アリアンヌの疑問
表通りに新しくできたというカフェは、商業地区らしく、王都で働く人々がデートで使うような雰囲気の店だ。上品な内装で、貴族が来店していても違和感がないとアリアンヌは思った。昼食時を過ぎティータイムには少し早かったために、スムーズに席に案内される。ペアチケットを見せたナタリーとニナは窓際の二人席だ。アリアンヌは離れる前に、一時間は休憩のつもりで楽しむようにとナタリーとニナに伝える。そこからテーブル二つ程離れたところにアリアンヌとアルトが座った。アルトはメニューを見ながらいくつか店員に質問すると、慣れた様子でアリアンヌに希望を聞いた。
「食べたい物はある?」
「そうね……もう遅いから、軽くでいいわ」
「苦手なものは?」
「特にはないかしら」
「わかった」
アルトはそのまま店員に注文をして、店員が席を離れると水の入ったグラスを手に取る。アリアンヌは口を開いた。
「慣れているのね」
「注文するのはエスコートしている人間だろう?」
アルトは笑顔を作る。アリアンヌはアルトに話をすり替えられた事に気付いた。何故慣れているのかを聞いたはずだったのだが。
「……そうですけれど」
「……ふ……っ、アンナさんは面白いね。『答えが不満』って顔に書いてあるよ」
アルトの作った笑顔が、柔らかく解けていった。何故この人は出会って二度目のアリアンヌに、こんなに柔らかく笑うのだろうか。ナタリーに聞けば『軽い男です!』と言われて終わりそうな、しかし家族以外の男に免疫のないアリアンヌには重大な疑問だった。
「貴方って、よくとけそうに笑うわね。いつもそうなの?」
アリアンヌの言葉に、アルトは虚をつかれたように目を丸くした。
「いや、ええと……あまり言われない、かな」
「そう。作った笑顔なんかより、ずっと素敵よ。……でも、あまり見てると目に毒ね。気を付けないと、女の子に囲まれて動けなくなってしまうわよ?」
朗らかに笑うアリアンヌは、バツが悪そうにしているアルトを見ていた。素直に表情が動くと、表情を貼り付けている時よりも幼く見えて、アリアンヌは何も知らないアルトに親近感を覚える。
その時、店員が注文したものを運んできた。やや厚みのあるパンケーキにカットフルーツが乗ったものと、チーズとサラダを挟んだベーグルだ。アルトにどちらが良いか聞かれ、アリアンヌはパンケーキを選んだ。それぞれに紅茶が運ばれる。
アリアンヌはパンケーキを一口大に切って口に運んだ。シロップの甘さとフルーツの酸味が混ざり、パンケーキの生地と口の中でハーモニーを奏でる。紅茶を飲むと、パンケーキに合わせた柑橘系の香りがした。
「美味しい……!」
アルトはベーグルを食べながら、アリアンヌを見る。碧い瞳は嬉しそうに僅かに細められ、唇は紅を指しているように赤い。二つ結びの亜麻色の長い髪が、動きに合わせてさらさらと揺れた。
「──アンナさんこそ」
突然のアルトの言葉に、アリアンヌは動作を止めて顔を上げた。目が合うと、何故か真面目な表情でアリアンヌを見つめているアルトに驚く。
「……何?」
「貴女の方こそ、儚く美しい見た目で、それでいてこうも無邪気に笑って。まるで天使か妖精だ。……そんなに無防備では男達が放って置かないだろう。もっと気を付けた方が良い」
アリアンヌはアルトを直視できず、顔を赤くして俯いた。俯いた視界の先の紅茶の色がアルトの髪の色とよく似ていて、俯いてなお落ち着かない。
「そ……そんなこと、真面目な顔で言わないでください」
「軽く言ったら取り合わないだろう?」
その言葉にアリアンヌはのろのろと顔を上げた。自嘲するように笑うアルトは、どう見られるか、どう思われるかを分かって行動しているようだった。アリアンヌはそこまで考えて気付く。そんな人が真面目な顔で話してくるのは、どんな時?言葉にするのはどんな時?素直に笑顔を見せるのは?アリアンヌはその答えに行き着き、寂しく思った。
切なさが滲む笑顔を隠すこともせず、頬を紅く染め、少し潤んだ目で、アリアンヌは聞きたくて聞けずにいた、きっと聞いてはいけないことを聞いた。
「──貴方は、誰なの……?」
アルトはその問いに、切なげに眉を寄せる。
「貴女こそ」
そう言うとアルトは視線をアリアンヌから外した。止めていた手を動かし、食事を再開する。その顔には何の表情も浮かんでいなかった。言葉を返せなかったアリアンヌもまたそれに続く。パンケーキは美味しかったはずだが、今はその味も良く分からなかった。
ぐるぐると回る思考を持て余したアリアンヌは、食事を終え、あえてゆっくりと紅茶を飲んだ。アルトを窺って目を上げると、アルトもまた、紅茶を持ち顔を上げていた。目が合い、二人の動きが止まる。アリアンヌは覚悟を決めて口を開いた。
「……さっきの質問。私、本当は──」
「駄目だ」
アルトが厳しい声音で言葉を遮った。アリアンヌは驚き、肩を震わせてゆっくりと一度瞬きをする。アルトは俯いたが覚悟を決めたように顔を上げ、言葉を止めた勢いが嘘のように、哀しげな笑みで重たくなった口を開いた。
「──駄目だよ、貴女は『私』と知り合ってはいけない。本当は、こんな風に貴女と関わることもしてはいけないんだ」
「貴方から関わってきたじゃないの……」
不満気なアリアンヌに、アルトは顔を顰めた。眉間に深く皺が寄る。そのエメラルドグリーンの瞳には何も映していなかった。それは罪悪感からか、諦めからか、アリアンヌには分からなかった。
「最初に会った時にはもう気付いてたんだ。だけど今日再会した時に、私は『アルト』だからと自分に言い訳をした。貴女を私の問題に巻き込んではいけないと分かっているのに」
「なのに、どうして?」
その言葉で我に返ったかのように、アルトの瞳はアリアンヌを正面から映す。その表情は変わらないままに、続いて出た言葉はあまりにも甘かった。
「貴女が……とても綺麗だったから。今日がとても幸せで、その時間に酔ってしまった。すまなかったと、思う」
アリアンヌはそう言って頭を下げたアルトに、様々な疑問や不満に蓋をせざるを得なかった。貴方は誰なの?どうして教えてくれないの?問題とは何?全てを知りたいような、知りたくないような。逃がしてあげたいような、このまま側にいたいような。それはこれまでに抱いたことのない初めての感情だった。だからこそアリアンヌは、その感情の全てを隠して、完璧な笑顔でアルトに声を掛けた。この言葉が、アルトにとって救いになるようにと、願いを込めて。
「いいえ、貴方は謝ることなどございません。今日は手伝ってくださって、本当にありがとう。アルトさんって、とても良い人ですね。……よろしければ私と、お友達になってくださいませ」
「──ああ、ありがとう。アンナさん、これからよろしく」
アルトは泣きそうな顔で笑った。
このくらいの初々しさとこなれ感が好きだったりします。