アリアンヌの心配
翌日は、家からなかなか出られずにいるアリアンヌのため、フェリシテがご機嫌伺いとして訪ねてきた。雪の中馬車を走らせてやってきたフェリシテに、アリアンヌは感謝する。
暖炉で暖められたアリアンヌの私室で、ナタリーが紅茶を淹れる。今日のフェリシテは、先日発売した彼女の新刊を持ってきてくれていた。
「ありがとう、フェリシテ。退屈していたから助かるわ」
紅茶を飲みながら微笑むアリアンヌに、フェリシテは首を傾げた。
「ああ……『アンナ』はしばらくお休みするんですって?貴女にしては賢明な判断ね。面白みに欠けるわ」
「面白みって……」
アリアンヌは嘆息する。フェリシテはアリアンヌの反応を笑って、ふと真面目な表情になった。
「それより貴女。聞いたわよ、先日のトレスプーシュ家の夜会の話。貴女もいたのでしょう?噂になっているわ」
トレスプーシュ家の夜会でシャンデリアが落ちたことと、その事件が人為的に引き起こされたものであることは、すでに王都の貴族中の噂だ。犠牲者こそいなかったものの、王城の捜査部隊が動いているという話と、シャリエ伯爵令嬢であるアリアンヌが参加する夜会を減らしているという話が、余計にスキャンダルの好きな貴族女性の間では様々な憶測を呼んでいる。
「……噂の中には、もしかしたら真実も一つくらい混ざっているかもしれないわね」
苦笑して肩を落としたアリアンヌは、フェリシテに焼菓子を勧める。フェリシテはそれを素直に手に取った。アリアンヌも焼菓子を口に運び、その甘さに緊張を緩めた。シャリエ家の料理人が作る焼菓子は、アリアンヌも好きなものの一つだ。
「あの時、私は誰かに腕を引かれてリヒャルト様から離れたわ。腕を引いたのが誰かは分かっていない。……シャンデリアが落ちてきたのは、丁度私の真上だったのよ。リヒャルト様が気付いてくださらなかったら、私はあの場で死んでいたかもしれないわね」
「それって──」
フェリシテの顔が青くなる。アリアンヌは頷いた。
「ええ、きっと私を狙ったの」
「……なんでそんな平気そうな顔してるのよ。怖いじゃない」
フェリシテはアリアンヌの感情を探るように、碧い瞳を覗き込んだ。アリアンヌは逃れるように僅かに目を伏せる。微笑みを崩していないのに、その表情はどこか寂しそうに見えた。
「リヒャルト様の側にいるから私を排除しようとしているのなら、私が屈する訳にはいかないの。私、彼からもう何も奪わせないって決めているのよ」
アリアンヌ自身に誰かに殺したいほどの恨みを向けられる心当たりは一切ない。まして刺客を使えるような相手となると、立場も限られてくる。きっとラインハルトは、犯人が言い逃れのできない証拠を手に入れたかったのだ。
「アリアンヌ……」
アリアンヌは部屋の窓へと目を向ける。窓は外気温との差で白く曇っていたが、外が白銀に染まっていることはわかった。
「──昨日の深夜、私の部屋にナイフを持った男が来たわ」
遠い目で言ったアリアンヌに、フェリシテは動揺し、紅茶のカップを音を立てて置いた。離れたところにいるナタリーも、初めて聞く話に顔を厳しくしている。
「貴女──よく無事だったわね!?分かってるの、殺されていたかもしれないのよ?」
フェリシテが怒っているかのような勢いでアリアンヌに詰め寄った。来客中であるとはいえ無視できない話に、ナタリーもテーブルの横へ移動してくる。
「説得したらとりあえず帰ってくれたわ。話が通じる相手で幸運だったわね。多分、また来るでしょう」
「貴女ねぇ……」
他人事のような口調で話すアリアンヌに、フェリシテは脱力して椅子の背凭れに身体を預けた。ナタリーは厳しい表情のまま睨むようにアリアンヌを見ている。
「この家の警備なんて、きっとあの男には関係ないのよ。……でも、お陰で犯人の狙いが私だということははっきりしたわ。──ナタリー、怖い顔しないで。後でちゃんと話すから」
アリアンヌは表情を緩ませて笑う。ナタリーには、アリアンヌが何故笑っていられるのか分からなかった。
その日の夜、アリアンヌが食事の席で昨夜の出来事を話すと、レイモンは顔を青くし、アンベールはアリアンヌの様子に苦笑し、マリユスは目尻をつり上げた。
「……我が家に易々と忍び込まれるとは──」
レイモンは誰に言うでもなく呟き、顔を上向ける。レイモンの頭の中では様々な考えがぐるぐると回っているようだった。
「アリアンヌ、怖かっただろう。……今夜は私の部屋で眠るかい?」
アンベールは苦笑しながらも気遣うようにアリアンヌに優しい言葉を掛けた。アリアンヌは微笑みを崩さないまま首を左右に振る。
「いいえ、お兄様。……私は逃げも隠れも致しませんわ」
「アリアンヌ、そうは言ってもお前、殺されそうになってるんだぞ!?それも二回も!分かってんのか?」
テーブルを叩き怒っているのはマリユスだ。アリアンヌはマリユスの言葉に声を上げて笑う。
「ふふ、お兄様ったら怖いお顔。大丈夫ですわ。お父様が今、きっと対応策を考えてくださっていますわ」
アリアンヌはレイモンに視線を向け、僅かに首を傾げる仕草をした。レイモンはアリアンヌを見て、何故か驚いたような顔をする。それから唇を噛み、目線を下げた。レイモンは、らしくもなく大きく椅子の音を立てて立ち上がった。
「──今夜からアリアンヌの部屋の警備を増やす。……すぐにでも公爵に連絡しよう」
「待ってください、お父様。リヒャルト様へは……」
アリアンヌは慌てた。リヒャルトに心配を掛けたくないのだ。望むと望まないに関わらず、きっとリヒャルトをアリアンヌがまた傷付けてしまうことになるのは分かっていた。
「報告しない訳にはいかないのは、アリアンヌにも分かっているだろう。頼るのは癪だが、あれは良い人材を抱えている」
レイモンははっきりと言い捨てると、足早に食堂から出て行った。アリアンヌは落胆した様子で席を立つ。残されたアンベールとマリユスは、互いに視線を合わせて嘆息した。