深夜の訪問者4
リヒャルトの問いかけに男は首を左右に振った。そして、近くにあったティーテーブルの華奢な椅子に座る。
「貴方を殺したりしたら、俺の方が殺される。まだ死にたくはないんでね」
「そうだな、同感だ。──明日から、この家の警備は強化される。王城で私に話し掛けてきたということは、私の家には忍び込めなかったのだろう?ここもそうなるはずだ」
リヒャルトの言葉に男は顔を歪ませた。
「それじゃ、彼女に会えないじゃないか──」
「そうか、それが目的か。……やはり私が殺してやろうか?」
男は咄嗟に出た言葉に慌てて口を塞いだ。リヒャルトはそんな男をじっと男を見据えている。エメラルドグリーンの瞳には怒りの感情がありありと浮かんでいた。
「アリアンヌに会いたかったから忍び込んでいたんだな……ツェツィーリエが出した暗殺の指示を利用して。良い女だろう、私の愛しい婚約者だ。お前の勝手な行動で、余計な心労を与えないでくれ」
リヒャルトは冷たく言い捨てた。男は目を見開いている。リヒャルトから向けられる殺意は王族らしくなく鋭敏で、下手に動けば本当に殺されるのではないかと男に思わせた。潜入や暗殺には慣れている男も、咄嗟に言葉が出てこない。
「う……あ」
「──このくらいで怯えるとは、エリートの名が泣くな」
興味を無くしたように視線を逸らしたリヒャルトに、男は身体の緊張を解いた。単純な実力だけなら男の方が上のはずだった。
「ロージェル公爵、貴殿は──?」
「……もう二度と誰も──大切な人を傷付けたくないだけの、一人の男だよ」
リヒャルトは背をソファに預け、自嘲の笑みを浮かべた。男は何かに納得をしたように頷いた。
「──そうか」
「そういうお前は何者だ?いい加減教えてくれても良いだろう」
リヒャルトの質問に、男は僅かに俯いた。室内を不思議な沈黙が支配する。しばらく続いた沈黙に、話す気がないのだと判断したリヒャルトが立ち上がったとき、男は口を開いた。
「俺はネーレウス国特務機関所属、ディートヘルム様付き密偵、ウーヴェだ」
リヒャルトは男の返答に驚きを隠せなかった。
「お前それ、名乗って良いのか?」
リヒャルトの言葉に、ウーヴェは肩を竦めた。
「駄目に決まっているだろう。公爵でなければ、俺だって名乗らなかったさ」
リヒャルトはカウンターからグラスと酒瓶を持ってウーヴェに近づいた。攻撃の意思がないことはウーヴェの表情から分かる。
「そうか」
「大体、俺だって嫌だったんだ。国王の命令でツェツィーリエ様付きのように振舞って、言うことを聞いてきたが……あんなに美しい少女を手にかけろって、いくら命令だって従う気にならない。……まして番犬は怖いし、恋人は強いし、当の本人は変に肝が据わっているし……」
愚痴のようになってきたウーヴェの言葉にリヒャルトは苦笑して肩を叩いた。ウーヴェはリヒャルトが体に触れることを許している。二つのグラスに酒を注ぐと、リヒャルトは一つをウーヴェに渡す。軽く合わせるような仕草をするとウーヴェはグラスの中身を煽った。酒は強い蒸留酒である。リヒャルトは仕草だけで一口も飲んでいない。
「あー……なんかすまなかったな」
リヒャルトが口を開くと、ウーヴェは首を左右に振った。
「国王は異国に嫁ぐ姪を心配して、最初から密偵という形でネーレウスの人間を付けていた。俺は自分で判断する裁量は与えられているが、基本的には彼女の意思に従うことが職務だ。俺は二代目だが……先代のように命令に従い続ける気にならなくなってしまった。気に入らない女性の暗殺?──馬鹿馬鹿しい。国の為の暗殺はしてきたが、清純なか弱い女性を手にかける趣味はない」
ウーヴェは吐き捨てるように言った。リヒャルトはところどころでアリアンヌの話になるのが落ち着かない。
「さっきから美しいだの清純だのか弱いだのと……私の婚約者を好きに表現するのは止めてもらいたい」
不機嫌な声音を隠そうともしないリヒャルトに、ウーヴェは笑う。
「そんなに目くじら立てなくても、オヒメサマには公爵のことしか見えてない」
ウーヴェの言葉にリヒャルトは嘆息した。
「お前に言われなくても分かっているさ。ただ、彼女には大変な苦労を掛けているから──お前のことも含めてだがな」
「悪かったと思ってます。でも、俺が何もしないでいて、他の人間を雇われても困るだろ?だから──」
「だから、彼女の寝室に出入りしたと」
睨むリヒャルトにウーヴェは慌てて首を振る。
「いや、それは──」
「まあ、今は良い。……お前、私に付けと言われたら、従う気持ちはあるか?」
ウーヴェは目を瞬かせた。息を飲む音が、リヒャルトにも聞こえるほどだ。
「……願ったりですが、私の任は今のものです。国王に断りなくそのようなことはできませんよ」
ウーヴェの言葉に、リヒャルトは自信有り気な顔で笑った。