リヒャルトの手紙
咄嗟に殺気を飛ばすティモテに、慌てた様子でウーヴェは後ろに下がった。アリアンヌは苦笑する。
「……と言いつつ、実は職務に真面目なネーレウス国王の──何かしら?」
実は詳しく知らなかったアリアンヌは、ウーヴェに顔を向けて首を傾げた。ウーヴェは緊張を切らさないままアリアンヌの言葉に続ける。
「密偵!……俺は刺客じゃない」
「だそうよ」
肩を下げたアリアンヌに、ティモテは続けた。
「では、隣国の密偵であることは確かなんだな?」
ティモテに続いてナタリーも言う。
「では、以前の侯爵家の夜会の事件は貴方の仕業ですか?」
ウーヴェはどちらの言葉も否定できずに項垂れた。殺気を弱めないティモテと感謝から一転怒りが湧き上がってきたナタリーに、アリアンヌは苦笑する。
「──ともかく、助けてもらったのは事実よ。リヒャルト様が彼のためにネーレウスに向かったこともね。だからティモテ、殺しちゃ駄目よ」
はっきりと言い切ったアリアンヌに、ティモテは嘆息し剣の柄にかけていた手を外した。
「リヒャルト様のことを持ち出されては、僕は何も言えません」
「アンナ様がそう仰るのなら……」
ナタリーも渋々頷く。
「では、まずは先の街でこのことを報告するわよ。後は警備隊で対応してもらいましょう」
アリアンヌの声で、それぞれが持ち場に戻った。ウーヴェだけは馬車には乗らずに着いて来ているらしいが、アリアンヌは少しその方法を知るのが怖く、どうやって追っているのかをあえて聞かなかった。
先の街で警備隊に報告をしたところ、街は大騒ぎになった。人数が多く対処に困っていた盗賊達を捕まえてくれたと、恩人扱いの歓待を受けたのだ。
早々に出発するはずだったその街で昼食を振舞われたアリアンヌ達は、予定より遅れて出発せざるを得なかった。
結局その日の夜には国境を越えることができず、手前の街で宿を取ることになる。
「──え、リヒャルト様が……?」
アリアンヌは宿屋の主人と話していて、聞いた名前に驚いた。
「ああ。もしかしたらここを通るかもしれないからと、手紙を預かっているよ」
渡されたのは、シンプルな白い封筒。仕事にでも使えそうなデザインのそれには、確かにロージェル公爵家の印が押されていた。
アリアンヌは慌てて部屋に入ると、外套も脱がず、備え付けの椅子に座り、手紙の封を開けた。中から便箋を取り出すと、ナタリーの目も気にせず、その文面に目を通す。
──愛しのアリアンヌへ
この手紙を受け取っているだろうか。宿屋の主人には、数日経って貴女が来なければ破棄するよう伝えている。
貴女が私を追って出てきたと聞いて、驚いている。これまでの道を思うと、心が痛い。危険な土地も悪路もあっただろう。
何もなくとも長距離の旅は危険だ。まして貴女のようなか弱い女性が少人数で旅をするなど、普通ではあり得ないことだ。
私のことは気にせず、どうか引き返すか、そのままこの宿に滞在して帰りを待っていてほしい。
リヒャルト・ロージェル──
アリアンヌは手紙を読み、胸が痛くなった。リヒャルトは、アリアンヌがここまでしても、その真意に気付いていないのだ。夢中で手紙を読んでいたアリアンヌは、その事実に唖然とし、次いでふつふつと静かな怒りが湧き上がる。
「──アンナ様?」
荷物を運び込んだナタリーが小さく肩を震わせる主人に泣いているのかと思い、気遣うような声を掛けた。
「ふ……ふふ……」
しかしアリアンヌの口から溢れるのは、嗚咽ではなく途切れ途切れの笑い声である。
「え、あの……どう、なされたのですか?」
アリアンヌは不思議そうに近付いたナタリーに、手紙を見せた。ナタリーはそれを読み、何故アリアンヌがこの様な笑い声を上げているのかを正確に理解した。その後すぐにリヒャルトからの手紙だと大慌てで部屋を訪ねてきたティモテは、手紙とアリアンヌを見比べて首を傾げている。
アリアンヌは椅子から立ち上がると、部屋の窓を開けた。真冬の冷えた風が室内に吹き込み、ナタリーは身体を震わせる。
アリアンヌは寒さなど意に介さない様子で、窓の外に白くて華奢な指を伸ばす。その目は揺るぎなく、夕暮れを少し過ぎたあわいを映し出した空に浮かぶ月に向けられている。
「リヒャルト様──大人しく待ってなんてあげませんから。……絶対、追い付いて直接張り手の一発でも食らわせてやりますわ!」
ティモテはアリアンヌのその言葉にぎょっとした。ナタリーも、主人である彼女がどこでそのような言葉を覚えてきたのかと不安になる。
アリアンヌはそんな二人には気付かず、夜に近付いていく星空をじっと眺めながら、きっと既に隣国にいるであろうリヒャルトの姿を思い浮かべるのだった。