二人のお仕置き
「貴女に何も伝えず、相談もせずに動いたことだ。貴女に関わる事だったのに、一人で解決しようとして悪かった」
アリアンヌはリヒャルトのシャツの二つ目のボタンを外し、胸元を緩めさせた。
「そうですわね。──リヒャルト様はお一人でできてしまうことが多かったのでしょう。ですが、私はただ貴方に守られていたい訳ではございません。貴方の隣に立ちたいのですわ。ですから、私を何もできない娘であると、貴方が示さないでください。他の誰にそうされるより……私は傷付きますわ」
アリアンヌはリヒャルトの胸元に手を当て、開いた首筋に顔を寄せた。首元を閉めれば見えないぎりぎりの位置に噛み付く。
「いっ……!」
リヒャルトは突然襲った痛みに顔を顰めた。顔を離したアリアンヌは、行動とちぐはぐに真っ赤に染まった頬で悪戯に笑う。
「痛かったですか?これは私から、リヒャルト様への罰ですわ。……もう、許して差し上げます」
恥ずかしさがピークを迎えたアリアンヌは、リヒャルトから離れようと身を起こし──リヒャルトに腕を引かれ、拘束されるようにその手でソファに縫い付けられた。すぐ近くで覗き込んでくるリヒャルトのエメラルドグリーンの瞳が、アリアンヌを逃してくれない。どうにかしようと手に力を入れてみたが、ぎゅっと握り返されただけだった。
「……リヒャルト様、これはどのような状況でしょうか」
心臓が煩い。リヒャルトに押さえられているのは手だけのはずなのに、アリアンヌは自らが捕らえられたと感じていた。
「アリアンヌから私への罰は受けたが、私からアリアンヌへの罰はまだだったと思ってね」
リヒャルトは楽しそうに笑った。
「罰ですって?私、何もしていませんわ」
「何もしていない人は、今この国にはいないだろうね」
リヒャルトは不意に瞳に真剣な色を浮かべる。アリアンヌは正面からそれを受け、一切の抵抗を止めた。心当たりはありすぎるほどある。
「私がどれだけ心配したか……!報告を受けた時には肝が冷えた。問題なく来れたか?ウーヴェとティモテがいたのだから、何かあっても大丈夫ではあっただろうが──」
リヒャルトの表情には、堪え切れない心配とアリアンヌに触れている安心が綯い交ぜになっていた。アリアンヌは今自らがどんな顔をしているか分からないでいた。
「リヒャルト様」
「旅は辛くなかったか?誰かに何かされたりしなかったか?……側にいなくて悪かった。私は一人で動かないと約束するから、アリアンヌも、黙って一人で抱え込んだりしないでくれ──」
リヒャルトはアリアンヌの身体を引き起こすと、慈しむように抱き締めた。アリアンヌが決して苦しくない程度の力で包み込む腕から、リヒャルトの優しさが伝わってくる。アリアンヌはリヒャルトの背に腕を緩く回した。互いの存在を確かめ合うように、体温を感じ合う。
「はい。申し訳ございませんでした、リヒャルト様」
アリアンヌはリヒャルトの肩に額を預けて呟くように言った。
「そうだな。──では、私からもお仕置きだ」
リヒャルトはアリアンヌと一度身体を離し、その頬に手を添える。アリアンヌの瞳が、リヒャルトの瞳と絡み合った。アリアンヌは何も言えないまま、近付いてくるリヒャルトの唇を、正面から受け止める。甘く重なった唇は、お仕置きという言葉に反して優しく甘く、触れるだけでアリアンヌの唇から離れていった。
「──リヒャルト様……」
アリアンヌは潤んだ瞳でリヒャルトを見つめる。隠し切れない熱を湛えた澄んだ湖面のような碧い瞳は、リヒャルトの理性をいとも簡単に焼き切ろうとする。
「アリアンヌ、愛してる──」
それを繋ぎ留めるようにリヒャルトはアリアンヌをぐっと抱き締めた。アリアンヌは苦しい程の腕の力に息を止める。次の瞬間には、リヒャルトはアリアンヌを離して立ち上がっていた。アリアンヌはソファに座ったまま、リヒャルトを見つめる。リヒャルトの瞳は、夕暮れの光が差し込む窓に向けられていた。無言のまま首元のボタンを留め、クラヴァットを結び直す。熱を冷ますように凪いだエメラルドグリーンの瞳には、夕暮れのオレンジが混ざっていた。
「リヒャルト様」
アリアンヌの呼びかけに、リヒャルトは顔を向け、照れたような笑顔を見せる。
「──大丈夫。結婚前だ。今はまだ、これ以上はしないよ」
アリアンヌの頭を優しく撫でたリヒャルトに、アリアンヌはふわりと柔らかく微笑んだ。
「私も、お慕いしております」
こぼれ落ちるように溢れた言葉に驚き、アリアンヌは右手で自らの唇に触れた。リヒャルトはそんなアリアンヌの姿に嬉しそうに微笑んだのだった。