ラインハルトの悪戯
翌日、昼前にはアリアンヌはネーレウスとの国境に辿り着いた。友好国とはいえ、国境には両国で資金を出し合って築いた砦が聳え立っている。アリアンヌ達はその手前で馬車から降りた。辻馬車ごと国境を越える訳にもいかない。
その入口は、何度も往復する商人等が使用する大きなものと、旅人や移住者等が利用するやや小さいものに分かれており、アリアンヌ達は小さい方に並ぶ。流石のウーヴェもこの時ばかりは姿を現していた。
「次の方ー」
砦の上には等間隔に兵士が並んでおり、また、門にも同じ制服を着た兵士がいる。ここに身分証を提示し、越境目的を伝えるのだ。アリアンヌは代表としてラインハルトから預かった手紙を渡した。
「こちらを見せるようにと言われています」
手紙の封筒を見た兵士はそこに刻まれた翼を持つ獅子をモチーフにした紋様に目の色を変え、丁寧に開いて中を検めると、目を丸くした。更に手紙の文面と、紋様を何度か交互に見返す。更にアリアンヌの顔を手紙と何度も見比べ、屈強そうな兵士は僅かに頬を染めた。兵士はその手紙を宝物でも扱うかのように丁寧にアリアンヌに返す。
「お連れのかたはどなたですか?」
「男性二名、女性二名で旅をして参りましたわ」
アリアンヌは手でティモテとウーヴェ、そしてナタリーを示す。三人もそれぞれ身分証を見せていた。兵士は身分証を確認し、ウーヴェの身分証を見てより顔色を悪くした。
「……ウーヴェ様、でございますか?」
「ああ、そうだ」
「──っ!」
兵士は咄嗟に上げてしまいそうになる悲鳴を抑えたようだ。アリアンヌは、ただの密偵ならこの反応はおかしいと思うが、あえて追求を避ける。どちらにせよ、ネーレウスの王城に着けば全てが分かるのだ。アリアンヌは慎重に口を開いた。
「……それで、通ってよろしくて?」
兵士はアリアンヌに声を掛けられると、途端に和かになる。一体、ラインハルトからの手紙には何が書いてあるのだろうか。一国の王から他国の王への文書だ。兵士が見たら焦るのも無理はないとアリアンヌは納得する。
「も、もちろんでございます!」
すぐに入国を許されたアリアンヌ達は、門を抜けた先で客待ちをしている辻馬車を捕まえた。辻馬車でまず近くの街に入りたいと思い、御者に確認をする。
「次の街でしたら、一時間もかけずに着きますよ」
「……では、そこまでお願いします」
「承りました」
馬車の中で、アリアンヌは気になってラインハルトからの手紙を取り出してみた。興味津々の目で見てくるのはティモテだ。
「なーんかあの兵士の反応、変だったと思いません?」
「奇遇ね、私もそう思ったのよ」
アリアンヌは頷き問題の手紙を見下ろした。既に先程の兵士の手によって開封されているので、読んでも問題はない。アリアンヌは一度深呼吸すると、手紙を出して広げた。ナタリーとティモテも横から覗くように見る。
──愛しのディートヘルム・ネーレウス王へ
いつも仲良くしてくれてありがとう。元気にしてますか?こちらは相変わらずです。
ところで、この手紙を読む時、私の弟はもうネーレウスにいるはずですよね。最近一番大きな事件は、きっとあの堅物だった弟が恋愛した事でしょう。相手はこの手紙を持ってきた女の子です。可愛くない?私の義妹になるんですよ。
リヒャルトが心配だから後を追うと聞かないので、私は手紙を書かされています。健気だと思いませんか?
そうそう、貴殿の姪っ子だけど、一度説教しに来てください。どこまであの人の仕業か分からなくて困ってます。
とりあえずウーヴェって名前の貴殿の犬をリヒャルトが欲しいみたいなので、協力してあげてくれると嬉しいです。……それも恋人の為でもあるとか、弟はとても可愛いと思います。
また近いうちに酒でも飲みましょう。色々教えてください。後、その女の子は丁重にもてなしてくださいね。彼女には、国境の兵にこれを見せるようにと言ってあります。兵士さん、見たらサラッと通してあげてね?
ではまた後日、改めてお会いしましょう。
貴方のラインハルト・クローリス──
手紙を読んでアリアンヌに襲ってきたのは、羞恥と後悔だった。
「こっ……これ!え、陛下ってこんな感じの人だったんですか!?」
ティモテが目を丸くしている。
「え、あの……ティモテさんの方が詳しいですよね?」
ナタリーが冷静に聞き返すが、ティモテは首を左右に振った。
「リヒャルト様と一緒の時は、もっとなんかこう……お兄様!って感じだったはず──」
「そうなんですか!?『愛しの』とか『貴方の』とか、まるでラブレターですよ……ふふっ、楽しい人なんでしょうね、陛下って」
ティモテとナタリーは二人で笑いながら会話をしている。アリアンヌは後悔でいっぱいだった。この手紙を見せたということはつまり。
「あの兵士が私のことを何度も見ていたのって、この手紙のせい──……?」
はっきりと何度もリヒャルトの恋人について書いてある手紙に、アリアンヌは顔が熱くなるのを自覚した。こんな恥ずかしい国書があってたまるかと思う気持ちで、手紙を持つ手が震える。アリアンヌの様子に気付いたナタリーが、慌てたようにアリアンヌに言った。
「破ったら駄目ですよ、アンナ様」
アリアンヌはナタリーの顔を見て、この旅で初めて途方に暮れたように嘆息したのだった。