リヒャルトとレイモン
レイモンからシャリエ伯爵家での出来事の詳細を聞いたリヒャルトは嘆息した。咄嗟に護衛を呼ばないどころか、自ら追い返したアリアンヌに感心しつつも呆れる。危険だと理解して行動している分たちが悪い。
リヒャルトは今日執務室に同じ男がやってきたことを伝えた。レイモンは眉間に皺を寄せる。
「あの男は、ネーレウスの人間です。誰が使っているかはまだ分かっていませんが……ある程度の権力がある人間でしょう」
リヒャルトはツェツィーリエであろうとは思っていたが、軽々しく口に出して良い内容ではなく、その言葉を飲み込んだ。
「ロージェル公爵。貴殿はどのように考えていますか」
レイモンは、娘を心配する父親の表情で真っ直ぐにリヒャルトを見る。リヒャルトは肩を竦めた。
「……おそらく、犯人が使っている駒はあの男だけです。そして不本意なことに、男はアリアンヌ嬢を気に入っているようですね」
「──そうですか」
嘆息したレイモンに、リヒャルトは今日これから家を訪問する許可を取る。レイモンは渋々ながら頷く。
「今夜から、ティモテという護衛をそちらに常駐させましょう。かつて近衛騎士でもあった男なので、役に立つと思います。……夜に寝ずの番でもさせてください」
「貴殿には迷惑を掛ける、すまない」
「いえ、彼女の為です。お気になさらないでください」
リヒャルトはあえて気持ちを和らげようと苦笑した。肩の力を意識して抜かなければ、感情をコントロールできない。レイモンは歳下であるリヒャルトに頼ることを悔しく思いつつも、アリアンヌを守るための最良を選びたいと考えていた。厳しくしているが、ただ一人の可愛い娘なのだ。レイモンの頭には、アリアンヌと同じ髪色で同じ瞳を持つ最愛だった女性の笑顔がちらついた。
「ロージェル公爵、貴殿に相談して良かった」
「いえ、過ぎた言葉です。──私のことは、リヒャルトとお呼びください。こんな面倒な男を身内に入れることを許してくださった、貴方には本当に感謝しております。そして……きっと今アリアンヌ嬢に降り掛かっていることは、私と婚約をしたことが原因なのです。本当に申し訳ありません」
レイモンの感謝の言葉に、リヒャルトは僅かに目を伏せて答えた。リヒャルトはアリアンヌを巻き込んでしまったことを深く後悔していた。動くのは時期尚早だったのではないかとの思いも消えないままだ。ラインハルトが不在では、打てる手段にも限りがある。明日にはラインハルトは戻る予定だったが、その前に今夜も男は現れるかもしれないのだ。
「──いや。そうだ、今日は我が家で食事もしていくと良い」
レイモンは、いつも余裕ある態度でいるイメージであった王弟であるリヒャルトが狼狽えている姿を、初めて見た。目の前にいる公爵を名乗る青年がまだ二十一歳であったことを思い出す。リヒャルトは柔和になったレイモンの態度に苦笑し、更に厚かましい願いを口にする。
「ありがとうございます。……今夜だけで構いません。シャリエ伯爵家にお泊め頂けませんか」
レイモンはリヒャルトの言葉に息を飲んだ。
「それは──」
「明日にはラインハルトが帰ってきます。そうしたら、伯爵邸の警備を表立って強化することもできます。どうか……今夜一晩で結構です、私にもアリアンヌ嬢を守らせてください。お願いします」
真摯な瞳で頭を下げたリヒャルトにレイモンはたじろいだ。慌てて手を振り、頭を上げるよう示す。顔を上げてレイモンを見るリヒャルトに、レイモンは絆された。
「分かった、分かりましたよ、心臓に悪い。……リヒャルト殿、貴殿は他人に取り入るのが上手い。先代王妃様の望んでいらした外交の要になるようにとの願いも、性質に合っていたのかもしれませんな」
「恐れ入ります。ですが母とは、しばらくの間口をきいていなくて。……少々お待ちください。執務室を片付けて参ります」
リヒャルトは苦いものを噛むような表情で立ち上がる。控えているメイドにレイモンの分の新しい紅茶を卒なく頼み、部屋から出て行った。
レイモンと共にリヒャルトはシャリエ伯爵邸へとやってきた。レイモンは内心複雑でありながらも、アリアンヌの為にもリヒャルトとの時間を与えようと、食事の時間まで自室に戻ると告げて席を外した。残されたリヒャルトには、アリアンヌの侍女であるナタリーが付いている。
「ナタリー、久しぶりだな。……アリアンヌは」
「お久しぶりです、ロージェル公爵様。お嬢様はお部屋にいらっしゃいます、ご案内致しますわ」
ナタリーは無駄のない所作でアリアンヌの私室へとリヒャルトを案内した。リヒャルトは後ろをついて行く。アリアンヌには訪ねることを知らせているのだろうかと疑問に思ったリヒャルトは、ナタリーに聞いた。ナタリーは苦笑して答える。
「ええ。先に王城より知らせが。そわそわしてお待ちでいらっしゃいます」
二階へ上がり、ナタリーがある部屋の扉の前で止まった。リヒャルトも従って立ち止まる。ナタリーは扉を叩いた。
「アリアンヌ様、ロージェル公爵様がいらっしゃいました」
「お通しして」
ナタリーが開けた扉から、リヒャルトは室内に入った。初めて入るアリアンヌの部屋は、柔らかな色合いの室礼で統一された女性らしい部屋だ。
リヒャルトがゆっくりと見る間もなく、アリアンヌはリヒャルトの元へと駆け寄ってきた。
「──リヒャルト様!お待ちしておりました。ご心配をお掛けしてしまいましたよね……ごめんなさい」