二人の休日
次の日は、抜けるような晴天だった。アリアンヌは赤いワンピースにペチコートを合わせ、ベージュの羊毛のマントを羽織っている。ワンピースは袖口と裾に白いレースが付けられており、女性らしい柔らかな印象だ。髪はシンプルなハーフアップで、赤いリボンで結んでいる。ナタリーに薄く化粧をしてもらい、借りているリヒャルトの変装用の眼鏡を掛けて、アリアンヌはサロンへと向かった。
「──あのっ、アリアンヌ様!」
サロンに入る前の廊下で、アリアンヌはエリスに声を掛けられて立ち止まった。アリアンヌの前で、エリスは精一杯真っ直ぐ立っている。人見知りで何も言えなかった頃と比べたら、大きな成長だ。
「今はアンナよ。どうしたの、エリス?」
アリアンヌが戯けた口調でエリスに微笑むと、エリスは僅かに泣きそうな顔をした。
「今日が最後だって聞きました。……本当にありがとうございましたっ」
エリスはぺこりと頭を下げる。アリアンヌは首を振った。
「いいえ、私は結局依頼を達成できていないわ。だから、エリスには謝らなければいけないわね」
アリアンヌは困ったような表情で眉尻を下げた。アリアンヌにつられて困ったような顔になったエリスは、気を取り直したようにアリアンヌへと近付き、自らの両手でアリアンヌの両手を握った。アリアンヌは突然の行動に驚いて瞬きをする。エリスは緊張して、それでもアリアンヌから目線を動かさずに言った。
「……アンナって相談屋さんなんですよね。相談があるんですけど、いいですか?」
「──え、ええ」
アリアンヌは首を傾げながらも頷く。
「あの、私っ……新しい奥様の侍女になりたいんですけど、どうしたらなれるでしょうか!」
緊張した様子で一息に言ったエリスに、アリアンヌは目を見開いた。
「エリス──」
「私、来年の冬にはこちらにいらっしゃる奥様の侍女になりたいんです。まだまだ足りないところばかりですが……頑張ってもっとできるようになりますっ!アンナは、私になれると思いますか……?」
アリアンヌはエリスの両手をぎゅっと握り返し、とけるような笑みを浮かべる。エリスはその表情に頬を染めた。
「ええ、もちろんよ!エリスが侍女になるの、きっと奥様も楽しみにしていると思うわ。……頑張ってね」
エリスは瞳に涙を溜めながら、それでも溢れさせることなく一礼してその場を離れていった。アリアンヌはその後ろ姿を見送り、サロンへと入る。
「──お待たせしました、リヒャルト様」
アリアンヌはソファに座り新聞を広げているリヒャルトに歩み寄った。リヒャルトは新聞を畳み、テーブルに置く。視線をアリアンヌへと向けると、リヒャルトは慌てた様子で立ち上がり、アリアンヌの元へと歩み寄った。
「アリアンヌ、どうしたんだ?……何かあったのか?」
リヒャルトはアリアンヌの右手を握り、心配そうに顔を覗き込む。アリアンヌは目を潤ませ、顔を赤くしていたのだ。今にも泣き出してしまいそうなその姿にリヒャルトは驚きを隠せない。アリアンヌは握られていない左手を目尻に持っていくと、ナタリーにしてもらった化粧が崩れないよう、眼鏡を持ち上げてそっと左右の涙を指先ですくい取った。
「──違うんです、リヒャルト様。ちょっと……嬉しいことがあって……」
リヒャルトはアリアンヌの様子に安心し、髪を崩さないように優しく頭をぽんぽんと撫でた。少し不器用なリヒャルトの手に、アリアンヌは柔らかな微笑みを浮かべる。リヒャルトはアリアンヌの掛けていた自らの伊達眼鏡を取り、掛ける。その行動に声を上げて笑ったアリアンヌは、リヒャルトが差し出した左手を右手で握った。
王都ナパイアは、活気に溢れていた。老若男女が市場や店に立ち寄っては、買い物をしたり、食事をしたりしている。
アリアンヌはリヒャルトと手を繋ぎ、道行く普通の恋人同士のように歩いた。初冬の冷たい風を、暖かな陽射しが和らげている。
「今日はありがとうございます」
さっき食べたケーキは美味しかった。王城で評判だと言うだけある。マーブル模様のケーキに、濃厚なチョコレートソースがたっぷりかかっていて、見た目にもとても可愛らしかった。リヒャルトが調べて時間をとって連れてきてくれたことが、アリアンヌの嬉しさをより大きくする。
「いや、喜んでくれて良かった。……せっかく家にいてくれたのに、ほとんど一緒に過ごせなかったね。ごめん」
苦笑したリヒャルトに、アリアンヌは首を左右に振った。本当は今日も、リヒャルトにはすることがあったはずだ。昨日の報告はアリアンヌもモーリスから簡単に聞いている。ティモテがトレスプーシュ侯爵邸でツェツィーリエを見たということだ。まだ関与は確定していないが、調査は今も進めているのだろう。リヒャルトが今日の分も明日以降多忙になるであろうことは、アリアンヌにも分かっていた。
「いいえ。私、ロージェル公爵家へ来て、良かったと思っています。二週間でも色々ありましたが……それでも、あの家が好きになれました」
微笑むアリアンヌは、リヒャルトの不安など吹き飛ばしてしまうほど愛らしい。
「貴女にそう言ってもらえるなら、私の選択も無駄ではなかったのかな」
守りたいものがあった。そのために必死で作り上げたものだ。ロージェル公爵家は、リヒャルトにとっての覚悟の証だった。アリアンヌが好きだと言ったことで、リヒャルトにとってあの家の意味が変わっていくのだろう。
「ええ、ですから私──予定より少し早いですが、相談屋をお休みしようと思います」
アリアンヌの言葉に、リヒャルトは足を止めた。驚いているリヒャルトに、アリアンヌは笑顔で説明をする。
「『奥様』になるために、私にもまだ足りないことが沢山あります。私も負けていられませんもの」
「──そうか、分かった。貴女の決断なら、尊重するよ。私ももっと頑張らなければな」
リヒャルトは微笑み、止めていた足を前へと踏み出した。アリアンヌは穏やかなリヒャルトの横顔を盗み見る。言葉にしなかったもう一つの理由を、心の中で呟いた。
──それにその方が、リヒャルト様も安心してくださるでしょう?──
空は抜けるように青い。まるで二人の未来を祝福するかのように、美しい鳥が悠々と飛んでいった。
これにて第二章は完結です。
お読み頂き、ありがとうございました。
この後は、一度登場人物を整理した後、第三章へと入っていきます。
第三章では、あの黒髪の男性にもスポットが当たる予定です。楽しみにお待ち頂ければ幸いです。
引き続き楽しくお読み頂けるよう頑張りますので、これからもよろしくお願いします!!