作戦会議
「もちろんです。……当日までには全て頭に入れておきますわ」
アリアンヌは戯けたように笑うと肩を竦めた。リヒャルトはアリアンヌの仕草に目を細め、伸ばした手で髪を優しく撫でる。アリアンヌは首筋で動く髪がくすぐったくて、小さく首を竦めた。甘やかな空気のまま、話はより深刻になっていった。
「今回の夜会は、貴族議会派の貴族達を集めたもので、派閥の中でも有力者であるトレスプーシュ侯爵家主催のものだ。その招待状がロージェル公爵家に届けられて、私は出席の返事をした。同伴者として貴女を連れて行くつもりで、ね。……分権王国派が私を取り込もうとしている動きを牽制するつもりなのか、私の勢力を削ぎたい者が何かを企てているのかは分からないが、罠なのは間違いないだろう」
リヒャルトはアリアンヌの髪を撫でるのを止めずに話し続ける。アリアンヌはリヒャルトのエメラルドの瞳をじっと覗き込んだ。
「しかし、今回は──」
「ああ。私が出席の返事をしているのを知った上で、ラインハルトが重ねて出席するよう命じたんだ。私達を囮に、自分の駒を使ってかつて王位簒奪を計画した者の手掛かりを掴みたいようだ。……だから、貴女にとっては危険なものになる。断っても誰も咎めることはないよ」
「あら、リヒャルト様。──それを聞いて、私が断るとお思いですの?」
アリアンヌはリヒャルトの言葉に不敵な笑みで返す。元来アリアンヌは好戦的なところがある。しかも、かつて王位簒奪を計画した者とは、リヒャルトから五年間もの時間を奪った者と同義だ。リヒャルトはアリアンヌの言い様に嘆息した。
「……貴女を危ない目に合わせたくないはずなのに、貴女と共に危険に飛び込もうとしている。矛盾だな」
「……あら、リヒャルト様が一人で危険と戦っていらっしゃるより、私は心穏やかでいられますわ。どうぞ、巻き込んでくださいませ」
アリアンヌは内心の不安を気取られないよう、細心の注意を払ってリヒャルトと瞳を合わせる。髪を撫でていたリヒャルトの手が肩を掠め、腕を滑り、アリアンヌの手と重なった。包み込むようにアリアンヌの手を握るリヒャルトの手は、固く温かかった。アリアンヌの手より大きく、長い指にも節がある。リヒャルトの手からアリアンヌの少し冷えた指先に、熱が伝わっていくのを感じた。リヒャルトは真摯な瞳でアリアンヌの澄んだ湖面のような碧い二つの瞳を覗き込んだ。
「当日は私から離れずにいてほしい。同行はティモテとニナに頼んでいるから、どうしても離れる時は彼らと行動するように」
「えぇ、そう致します」
アリアンヌはリヒャルトを安心させるように、リヒャルトの瞳から視線を逸らさずに頷いた。リヒャルトは小さく顔を歪ませ、アリアンヌの手を引いた。アリアンヌはその引力にリヒャルトの胸の中に倒れ込むように抱き締められた。
「……必ず守る」
リヒャルトが抱き締める腕は、アリアンヌには少し痛い程だった。それはアリアンヌを抱き締めていながら、リヒャルトがアリアンヌに縋っているようでもある。アリアンヌはその力の強さに悲しくなって、リヒャルトの背におずおずと腕を回し、抱き締め返した。リヒャルトの腕の力が緩み、アリアンヌは呼吸が楽になる。
「私は……私は、どこへも行きませんわ。リヒャルト様のお側におります」
リヒャルトはアリアンヌのサイドに流されている長い髪に顔を埋めている。甘えるようなその仕草に、アリアンヌはリヒャルトの側にいたいと思った。
「貴女は、私の欲しい言葉を口にするのが得意だ」
「そんなことありませんわ」
アリアンヌが小さく笑うと、リヒャルトも笑って抱き締めていた腕を離した。少し寂しさを感じながらも、アリアンヌはリヒャルトの胸から離れる。この場所から姿は見えないが、声は聞こえるところにナタリーとニナがいるはずだ。他の使用人もいるだろう。アリアンヌは急に恥ずかしくなって、頬を染め俯いた。リヒャルトはそんなアリアンヌを可愛らしく感じ、微笑ましく見つめている。
「……リヒャルト様、そんなに見ないでくださいませ」
「何故だ。可愛い婚約者の姿を見つめていたいと思うのは当然だろう?」
リヒャルトはアリアンヌを揶揄うように言った。面白がっているのだと分かって、アリアンヌは頬を膨らませてリヒャルトを睨んだ。赤い顔で目を潤ませて睨んでも、リヒャルトには可愛いだけなのだが。
「リヒャルト様……」
「ごめんごめん。アリアンヌが可愛いからつい──」
「リヒャルト様っ!」
アリアンヌの様子にリヒャルトは苦笑した。アリアンヌは嘆息し、肩の力を抜いてソファの背もたれに身体を沈める。リヒャルトは少し前のめりになってソファーテーブルからカップを取り、紅茶を一口飲んだ。
「……リヒャルト様は、たまに意地悪です」
アリアンヌは拗ねたように言った。
「アリアンヌにだけだよ、許してくれ」
アリアンヌはリヒャルトの言い方をずるいと思ったが、嬉しくも感じた。身体を起こし冷めた紅茶を飲めば、反比例して心は温まるようで、アリアンヌは薄く笑みを浮かべる。アリアンヌの表情に安心したリヒャルトは、話を戻した。
「──明日の昼には、ラインハルトからドレス一式が届く。明日は帰りが遅くなるから、確認して問題があればモーリスと相談してほしい」
「ありがとうございますと、陛下にお伝え頂けますか?」
「いや、汚しても破いても構わないように、ラインハルトに頼んだんだ。アリアンヌは気にしないでいいよ。でも、分かった。伝えておくよ。──おやすみ、アリアンヌ」
「おやすみなさい、リヒャルト様」
リヒャルトは微笑み、最後にアリアンヌの頭をぽんぽんと撫でた。立ち上がると名残惜しそうにアリアンヌを振り返り、自室へと帰っていく。アリアンヌはナタリーに声を掛けられるまで、そこから動けないままでいたのだった。