予定変更の知らせ
帰宅したリヒャルトをモーリスが玄関まで出迎える。アリアンヌは集中し過ぎてしまったことを後悔しつつも、今日の成果に満足していた。
しばらくすると、リヒャルトがモーリスを伴って執務室にやってきた。リヒャルトはアリアンヌを見つけると、甘やかな笑みを浮かべる。
「アンナ、ただいま」
「おかえりなさいませ、リヒャルト様」
微笑みを浮かべて腰を折り挨拶をしたアリアンヌに、リヒャルトは苦笑した。
「……不思議な感覚だな、これは」
「私もそう思いますわ、リヒャルト様」
アリアンヌはころころと楽しそうに笑った。リヒャルトは、帰宅してアリアンヌがいることに喜びを感じるも、アリアンヌがメイド姿であることが不満でもあった。
「しかし使用人では、一緒に食事をする訳にもいかない」
「そうですわね。お食事はまだでしたの?」
アリアンヌの質問に、リヒャルトは頷いた。
「あぁ、その後少し話がある。貴女もこれから食事だろう。食事を終えて、一時間後にまた執務室に来てほしい。その時はメイドとしてでなく。……あと、ニナも連れてきてくれると助かる」
「かしこまりました」
アリアンヌは一礼して執務室から出た。先にニナの部屋に顔を出した。ニナは仕事を終えて部屋に戻っていて、アリアンヌが食事をしている間に、着替えの準備をしておくと言った。
アリアンヌは使用人用の食堂で食事を済ませ、三階の自室へと戻った。
「アンナ様、おかえりなさいませ」
ニナは先に部屋で待っていた。ニナは既に着替えを済ませており、アリアンヌの服も選んでくれているらしい。
「ありがとう、ニナ」
アリアンヌはニナの手を借りて着替えをした。オレンジ色のワンピースは、袖口がふわりと広がっている。ウエストまでのすっきりとしたシルエットに対し、ほぼ円形にカットされたスカート部分は、少し動くだけでもひらひらと揺れる。
三つ編みを解いた髪は、自然にできたウェーブを活かし左側に緩く纏め、以前貰ったガラスの蝶のヘアピンを着けた。
ニナに薄く化粧をしてもらったアリアンヌは、くるりと鏡の前で一周する。
「どうかしら?」
ニナはアリアンヌを見て満足げに笑った。
「素晴らしいですわ、アリアンヌ様。どこからどう見ても、商家の美しいご令嬢です!」
「そう?ありがとう、ニナ。では、行きましょうか」
アリアンヌはニナを伴い執務室へと向かう。扉をノックして中に入ると、執務室では、リヒャルトが執務机に座り、傍に立つモーリスと会話をしていたようだ。
「お待たせ致しましたか?」
リヒャルトはアリアンヌに視線を向け、笑顔になった。
「いや、時間通りだよ。呼び出してすまない」
リヒャルトはアリアンヌとニナにソファを勧め、自分も向かい側に移動した。モーリスは用意していたのであろう紅茶を三人分淹れ、リヒャルトの斜め後ろに立った。
「リヒャルト様、お話とは何でしょうか」
「ああ。今日王城に行ってきたんだが、十日後にトレスプーシュ侯爵家で夜会が開かれるらしい。それに私とアリアンヌが揃って参加するようにと、今日ラインハルトに頼まれた」
十日後といえば、アリアンヌがロージェル公爵家にいる予定の最終日の前日だ。アリアンヌは目を見開いた。リヒャルトは困った表情で、アリアンヌを見ている。
「それは──」
「そうなんだ。以前、アリアンヌに絡んでいた令嬢の家だ。しかもアリアンヌは、対外的には婚約者としてこの家に滞在していることになっている。その日は、ここで身支度をして王城に出向く必要がある」
アリアンヌは目線を逸らした。それは、お忍びでいられる期間が短くなってしまうことを意味している。少なくとも前日からは、夜会の準備をする必要があるのだ。ましてトレスプーシュ侯爵家の夜会にラインハルト直々に参加するように言ってきたということは、そこには何らかの意図があるのだろう。アリアンヌは嘆息した。
「……仕方ありませんわね」
ニナは隣で顔を青くしていた。一人でアリアンヌの夜会の身支度を整えるなど、できる気がしない。
「アリアンヌ様……」
「──大丈夫よ、ニナ。前日までにはナタリーにも来てもらうことになると思うし、公爵家のメイドにも手伝ってもらうことはできると思うわ」
アリアンヌは安心させるようにニナに笑いかけた。ニナはそれでも不安そうなままだ。ロージェル公爵家の家人はリヒャルト一人だ。普段仕事で女性の世話をしている侍女がいないというのは、ニナには心細かった。それを感じとったかのように、それまで黙ったままだったモーリスが口を開いた。
「恐れながら申し上げます。妻のオリーヴは、以前は王城で来賓の方の世話をする侍女をしておりました。お手伝いさせて頂けるかと存じます」
「ありがとうございます、モーリス様」
モーリスの言葉に、ニナは安心したように頷き、ほっと息を吐いた。
「後の問題は、私の依頼だけね」
「どうなんだ。その……エリスの『初恋の人』は見つかったのか?」
アリアンヌの言葉に、リヒャルトは問いかけた。アリアンヌはその問いに一瞬怯えたように息を飲む。アリアンヌの小さな変化に気付いて肩を揺らしたリヒャルトは、心配そうにアリアンヌの瞳を覗き込んだ。
「──いえ、初恋の人は見つかったのですが、別の問題が発生しておりまして……」
「別の問題?」
リヒャルトは怪訝な顔をする。アリアンヌは完璧に作り上げた笑顔で、リヒャルトに返した。
「リヒャルト様にもお手伝い頂きたいことはあるのですが、今はその時期ではありませんの。……夜会までにはきっと依頼を終わらせてみせますわ」
「……無理はするな」
リヒャルトはテーブル越しにアリアンヌの頭をぽんぽんと撫でた。アリアンヌは自分の心のもやもやを気取られたかと思い、上目遣いにリヒャルトを見たが、リヒャルトは微笑んだまま、それ以上何も言わなかった。