依頼と再会
社交シーズンの始まりを告げる王城の舞踏会も三日後に迫る今日、アリアンヌはナタリーとニナを連れ、依頼人の引っ越しの手伝いに来ていた。依頼は「指輪を探す」ことだ。
依頼人の家は王都ナパイアの商業地区の裏通りにある。乗合馬車で近くまで行き、そこから徒歩で向かう。
「この辺りは王都でも中心にほど近いので、治安は良いですねー」
ニナは久しぶりの風景に興味津々だ。見兼ねたナタリーが注意する。アリアンヌがデビューした去年から侍女として働き始めたニナは、ナタリーの部下にあたる。アリアンヌの日常の世話をしているのは二人とも同じだが、長年共に育ち、衣装や宝飾品の管理を主に任されているナタリーと違い、男ばかりの兄弟達とともに剣技を学んだ男爵令嬢のニナは、行儀見習いの名目でアリアンヌの護衛のためにレイモンに雇われた。侍女としての振る舞いは、学んでいる最中である。
「ニナ。危ないから前を見て歩きなさい」
「はい、先輩!」
ビシッと手を挙げて答えたニナに、ナタリーは苦笑を堪えて厳しい顔を作った。
「先輩ではなくて、ナタリーよ。アンナ様の前では私のことも名前で呼ぶの」
「はい!わかりました、ナタリー。……あ、アンナ様あんまり離れないでくださいね」
二人が話している間に露店に惹かれて立ち止まったアリアンヌに、ニナが早足で近付く。ニナは奔放だが、アリアンヌのことはよく見ている。ナタリーは、なんだかんだとしっかり仕事をしているニナを微笑ましく思った。
「あ、ごめんなさい。可愛くて思わず……」
アリアンヌの目線の先には、小さなステンドグラスの欠片で作られた蝶の髪留めが並んでいた。蝶はカラフルで可愛らしいものから同系色で揃えた上品なものまで様々だ。
「わぁ、本当に素敵ですね、アンナ様」
近付いてきたニナもあまり自らの足で外出したことは多くなく、その珍しさに目を輝かせた。そこへ、懐中時計を取り出して時間を確認したナタリーが慌てて駆け寄る。
「アンナ様、ニナ。依頼人の家に参りましょう。約束した時間まで、あと少しです」
ニナは残念な気持ちを隠さず表情に出す。アリアンヌはニナの肩を軽く叩いて笑った。
「早く指輪を見つけて、時間が余ったらこの辺りを散策しましょう。ニナにとっても面白いものがきっとあるわ」
「わぁ、よろしいのですかっ?」
「アンナ様、ニナをあまり甘やかさないでくださいませ」
嬉しそうなニナを見ると、アリアンヌも嬉しくなる。珍しい露店を回るのも、きっと楽しいだろう。
「私も楽しみだわ。ナタリーも、たまには息抜きも必要よ」
早く仕事を終わらせようと、アリアンヌは今回の依頼を思い返した。
依頼は直接手紙でアリアンヌの事務所へ届けられた。指輪を探して欲しい、という依頼に、事情を聞きたいと返事を出し、コンタクトが取れたのは一週間前。やって来た女性は、商業地区でパン屋をしていると言った。
彼女は、店を大きくするために引っ越しをすること、まだ一歳と少しの子供がいること等を語った。
「奥様がパンを作ることはあるのですか?」
「やだねぇ、奥様、なんて恥ずかしいわぁ。でもそうね、私は作ってないのよ。旦那が作ったものを私が売るってのが殆どだね。指輪は……失くしたことに一年くらい前に気付いたの。その頃はまだ0歳だった子供についてることが多くて。私の代わりに旦那が売ってることもあったよ」
なにせ忙しいからと、右手を何かを扇ぐようにパタパタと動かしながら、パン屋の女性は語る。二十代半ばであろう彼女は、膨よかな顔を緩ませてカラカラと笑った。
「その指輪は、子育ての時にも着けてましたか?」
アリアンヌの言葉に少し考えた様子を見せた後、女性は答えた。
「そうねー、多分着けていたよ」
「多分、とは?」
「指輪って、着けたままでいるともう身体の一部みたいになんのよ。だから、わざわざ外す機会なんて、そうそう無いの。だから、きっと外してないかなって」
「そうですか。ありがとうございます。それで、指輪の場所ですが……」
アリアンヌがおずおずと口を開くと、重ねるように女性が話し始めた。まず可能性の一番高い場所を自ら調べて貰おうと思ったのだ。
「それなんだけどさぁ。丁度来週、引っ越しするから全部ひっくり返すのね。丁度良いから、探しがてら手伝ってくれない?」
「お引越し、ですか?」
「そうなの。今度パン屋を移転することになってて。色々ひっくり返して良いから、引っ越しの前日に来てくれると嬉しいわぁ」
アリアンヌは彼女の本来の目的が、引っ越しの手伝いであることを悟った。指輪を見つけたい気持ちにも嘘はないだろうが、どうやら引っ越しの割合が高い気がする。
「……私達では女手ですし、男性の方へ依頼した方が良かったのでは?」
「男の人だと、受けてくれなかったのよぉ。『俺の仕事じゃない』とか言っちゃって。まったく頑固よねぇ」
その人の言うことにも一理あるとは思うが、流石に明け透けではないか。アリアンヌは眉を顰めた。
「……わかりました。私が助手を二名連れて参ります。女ばかりですが、よろしくお願いしますわ」
思い返して、アリアンヌは頭に血が上っていたことを自覚する。貴方の仕事でなきゃ誰の仕事よ?!と、文句を言ってやりたい気持ちだった。アリアンヌは感情を隠すのがあまり上手くないと自負しているが、勢いで引き受けた感は否めない。女手だけでできる引っ越しの手伝いというのも、限りがあるだろう。
アリアンヌが嘆息したとき、目の端に知っている人物を捉えた。町の人に何かを見せながら話をしているらしい。アリアンヌが目で追っていると、相手もこちらに気付いたのか目線が絡んだ。直ぐに会話を切り上げると、アリアンヌ達の元へと駆け寄ってくる。ナタリーがその相手に顔を顰めた。
「こんにちは、アンナさん。私のこと覚えてる?」
「忘れるわけありません。二日振りですわ、アルト様」
二日前に事務所を訪ねてきて、用件も言わずに何故か慌てて帰った男だ。印象に残らない訳がない。ニナが斜め後ろで見惚れているのが分かる。
「ああ、あの時は悪かった。……ちょっと急用でね。今日はお詫びと依頼をと思ってアンナさんの事務所に行ったけど留守だったから、自分でも調べてみていたんだ」
眼鏡の奥の目を細めて苦笑したアルトは、右手で小さく頭を掻いた。悪人ではないようだが、何故自分で調べるのか不思議である。きっと良い家の子息なのだから、アリアンヌより他のもっとしっかりした機関に依頼した方が良いのではないか。
「そうでしたの。今日は他の依頼がありますので、また改めてお聞きさせて頂きますわ」
早く依頼人の元へ向かわなければと、さっさと話を切り上げようとしたアリアンヌに、アルトの背後から声がかかった。
「あ、アンナさん!待ってたよ。今日は引っ越しの手伝い、よろしくね!」
依頼人の女性である。なかなかに大きな声で呼んだものだ。しかも目的が指輪ではなく引っ越しと言ってしまっている。
「こんにちは。すぐお伺いします!」
そう返して、目の前のアルトに向き直った。
「そんな訳ですので、これで失礼しますわ」
通り過ぎようとしたアリアンヌの左腕が、アルトの手で止められた。驚いたアリアンヌは目を丸くして動きを止める。ニナが間に入り、その手を振り払った。
「……何か用?」
ニナ。声が低いわ。明らかに普通の女の子って感じではないわ。アリアンヌは呆れ、嘆息する。目線をアルトの目に戻すと、口を開いた。
「アルト様、どうなさったのですか?」
「いや──引っ越しの手伝いも相談屋の仕事なのか、と。見たところ女の子だけみたいだし」
「いいえ、依頼は探し物ですわ。『ついで』に引っ越しの手伝いもして欲しいということで」
アルトは半目でアリアンヌを見た。先程掴んだ腕は令嬢らしく細かった。町娘とは比較にもならないか弱さである。
「そういうことか。どっちが本来の依頼なんだか。……わかった。私も手伝おう」
アルトがどんどん胡散臭くなっていく……