ネーレウス王国1
木立の中を進み、見えてきたのは色とりどりの屋根を持つ建物が並ぶ町だった。ネーレウスの最北端に位置するキルケは、商業の町だ。クローリスの国境とほど近いこの町は、国境を越える行商人が多く立ち寄る為、異国の品物を扱う露店がそこかしこに開かれている。
辻馬車を降りたアリアンヌは、目の前に広がる光景に驚きを隠せない。アリアンヌの知る土地は、自然豊かで緑の美しいシャリエ伯爵領と、大陸のサファイアと呼ばれる王都ナパイアくらいなのだ。狭い世界で生きてきたアリアンヌにとっては、この町はまるで宝石箱をひっくり返したように賑やかに映った。
「すごいわ……!」
キラキラと瞳を輝かせるアリアンヌの横では、ナタリーも同じようなら表情でいる。アリアンヌと共に育ったナタリーも、この様な景色は見た事がない。
「本当ですね、アンナ様!こんなに賑やかな色、お祭りか何かのようです」
ティモテはそんな二人に思わずといったように笑った。キルケに着いた時から姿を現したウーヴェは、アリアンヌに言う。
「この町はクローリスの言葉が通じます。……露店でも見て行きますか?」
出会った頃のウーヴェからは想像もできないような提案に、アリアンヌは思わず笑った。
「そうね、見たいのは山々だけれど……先を急ぎたいわ。ここからネーレウスの王城までだと、丁度丸一日かかるみたいですし。今日の内にもう少し進みたいわね。──それに」
アリアンヌの言葉にナタリーとティモテも耳を傾ける。アリアンヌは僅かに目線を下げて言葉を続けた。
「せっかく露店を回るのなら、リヒャルト様も一緒が良いわ。だから、帰りまでは我慢するつもりよ。ナタリーはそれで良いかしら?」
小首を傾げたアリアンヌに、ナタリーは自分のことのように恥ずかしく頬を僅かに染めて頷いた。
「もちろんですわ。……では、食事を済ませたら、なるべく王城に近付かなければなりませんね」
アリアンヌとナタリーの言葉で話は纏まった。それならとウーヴェが三人を置いて人混みに消えていく。数分後戻ってきたウーヴェの手には、惣菜を挟んだパンが四つ握られていた。
「……どうぞ」
「あらまあ──ありがとう、ウーヴェ」
ぶっきらぼうに突き出された手から、アリアンヌはパンを一つ受け取った。ナタリーとティモテもそれぞれ手に取る。
「構いません。中の惣菜は、この辺りで取れる鳥の肉を使った物です」
なんとウーヴェはご当地料理を買ってきてくれたらしい。アリアンヌはすっかり牙を収めてしまったウーヴェにくすりと笑った。
「……あのベンチが空いてるわね。座って食べましょう」
丁度空いていた向かい合わせのベンチに四人で座る。直接パンに齧り付くティモテとウーヴェと違い、アリアンヌとナタリーは膝の上で一口大に手で切って食べていた。
「うわっ、これ美味いですね。僕好きです!」
「本当、美味しいわ。ウーヴェは食べたことあったの?」
問い掛けるアリアンヌに、ウーヴェは頷く。
「以前、この辺りで仕事した時に」
「そうだったの。覚えててくれて良かったわ」
アリアンヌはウーヴェにふわりと微笑んだ。覚えていて、美味しい物を食べさせようと思ってくれた、その心が嬉しかったのだ。ウーヴェは眉間に皺を寄せると、分かりやすく目線を逸らす。その反応に、アリアンヌだけでなくナタリーも吹き出した。
「……揶揄わないでください」
「ごめんなさい。でも、私達に気を遣ってくれたことが嬉しかったのよ。なんだか、旅の仲間って感じがするじゃない?」
こてんと首を傾けるアリアンヌに、ティモテが嘆息する。
「アンナさん、そのくらいで。──そろそろ、次の辻馬車を捕まえましょう。あと二つ先の街まで今日は行きます。そうすれば、明日の午後には王城に着けるはずですよ」
ティモテの言葉に、アリアンヌは心から嬉しそうに笑った。
「リヒャルト様はきっと、もうそろそろお着きになる頃ね。私達も急ぎましょう」
その翌日、アリアンヌ達はほぼ予定通りの時刻にネーレウス王国の王都、ヘオースポロスに到着した。建物は石壁が多いが、様々な色の屋根をしている。王都のどこからでも見える王城は、クローリス城の円筒形の塔が連なる形とは異なり、全体的に四角い形をしていた。石造りの堅牢な印象の塀がぐるりと王城の土地の周りを囲っていることも相まって、見る者に重厚な印象を与えている。
「ここが、ネーレウス城なのね……」
昼食をとった後、先に宿屋でナタリーの手によって着替えを済ませたアリアンヌは、貴人向けの貸出馬車の中から王城を見上げていた。
スレンダーラインのドレスは藤色で、シンプルな意匠をシルクの素材感がより上品に見せている。少し大人びたデザインを、背中や肩に付けられたリボンが年相応の可愛らしい印象に落とし込んでいた。亜麻色の髪は、一房を編んで真珠の飾りで留めている。同じ意匠の真珠のネックレスと耳飾りを身につけ、肘までのレースのグローブをしたアリアンヌは、これから久しぶりに会うリヒャルトのことを思った。