トレスプーシュ侯爵家の夜会1
リヒャルトの元には、次から次へと貴族が挨拶と機嫌伺いにやってくる。リヒャルトはアリアンヌから離れないまま、卒なくそれらに対応していた。アリアンヌは笑顔を貼り付けたままで、時折り相槌を打っている。
「……これは、疲れるね」
丁度挨拶に来る人が切れた瞬間、リヒャルトがアリアンヌに小さく言った。アリアンヌも頷く。
「ええ……そうですわね」
実際、挨拶に来る貴族は普段の夜会よりも癖があるというか、内心を窺おうとしているようで、アリアンヌは辟易していた。しかし、分かったこともある。この夜会の招待客は、貴族議会派の貴族と、中立派の中でも日和見主義の貴族を中心にしているようだ。派閥の勢いを増したい狙いがあるのだろう。力を見せつけることは、即ち勢いに巻き込む力がある。実際、中には男性だけで話し込んでいる人々も多くいる。その同伴の女性は、女性だけで集まってお喋りに花を咲かせているようだ。その気安げな様子から、このような夜会が何度か開催されているのであろうと推察できる。中央のダンスエリアでは何組かの男女が音楽に合わせて踊っているが、王城の舞踏会と異なり、初対面の男女らしきペアは少なかった。
そのような空間で、リヒャルトとアリアンヌは明らかに異質だった。派閥の話を避け、常に二人揃って行動しているのだ。今日の夜会の趣旨には全くそぐわないのだが、リヒャルトの立場から、声を掛けに来る貴族は後を絶たない。アリアンヌに向けられる視線も、悪意のあるものや値踏みするものが多く、正直気持ちの良いものではない。
「今がチャンスだな。……一曲踊って頂けますか?」
リヒャルトは次の貴族がやってくる前にと、芝居がかった仕草でアリアンヌに左手を差し出した。アリアンヌは苦笑し、左手に右手を重ねる。
「ええ、もちろんです。貴方の腕の中で、今宵最も美しく舞う蝶になりましょう」
リヒャルトだけを視界に入れ、アリアンヌは戯けた口調で返す。リヒャルトは笑い、手を引いた。アリアンヌは引かれる手に従い、ダンスエリアの中心に進む。リヒャルトの左手がアリアンヌの腰に回され、音楽が変わった瞬間、二人は揃ってふわりと一歩を踏み出した。
少しリズムの早い音楽に合わせ、アリアンヌは妖艶な笑みでくるくると踊っている。それは指先のひとつからドレスの裾にまで意識が通っていると言って良いほどに美しかった。さらさらと髪が揺れ、髪飾りがシャンデリアの光を反射してキラキラと輝く。リヒャルトと動く一歩一歩が、ドレスのエメラルドとサファイアを見せつけるかのようだ。踊るリヒャルトとアリアンヌに、視線が集まっているのが分かる。その姿に何組もの貴族が小声で囁き合っているのも見えた。リヒャルトはアリアンヌの意識を引きつけるように口を開いた。
「今日は更に美しいよ、アリアンヌ」
「まぁ、リヒャルト様ったら。リヒャルト様と参加する夜会ですし……陛下からのドレスが華やかですから」
アリアンヌの言葉に、リヒャルトは僅かに顔を顰めた。
「今日は貴女に嫌な思いをさせているな、すまない」
「──いえ。リヒャルト様が一人でなくて、良かったと思っていたところですわ」
アリアンヌとリヒャルトは仲睦まじげに顔を寄せ、周囲に聞こえないように話している。アリアンヌはリヒャルトに、強がりだけでなく言った。それは嘘偽りのないアリアンヌの気持ちだ。リヒャルトはアリアンヌを愛おしそうに見つめる。
「……これが終わったら、明日は休みを貰っている。二人で、町にでも出ようか。お忍びで散策をして、新しくできたケーキ屋に行こう」
リヒャルトの申し出に、アリアンヌはぱっと表情を輝かせた。
「わぁ、素敵!では、あと少しの辛抱ですわね」
「ああ、私も頑張ろう」
リヒャルトはラインハルトから、今日参加している中でリヒャルトに挨拶に来た貴族と、特筆すべき会話の内容を報告するように言われている。期待外れではあるが、通り一遍な挨拶が多かったので、すぐに終わるだろう。今夜中に作成し、明日にはモーリスに届けさせれば良いと考えていた。
「あまりご無理はなさらないでください」
眉尻を下げて言うアリアンヌに、リヒャルトは優しく微笑んだ。
ダンスを終え端に寄ると、乾杯のグラスを渡してきたのと同じ給仕が果実水を二杯リヒャルトに手渡した。うち一杯をリヒャルトがアリアンヌに手渡す。アリアンヌは、あの給仕はラインハルトの潜入者だろうと思った。ダンスで少し火照った頬を、冷たい果実水が冷やしてくれる。アリアンヌは少し飲み、ほっと息を吐いた。
「──どうもどうも、ロージェル公爵殿。素晴らしいダンスでしたな」
貴族の男性が三人連れでリヒャルトに声を掛けてきた。リヒャルトはそれに笑みを貼り付けて返す。
「こんばんは、皆様。今日は良い夜ですね」
三人はリヒャルトを囲うようにして会話を始めた。