依頼人のお礼
アリアンヌが二階へ戻ると、ナタリーとニナが先程までよりも早く荷を詰めている。探し物は見つかったから、後は荷造りだけだ。アリアンヌも荷造りをしようと手に取り箱に入れていくが、今一つ詰め方が分からない。しっくりこない、という感覚が適切だった。そんなアリアンヌにナタリーが作業を続けたまま声を掛ける。
「アンナ様。探していた指輪で間違いありませんでしたか?」
「ええ。奥様、泣いていたわ」
「……そうですか。良かったですね、アンナ様」
「ええ。奥様も、早く旦那様に会いたいそうよ」
「では、早く片付けてしまいましょう。アンナ様は、アルトさんの様子を見てきて頂けますか?」
ナタリーは、アリアンヌが片付けることは余り得意ではないことを知っている。アリアンヌは探し物は得意なのだが、片付けることは苦手なのだ。
「でも……」
躊躇したアリアンヌの背中を押すようにナタリーは頷く。
「こちらは大丈夫です。……あ、でも扉は閉めないでくださいませ」
二人きりにさせる訳にはいかないと念を押すナタリーに頷くと、アリアンヌはアルトが作業をしている部屋へ向かった。
軽くノックをすると、アルトから返事が来たのを確認して扉を開けた。持ってきた箱を扉の前に置き、閉まらないようにする。
「アルト様、作業はどうかしら?」
アルトは、十箱ほどが積まれた小ざっぱりとした部屋で立ち上がった。軽く手で肩や服を叩いて埃を落とす素振りをする。
「大体片付いたかな。後は箱に入らない分だから、このまま運ぶよね」
アリアンヌは驚き部屋と箱を見て回る。棚の上の小物等は個別に新聞紙で包まれ箱の中にあり、引出しを見ても中は空っぽだ。
「……貴方、随分と荷造りが上手なのね?」
アリアンヌはアルトを何処かの貴族子息か裕福な商人の息子だと思っていた。自分同様にお忍びだろうと。しかしそんな立場の者が、こうも荷造りが早いとは信じられない。アリアンヌが疑いの目で見ていることに気付いたのか、アルトは苦笑して答えた。
「こう見えて器用な方なんだ。そっちも手伝うから、早く終わらせてしまおう」
「……そうね」
アリアンヌよりも荷造りの役に立っているアルトに、少し妬いてしまう。アリアンヌは少し顔を俯けた。元々指輪を探す依頼で、指輪はしっかり見つけているのだが。
アルトは部屋を出ようと動いたが、アリアンヌの前まで歩いてきて立ち止まると、何を思ったのか、そのままアリアンヌの頭をポンポンと撫でる。驚いて顔を上げアルトを見つめたアリアンヌに気付き、慌てて手を離す。しかししばらく彷徨わせた後、その行き場を見つけるように、またおずおずと手をアリアンヌの頭に戻した。髪を崩さないように優しく撫でてくるそれにアリアンヌは驚き、先程より深く顔を俯けてしまう。顔が赤くなっている自覚はある。兄達にされ慣れた事のはずなのに、アリアンヌの心臓は高鳴っていた。
「指輪が見つかったからこっちに来たんだろ?……早く終わらせてこっちの依頼だ」
素っ気ない言葉と撫でてくる手の優しさの違いに戸惑ったアリアンヌは、それを悟られないよう不機嫌そうな声で返す。
「今日はこの後、ナタリーとニナと露店を見て回るのよ。依頼は無理ね」
拗ねたように言うアリアンヌに、アルトは無邪気に笑った。漏れてくる笑い声は、楽しくて仕方がないと言わんばかりだ。アリアンヌがはっとして顔を上げると、アルトは頭を撫でるのを止め、その手を自らの目尻に持っていった。笑ったことで潤んだ目尻から涙を拭っている。出会って初めて見る表情に、アリアンヌは目を離せない。
「アンナさん。それはずるいよ。こんなに笑ったの、久しぶりだ。……いいね、露店。楽しそうだ。一緒に行こう」
「貴方……っ、そんな勝手に!」
「そうと決まれば早く片付けてしまおう。アンナさん、楽しみだね」
部屋を出て行くアルトは、まだ部屋の中のアリアンヌにひらひらと手を振った。
それから二時間程度で、荷造りは終わった。依頼人からは謝礼金をと言われたがアリアンヌは固辞した。
「指輪を見つけて引っ越しの手伝いまでしてもらってるのに、何もあげない訳にはいかないよ」
「ですが私は、経費しか頂かないことにしているのです」
和かに首を左右に振ったアリアンヌに、依頼人は難しい顔をした。しばらく目を閉じた後、パッと顔を明るくする。
「そうだ。なら、これ──ええと、確か財布の中に……。あった!これをあげるから使ってよ二人分しかなくて悪いんだけどさ。お昼まだでしょう。私達、ここ引っ越しちゃうし、使わないからさ」
アリアンヌが依頼人から渡されたのは、商業地区の表通りに最近できたカフェのペアチケットだった。貴族向けのデザインではないが、お洒落な見た目だったのを覚えている。
「わぁ、アンナ様、これ、ここ来るとき前通ったとこですよね?可愛いなって思ってたんです!」
思わず声を上げたニナに、ナタリーの咎めるような視線が飛ぶ。アリアンヌは重ねて聞いた。
「お使いにならないのですか?」
「そうよぉ。この子連れて行くには、まだ早いしね。だから二人分しかないけど、あなた達で使って。今なら丁度、昼も終わりだし席もあると思うの」
アリアンヌは気遣いに感謝し微笑む。
「ありがとうございます。早速行ってみますわ」
依頼人は手を振って、家の中へ戻って行った。アリアンヌ達は少し移動して、チケットを見る。最初に口を開いたのはナタリーだった。
「──二人分ですね」
「ええ、……二人分ね」
アリアンヌも微妙な表情でそれに返す。少しの間を置いて、ナタリーが改めて話し始めた。
「アンナ様とニナで使ってくださいませ。私は大丈夫ですわ」
慌ててアリアンヌも言い返す。
「何を言ってるの?!ナタリーとニナで行ってくると良いわ!」
「私にアンナ様か先輩を選べって言うんですかぁ〜!」
ニナは最早被せるように悲壮な声を上げた。三人が黙ったところで、それまで様子を伺っていたアルトが口を開く。
「……あの、私も一緒に行きたいのだけれど……」
それまで存在を忘れていたように、はっと三人が振り向いた。アリアンヌが真っ先に気まずそうな顔をする。
「そう言えばそんな話もしてたわね……。四人、だったわ……」
ナタリーとニナが顔を見合わせた。アルトは小さく頭を掻き、口を開いた。
「もし良ければだけれど。同じ喫茶店に、アンナさんを誘っても?」
つまりアルトは、チケットはナタリーとニナで使って、自分はアンナと行く、と言うのだ。
「ええと、アンナ様……」
これはどうしましょうと顔に書いてあるナタリーがアリアンヌを窺う。アルトは自信があるのか、満足気な顔だ。アリアンヌだけチケットを使わず会計をするのが最善の選択なように思うが、二人が頷くとは思えない。アルトの誘いに乗れば、ナタリーとニナも息抜きになりそうだった。アリアンヌは深く嘆息し、返事をする。
「仕方ないわね。……お誘い、お受けしますわ」
右手を差し出したアルトに、アリアンヌはそっと自らの左手を重ねた。