アリアンヌの憂鬱
「アンナ様、聞いてください!犯人はティモテでしたわ!」
「ちょっ、ニナさん!犯人って酷くないですか?!」
執務室に入ってきたのは、ティモテの腕を掴んで引きずるように引っ張っているニナだった。ティモテは青い顔でニナにされるがままだ。アリアンヌはその異様な光景に衝撃を受け、何も反応ができないでいた。アリアンヌの代わりに、モーリスが状況を尋ねる。
「ニナ様、ティモテは何の犯人なのですか?」
「もちろん、エリスさんに真実を全て伝えてしまった犯人です!」
ニナの言葉に、ティモテは目を丸くし、アリアンヌは現実を受け止めたくないと目を逸らして嘆息した。
「本当に申し訳ありませんでした!」
ティモテはいつになく真剣な様子でアリアンヌに頭を下げる。ティモテをここまで連れてきたことで少し落ち着きを取り戻したニナが、紅茶を淹れて四人それぞれの前に置いた。アリアンヌはティモテに聞く。
「謝らないで。謝罪より、どうしてエリスに真実を伝えようと思ったのかを教えて欲しいわ」
真剣な表情のアリアンヌに、自然とニナとモーリスの表情も引き締まる。ティモテは真っ直ぐにアリアンヌの目を見て話し始めた。
「エリスさんは──あの子は、何でも良いから自分で選択をするべきです。このままでは、いつかきっと後悔してもしきれない日がきてしまう。僕は……かつての僕のような失敗だけは、してほしくなかったんです」
「ティモテ……」
ロージェル公爵家の立ち上げから関わっているモーリスは、ティモテの事情を知っている。それでもティモテがそのように考えていたことを知って驚きを隠せなかった。アリアンヌはティモテの後悔が何なのかを知らない。しかし、何かがあって、同じ思いをエリスにさせたくないという気持ちは伝わった。
「ええ。だから、少しずつ──」
「僕やあの子のような人間に、少しずつ成長するなんて無理です。大きな何かがなければ……そんな簡単には変われないんです!」
急に大きな声を上げたティモテにアリアンヌは目を丸くした。ティモテは感情が昂ぶった自分を恥じるように苦笑する。
「──ごめんなさい。ですが、僕自身がそうだったように、あの子は自分で何かを決めて、それに自信と誇りを持つべきだと思いました。導いてくれる人に甘えていては駄目なんです。大切なことは……自分で選べるように」
アリアンヌは肩の力を抜いた。ティモテの誠意を理解してしまえば、叱ることも問い詰めることもできない。
「ティモテの言うことも尤もですわ。ですが、エリスはティモテではありません。……これからは先に相談してくださいね」
「はい、ありがとうございます」
ティモテは一度言葉を止め、逡巡するような素振りを見せた。アリアンヌは首を傾げる。決心したのか、ティモテはアリアンヌを射るように見据えた。
「ですがアリアンヌ様──貴女がたの優しさは、美徳ですが……残酷ですね」
ニナはティモテの挑戦的な態度に息を飲んだ。アリアンヌはそれでもティモテの言葉に穏やかな笑顔を崩さず、既に冷めてしまった紅茶を美しい所作でゆったりと飲んだ。
その日の夜、アリアンヌはこれまでよりも少し早い時間に自室へと戻っていた。今日はあれ以降ティモテの言葉が頭から離れず、ただでさえ苦手な書類整理に余計に時間がかかってしまった。エリスの様子も見に行けていない。
表情には出していなかったが、アリアンヌはティモテに言われたことに動揺していたのだ。
使用人の部屋とはいえ、リビングには窓側に書き物用の机と、中程に二人までが使えるサイズのテーブルセットがある。アリアンヌは机に向かい、手元のランプの灯りを大きくした。エリスに手紙を書こうと思ったが、様々なことが脳裏をよぎり、一文字も書き始められずにいる。夜着の上には暖かいストールを羽織っているはずなのに、身体が冷えていく。見つめる窓からは外の景色が見えず、反射する光でアリアンヌ自身の姿を頼りなげに映していた。
部屋の入り口が控えめにノックされたのは、その時だった。アリアンヌしかいない部屋に、その音は意外にも大きく響いた。
隣室にいるニナがアリアンヌの様子を見にきてくれたのだろう。シャリエ伯爵家ではいつも側にいたニナには動揺を誤魔化すことはできないと、アリアンヌは知っていた。
「開いてるわ、入って」
アリアンヌの背後で扉が開く音がした。足音が聞こえ、静かに閉じられる。アリアンヌは少し顔を俯けたまま、口を開いた。
「ごめんなさい、ニナ。今日は心配かけて──」
「こんばんは。ニナじゃなくてすまない」
アリアンヌは予想していなかった声に、弾かれたように顔を上げて振り返った。
そこにいたのはリヒャルトだった。既に帰宅して着替えをした後なのか、くつろいだ服を着ている。
「リヒャルト様──」
アリアンヌはあまりの驚きにそれ以上の言葉が出てこなかった。澄んだ湖面のような碧い瞳を机上の灯りで揺らし、目を見開いてリヒャルトから視線を逸らせない。アリアンヌはリヒャルトに捕らえられてしまったような錯覚に陥った。
リヒャルトは固まってしまったアリアンヌに苦笑して、左手に持っている簡素な袋を小さく掲げた。
「……せっかくアリアンヌが家にいるんだ。一杯、付き合ってもらいたくてね。どうかな?」
リヒャルトの悪戯な笑みが仄暗い部屋で艶っぽく見える。それに頬を染めて、アリアンヌはやっと身体の自由を取り戻した。