ずかしいから、やめてくださいませ」
恥じらい頬を染めて、控えめに反論するアリアンヌに、マリユスは驚いたように固まった。
「──アリアンヌも知らない間に、大人になっていたんだな。俺も帰ったら、パートナー探すか……」
「お兄様がパートナーをお探しになるのは、きっとお父様もお喜びになりますわね。これまで、全てのご紹介をお断りしてきましたもの」
アリアンヌが反撃とばかりにマリユスを揶揄うと、マリユスは拗ねてしまったようだ。給仕が差し出してきた葡萄酒を一口飲み、近くにいたディートヘルムの孫にあたるネーレウスの王孫の世話をし始めた。
リヒャルトはその様子に苦笑し、給仕から受け取ったカクテルをアリアンヌに渡した。
「弱いお酒だから安心して良いよ」
「ありがとうございます。リヒャルト様は、これからどうなさいますの?」
リヒャルトは夜会会場をざっと眺めた。ここに集められているネーレウス貴族は、いずれもクローリス王国にとっては重要な人物でもある。
「そうだな──ひと通り挨拶して回ってから、先日お会いした税務官長殿とお話ししたいと思っているが……」
リヒャルトはちらりとアリアンヌに目を向けた。
「では私は、最初のご挨拶だけご一緒させて頂きますわ」
「そうだな。私もそれが良いと思っていた」
リヒャルトは微笑むアリアンヌに頷く。二人は人の多い方向へと向かって歩き出した。