買い物に行こう2
エリスはメニューに目を滑らせていたが、なかなか決めることができずにいる。目線を忙しなく動かすエリスに、アリアンヌが助け船を出した。
「エリスは今お腹空いてる?」
「……あ、はい。でもっ、あんまりいっぱいは……食べられないと思います……」
エリスの返事に、アリアンヌはレシピを確認する。
「それなら、ベーグルサンドはやめた方がいいかしら、結構お腹に溜まるから。スフレオムレツか、かりかりベーコンのサンドウィッチが良いと思うけれど」
「ええと……」
「もし良ければ、私スフレオムレツだから、エリスはサンドウィッチを頼んで半分こしない?私、そっちも気になってたの!」
楽しそうに笑うアリアンヌに、エリスは心底ほっとした表情で頷いた。
「はい、そうします……!」
エリスが笑ったことで、ニナも安心した。ティモテが店員を呼び、注文を済ませる。しばらくして頼んだものがそれぞれ運ばれてきた。
「まぁ、美味しそうね」
「本当ですね、アンナ様!」
料理からは湯気が上がっている。温かいまま提供されたようだ。アリアンヌは真っ先に自らのオムレツと付け合わせのパンを半分にし、隣に座っているエリスの皿に乗せた。
「はい、半分こ」
「ありがとうございます……!アンナも、これ……」
エリスもサンドウィッチをナイフで半分に切り、アリアンヌの皿に乗せる。それを見たニナが羨ましそうな声を上げる。
「あ、なんか仲良さそうに見えますね」
「ニナったらもう……エリス、ありがとう。では、いただきましょう」
店の食事は美味しかった。あまり味は濃くないが、テーブルに置いてある塩を自由に入れて良いという配慮がされており、それぞれが好みの味で楽しめるようになっている。食後の紅茶まで楽しみ空腹を満たしたアリアンヌ達は、早速、目的の買い物へと繰り出した。
その頃、王城のラインハルトの執務室では、ラインハルトに呼ばれたリヒャルトが不機嫌そうに侍従が持ってきた軽食を摘みながら、いくつかの書類の束を読み込んでいた。
「リヒャルト。食べるか読むかどちらかにしたらどうだ?」
ラインハルトの言葉にリヒャルトは書類を机に起き、椅子に寄り掛かって嘆息した。
「……早く帰りたいんだよ」
リヒャルトの素直過ぎる態度に、ラインハルトは喉の奥を鳴らして笑った。
「ああそうか、今は婚約者殿が滞在中なんだったな。それは早く帰りたいだろう。……よくシャリエ伯爵が許したな」
「あの父親は、娘には特に弱いみたいだ」
「ああ、アリアンヌ嬢の希望だったんだね。それはそれは、仲の良いことで」
揶揄う口調のラインハルトに、リヒャルトは眉間の皺を深くした。自らそれに気付き、右手の人差し指と中指をそこに当てて皺を伸ばす。そして、机の上にあった白紙に万年筆で何かを書き始めた。
「……彼女は私より、使用人達との交流を深めているようだ。ありがたいことだが、私としてはもう少し二人の時間を取りたい」
何でもないような表情で結構な惚気を言うリヒャルトに、ラインハルトは思わず咳き込んだが、惚気た自覚のないリヒャルトは不思議そうな顔だ。ラインハルトは溜息を吐いた。
「リヒャルトの人誑しは天性の才能だよ。当然のように惚気言ってるのに、本人は全くそれに気付かないんだからな。……アリアンヌ嬢も苦労する」
ラインハルトの言い様に少し不満を覚えたが、リヒャルトはそれをぐっと飲み込んだ。反論しても、この件については分が悪いことは分かっているのだ。
「──ともかく、だから早く帰りたい。というか貴族議会派のトレスプーシュ侯爵家の夜会に行くんだ。代わりの休日を一日くらい欲しいんだが……」
「それについては、私も申し訳なく思っているんだ。特にアリアンヌ嬢にはね。……だが、私が行くように指示をする前から、リヒャルトは既に参加の返事を出していたのだろう?」
ラインハルトが真っ直ぐにリヒャルトを見た。リヒャルトは知られていたことに驚き、感情を読み取られないようにそっと視線を斜めに逸らした。
「はは、ごめんごめん。あの家には既に潜入者を入れているからね。私からの指示と支援もあった方が、リヒャルトも色々動きやすくなるだろうと思ったんだ。……ああ、もちろん駄目にされてしまうかもしれない衣装についてはこちらで負担するし、万一の為の護衛や当日の会場の潜入者は用意しておく。休日……は、夜会の翌日だったらどうだ?」
ラインハルトがそう言うと、リヒャルトはエメラルドの瞳をきらりと輝かせた。
「言ったな?……ではここにサインを」
リヒャルトは立ち上がりラインハルトの側まで歩いてくると、話しながら書いていた紙をラインハルトに渡した。
「何?……休日誓約書。ラインハルトは、トレスプーシュ侯爵家の夜会翌日の休日に、リヒャルトに一切の公務を要求しないことをここに誓約する、って。──わざわざ作ったのか、これ」
呆れたラインハルトに、リヒャルトは真面目な表情で言い返した。
「今作った。これくらい書かないと、これまでの経験上、絶対何かあるって分かっているからな」
「分かった分かった。事後処理はこっちでやれと言うことだな、仕方ない」
ラインハルトはガラスペンを手に取りインクを付けると、大らかだが美しい筆跡でその紙にサインをした。リヒャルトはそれを受け取ると、満足げな笑みで自らの机に戻り、くるくると丸めて鍵の付いた引き出しの中にしまい込んだ。