そして依頼は
その言葉に驚いたのはアリアンヌだった。一度会ったばかりの、よく知らない青年だ。本来頼るべきではない。そもそも、アルトには何の利益もないのだ。
「いえ、結構ですわ。アルト様にもご予定がありましょう」
アリアンヌは笑顔で躱そうとするが、アルトがそれを許さなかった。
「手伝って早く終わらせれば、次は私の依頼だよね」
だから自分もやると言うのか。それで何かあってもアリアンヌには責任を取ることは難しい。説得のために口を開こうとしたとき、依頼人であるパン屋の女性が子供を抱いてこちらへやってきた。
「何かあったの?今日は女三人で来るって言っていたけれど……」
彼女は訝しんだのだろう。誰なのか確認しようとしてアルトの正面に立つと、言葉を切ってあんぐりと口を開けた。アルトはそんな依頼人に対し、完璧な笑顔を作る。アリアンヌは敗北を悟った。
「こんにちは、夫人。私はアンナさんの友人で、アルトと言います。今日は夫人のお引っ越しとお聞きしたので、私もお手伝いできればと思ったのですが……」
ちらっとアリアンヌを伺い眉を下げたアルトに依頼人は同情を誘われたのだろう。勘違いされているのかもしれない。引っ越しの手伝いだと知ったのはついさっきで、居合わせたのも偶然なのに、堂々としているのがアリアンヌは気に入らなかった。
「まあまあ!アンナさんのお友達でいらっしゃったのね。……やだアンナさん、素敵な人じゃないの。私は『是非』お手伝い頂きたいわー」
依頼人は満面の笑みをアルトに向けながら、アリアンヌへと話している。アルトは美貌の使い方を正しく理解しているようだとアリアンヌは思った。そしてまた、依頼人が認めてしまえば、手伝いを拒否することも難しい。
「……かしこまりました。事務所の正従業員ではございませんが、よろしければ本日、四名でお手伝いさせて頂きます」
「まあ、嬉しいわ。男の方がいれば、引っ越しも効率良いはずよ!ありがとう、アルトさん。アンナさん達もこっちへ。家はここですわ!」
最早何の依頼を誰が受けたのか分からなくなってきた状況と元気すぎる依頼人に、アリアンヌは溜息を吐き、一刻も早く依頼を終わらせようと決意した。
家は、一階がパン屋、二階が住居スペースとなっている。パン屋の家具と住むための最低限の荷物は既に新居に運んであるらしい。依頼人の夫が新居の準備をしている間に主に二階部分の荷造りをするという仕事だった。
「壊さなければ好きに触ってくれて構わないけれど、アルトさんはこっちの部屋の物は触っちゃ駄目よ!私は下を片付けてるから、何かあったら声を掛けてね」
クローゼットのある寝室を手で示して、依頼人は一階へと降りて行った。気配が無くなったのを確認して、アリアンヌは指示を出す。
「ナタリー!ニナ!宝石箱の場所と、妊娠中に使った物のある場所、あと手帳やノート、文房具の場所を探して。早く終わらせてしまいましょう!」
ナタリーとニナはその指示に、端から順に引出しや戸棚を開け始める。アリアンヌは部屋を見渡してから、寝室でない方の部屋を指差す。
「アルト様、お手伝い頂けるのでしょう。あちらのお部屋が旦那様のお部屋かと思いますわ。そちらの箱を使って、荷造り、お願いしますね?」
アリアンヌはにこやかにそう言い、右手で箱の山を示す。できるなら早くやってくれれば有り難いし、できないのなら早く帰らせてしまいたかった。
「詰め方なんかに決まりはないのか?」
「壊したり、雑なのは駄目ですわ。よろしくお願いしますね」
踵を返したアリアンヌは、寝室へと足を向けた。枕周りの小棚を開け、目当ての物を探す。途中からニナも寝室へと移動してきた。そして、探し始めてから一時間程経ち、アリアンヌはナタリーとニナと共に、心当たりを中心に集まった。
文房具の入っている引き出しの中にあった小箱、宝石箱の入っていた引出し、育児日記と薬が入ったままの手提かばん、引出しの奥に落ちていたポーチ。端から順に開けていき、中身を確認していく。手提かばんの中、裏生地と表生地の縫い目が解れた隙間に固い感触があった。ニナがそれに気付き取り出す。
「アンナ様!」
それは、シンプルな銀の指輪であった。市民の間で、夫婦の証に身に付けるデザインだ。ニナから受け取ったアリアンヌの掌の上で、控えめに輝いている。
「ニナ!見付かったわね。やっぱり、こういう所にあると思ったわ」
言われるがままに探していたニナは、アリアンヌのその言葉を不思議に思う。アリアンヌは目線でナタリーに続きの説明を促した。
「失くした時期から、そもそも出産時に着けていなかったのではないかと考えたの。妊娠中はむくみ易いから、指輪を外す人が多いと聞くわ。きっと依頼人もそれを知って、指輪を外したのよ。……だから、その時期に触れる物の中にあるということよ」
ナタリーの講義に感心しているニナに、アリアンヌが声を掛けた。
「そういうことよ。私はこれを依頼人に渡してくるわね。二人は荷造りをお願い。……早く終わらせて、露店巡りよ!」
「「はい!」」
ナタリーとニナは、途端に大急ぎで荷造りを始めた。特にナタリーは、アリアンヌの衣装や装飾品を管理しており、長く侍女として勤めているだけあって、大変に早い。アリアンヌも急いで一階へ向かった。
依頼人は、巻いた布でお腹に子供を抱きながら、作業テーブルを拭いていた。アリアンヌは驚かさないよう、軽く入り口をノックした。
「ああ、どうぞ」
アリアンヌはパン屋であったスペースに入り、依頼人の正面にまわった。目線が合い、依頼人が手を止めたことを確認して、口を開く。
「奥様。こちら、ご依頼の品で間違いありませんか?」
広げた掌の中には、先程見つけた指輪があった。それを見た依頼人は、目を瞠った。
「これ、……どこに?」
彼女は作業台越しにそっと手を伸ばし、触れる直前で一瞬躊躇した後、指輪を摘んだ。まじまじと見つめた彼女は、その指輪をあるべき場所──左手の薬指にはめた。
「手提かばんの中に。……育児日記とお薬が入っていたかばんの中、裏地が解れて隙間にありました」
「そう──そうね。あの時、外したままだったのね」
依頼人によると、当時妊娠中だった彼女は病院へ行き、医者の指導で指輪を外した。その時に使っていたのがこの手提かばん。妊娠中はつわりと仕事に余裕がなく、産まれてからは子育てと仕事で忙しくしており、失くしたことに気付いたのは出産後の最初の結婚記念日だったそうだ。
「主人ったら、泣いて謝る私に『また買うから気にするな』なんて言うのよ。でも私は……最初に貰ったこの指輪が良かったの……」
話しながら俯き涙を溢していた依頼人は、抱いている子供が泣き出したことで顔を上げた。慌てて笑顔を作り、子供をあやしている。アリアンヌはそれを見て、花も綻ぶような笑顔を見せた。
「旦那様はきっと、奥様が悲しむのを見たくなかったからそんなことを言ったのね。でも、奥様。その指輪、とても綺麗ですわ。……早く片付けを終わらせて、旦那様に会いに行きましょう?微力ながら、私達もお手伝いさせて頂きます」
彼女はその言葉に、これまでで一番の笑顔を見せて頷いた。