葛藤と次の一手
モーリスは初めて見たアリアンヌが狼狽している様に、どうして良いか分からない。アリアンヌの頭の中では、エリスのことや、リヒャルトのことがぐるぐると渦巻いている。ブローチを握る細い指は、強い力によって先が白くなっていた。
沈黙を破ったのは、執務室の扉が叩かれる音だった。はっと扉に目を向けたアリアンヌとモーリスは、返事を待たずに慌ただしく扉を開けた二人に安堵した。
「──アンナ様!どうされましたか?!」
「何があった?!」
駆け込む勢いで扉を開けたのは、ニナとティモテだった。ニナはメイドの制服のままで、ティモテは私服だ。
二人は扉の前で座り込んでいるアリアンヌの潤んだ碧い瞳に息を飲んだ。
アリアンヌはニナに手を引かれ、ソファに腰を下ろした。ニナが淹れた紅茶を、休憩スペースのテーブルに四つ並べる。アリアンヌの隣にニナが、その向かい側にモーリスとティモテが座った。
アリアンヌは紅茶を一口飲む。心がスッと晴れたような気がして、渦巻いていた思考がはっきりとしてきた。先程の取り乱した自らの姿を思い出し、恥ずかしさから頬を染めた。
「──先程は失礼致しました。焦ってしまったようですわ」
「いいえ、そんな。お気になさらないでください」
すぐに否定したのはモーリスだ。次いで、ニナが心配そうにアリアンヌに声を掛ける。
「アンナ様、何があったのですか?エリスさんとお話していたのは見ておりましたが……」
アリアンヌはニナへと体を向け、真っ直ぐに見つめた。
「心配を掛けてごめんなさい、ニナ」
「おーい、僕は?休みだったけど見かけたから来たんだよー?」
呑気な声を上げたのはティモテだ。金髪に紺色の瞳で、見た目はしっかりしているのに残念だと、ニナは思う。目を細めたニナにアリアンヌは小さく笑い、ティモテにも目を向けた。
「ティモテにも心配掛けたわ。……あの時は、エリスから依頼についての話を聞いていたの。それでね──」
アリアンヌは三人にエリスから聞いた話を伝えた。以前泣いていたのを励まされて恋に落ちたこと、それから何度も遠くから見ていたこと、しっかり顔は見ていないこと、会ってお礼を言いたいこと、リヒャルトだとは気付いていないこと──
話終わると、モーリスが複雑そうな表情をしていた。
「モーリスさん、どうされたのですか?」
「あ……いえ。使用人が主人に懸想するなど、本来あってはならないことですが。この場合は、エリスさんには非はないだろう、と──」
モーリスの言葉に、アリアンヌは苦笑する。
「ええ、もちろんです。彼女が恋をした相手は『アルト』様ですから」
アリアンヌは、自分が恋に落ちたのはロージェル公爵だったのか、アルトだったのかとふと考えた。どちらも同じリヒャルトなのだが、きっと声を出す以前は、使用人にも通じるほど別人のようにそれぞれを演じていたのだろう。アリアンヌの思考を遮るように、ニナが声を上げた。
「……それで、アンナ様はどうなさるんですか?」
「そうね。『初恋の人を探してください』という依頼は達成しているけれど、今のまま引き合わせたら、きっとエリスは公爵家に居辛くなってしまうわ。だから……今度の休みに、エリスと一緒に出掛けようと思うの」
完璧な微笑みで言ったアリアンヌに、ティモテは怪訝な顔をする。
「……出掛けてどうするんだよ」
「エリスに必要なのは、まず自信ですわ。これがきっかけで辞められてしまっては、悲しいもの」
初恋は一度きりだ。エリスにとって、悲しいだけのものにはしたくない。ならばせめて、初恋をきっかけに成長できたという結果を残してあげたい。
アリアンヌは心の中に浮かぶもやもやとした不安から意図的に目を逸らしている。向き合ってしまったら、不安定になるのは分かっているからだ。今はエリスのためを考えよう。
微笑みを崩さないままのアリアンヌに、ニナが控えめに言った。
「──アンナ様は、それでよろしいのですか?」
「ニナ?」
「エリスさんが恋しているのは、『アルト』様ですが、それはつまり、リヒャルト様なのですよ」
ニナは、目を背けているところを的確に指摘した。その言葉に、モーリスとティモテもアリアンヌの表情を窺う。
アリアンヌはうまく笑えているか少し不安になった。それでもアリアンヌは、ここで表情を崩すわけにはいかなかった。
「──ええ、もちろんよ。ニナと、あとティモテも一緒に出掛けます。モーリスさん、申し訳ないですが、次のエリスさんのお休みはいつでしょうか」
モーリスはアリアンヌに言われ、弾けるように立ち上がった。帳面を捲り、エリスの勤務予定を調べる。
「三日後はエリスは終日休みになっていますね」
「では、その日に私とニナと、ティモテを休日にしてくださいませ」
事もなげに言ったアリアンヌの言葉にモーリスとティモテは目を見開いた。
「あの、それは──」
「お願いしますね、モーリスさん。頼りにしてますわ」
笑みを深めたアリアンヌに、ティモテはがくりと肩を落としたのだった。
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