ラピスラズリのドレスの覚悟
クローリス王国の王都ナパイアは大陸のサファイアと呼ばれるほどの青い屋根の建物群が特徴だが、実はサファイアではなく、クローリス王国建国当時からの名産であるラピスラズリに由来している。長く続いた平和な時代は職人の技術を育て、緻密な加工技術によるラピスラズリのアクセサリーや彫刻が定番の土産として定着した。いつからか屋根をそれにちなんで青く塗るようになり、由来を知らない近隣諸国にサファイアと呼ばれるようになったのだ。
「お兄様はニナにコーディネートさせたと言っていたけれど……こんなドレス、持っていたかしら?」
首を傾げるアリアンヌに、ナタリーは笑った。
「こちらは、少し前に旦那様がご用意されていたのですよ。リヒャルト様とご結婚なさるのなら、必要な時が来るだろうと仰って」
「──まぁ、お父様が?」
アリアンヌの問い掛けに、ナタリーは苦笑して答えた。
「ええ。ですが、きっと旦那様もこんなに早く使うとは思っていらっしゃらなかったかと」
ラピスラズリ色のドレスには、銀糸で細かな刺繍が入れられていた。裾に向けて華やかになる刺繍の図柄は、星のように輝く薔薇の花だ。腰では同色のシフォンのふわりとした大きなリボンがアクセントになっている。ブローチと髪飾りはドレスと揃いでレイモンが買ったのであろう、ラピスラズリが使われていた。イヤリングとネックレスはアリアンヌお気に入りであったダイヤモンドを使った物を合わせたようだ。
控えめな色のドレスだが、とても上質な素材だ。その絶妙な色味と動きに合わせて輝く銀糸の刺繍が、控えめな化粧と相まってアリアンヌを少女から大人の女性へと格上げしているようだった。その危うい美しさは見る者を魅了する。
「お父様はきっと、私がリヒャルト様と共にありたいと望むことなど、お見通しだったのよ」
アリアンヌは嘆息して言った。こんなにも対外的にクローリス王国を象徴する上質なドレスを、ただ国内で使うためにレイモンが仕立てさせたとは思えなかった。レイモンの愛を感じて嬉しいような、アリアンヌの覚悟を先に気付かれて悔しいような、複雑な心境だ。
「リヒャルト様がお待ちですよ」
微笑んだナタリーはアリアンヌを部屋の外へと促した。アリアンヌは落ち着かない気分でリヒャルトが待つ部屋へと向かう。扉を開けると、リヒャルトはクローリス王国の王族としての正装でアリアンヌを待っていた。ここがネーレウス王国で、リヒャルトのクローリス王弟としての立場を重んじて選んだのだろう。クローリス王国ではリヒャルトは意図的にこの服を避けているので、アリアンヌにとっては初めて見る姿だ。
クローリス王国の王族の正装は白を基調としており、深い青とブルーグレーが縁取りやカフス等に使われている。王族然としたその姿に、アリアンヌは思わずじっと見つめてしまった。まるで物語の中の王子様が、そのまま抜け出てきたかのようだと思った。リヒャルトもまたアリアンヌのドレスをまじまじと見て、照れたように視線を下げる。
「アリアンヌ、今日もとても美しい──が、すまなかった。付き合わせてしまうようで、申し訳ないと思っているんだ」
リヒャルトはアリアンヌのドレスの意味を正しく理解した。アリアンヌはリヒャルトに歩み寄る。リヒャルトが差し出した左手に、右手を預けた。
「いいえ、リヒャルト様。良いのですわ。私は──リヒャルト様と共に歩いていくと決めたのです。このくらいで怯んでは、シャリエ伯爵令嬢の名が廃りますわ」
リヒャルトがアリアンヌを自らの世界に引き込んでいることに引け目を感じているのを分かった上で、アリアンヌは優雅に微笑んだ。そんなこと、婚約をした時点で分かっていたことだ。アリアンヌの覚悟は、少し遅れてやってきていたけれど。
「どうか、私を連れて行ってくださいませ。貴方の隣に立つ為なら、私は前を向いていられるのですから」
精一杯の虚勢に気付き、リヒャルトはアリアンヌの髪を崩さないようにその頭を優しく撫でた。
「……アリアンヌのその言葉が、私は何より嬉しいよ。では、行こうか」
リヒャルトとアリアンヌは揃って夜会の会場へと向かった。クローリス王国の親善大使として、ラピスラズリ色のドレスを着て、王弟リヒャルトのエスコートで夜会に参加する。重くのしかかってくる緊張に逆らうように、アリアンヌは背筋を真っ直ぐに伸ばした。
今日の夜会では、リヒャルトとマリユス、アリアンヌの三人が主賓とされており、ディートヘルムの側に席も用意されていた。
会場となったネーレウス王城の大広間は溢れんばかりの光に彩られ、華やかな衣装に身を包んだ王侯貴族達が参加している。
リヒャルトに手を引かれ、アリアンヌは一歩ずつ慎重に席へと進んだ。悪意でも好奇でもなく、純粋に注目されることは、社交界においてアリアンヌには初めての経験だった。主賓でありリヒャルトにエスコートされているというだけで、自然と視線は集まってくる。
クローリス王国を代表してリヒャルトが謝辞を述べ、それにディートヘルムが答える形の挨拶で、夜会は始まった。