エリスの想い人
「ええと……モーリスさんより背が高くて、商人のような服を着ていました。……赤に少し茶色が混ざったような色のふわふわした髪で、眼鏡を掛けてて……カッコ良かったです……」
「ええと……眼鏡を掛けていなくても、カッコ良かったって分かったの?」
アリアンヌの言葉に、エリスは瞳を輝かせた。
「はい、もちろんです!……あ、ごめんなさい、つい……」
エリスは急に大きな声を出したことを詫び、また俯いてしまった。アリアンヌはくすっと笑って、エリスに続きを促した。
「いいのよ、エリスさん。好きな人のことを話していると、嬉しくなっちゃうものだもの」
「……アンナさんにも、そういう人がいるんですか?」
「ええ、いるわ。いつも笑っていて欲しいと、思う人が」
エリスはアリアンヌの顔を見て、恥ずかしそうに頬を染めた。
「きっと、素敵な人なんですね。……アンナさんにそんな顔をさせる男性って」
アリアンヌは今自分がどんな表情をしていたのか不安になり、両手を頬に当てた。その動作にエリスが思わずといったように笑う。エリスの笑顔を見て、アリアンヌも笑顔になった。
「貴女、笑顔の方がとても素敵よ。……私のことは、アンナで良いわ。こんな話をする仲なんだもの。私も、エリスって呼んでいい?」
エリスはアリアンヌの言葉に嬉しそうだ。
「ありがとう、アンナ」
「──やっぱり可愛い。……私こそ、改めてよろしくね、エリス。それで、彼についてもう少し詳しく教えてもらえる?」
アリアンヌの言葉に、すっかり警戒を解いたエリスは、女友達に恋愛話をするように話を再開した。エリスは人見知りだが、一度気を許せば普通に会話ができるようだと、アリアンヌは安心する。
「ええと、目は緑っぽかったような気がします。近くで見たときは私、眼鏡掛けてなかったので……」
アリアンヌはエリスの話に思わず肩を揺らし、動きを止めた。
「エリス。……貴女、それって──」
「え?……わ、私、何か駄目なこと言いましたか……?」
アリアンヌの反応に、エリスはおかしなことを言ってしまったのかと落ち着かなくなってしまった。アリアンヌは慌てて笑顔を作り、否定する。
「ごめんなさい、違うの。なんでもないわ」
エリスは心配そうにアリアンヌの顔を覗いたが、アリアンヌは決して笑顔を崩さなかった。
「私、モーリスさんと働いているから、それとなく聞いてみるわね」
アリアンヌが言うと、エリスはすぐに表情を緩める。
「わぁ……本当ですか?ありがとうございます……!」
「ええ、もちろんよ。……ねぇ、エリス。教えて欲しいんだけど、リヒャルト様ってどんな人かしら?」
アリアンヌの急な問いに、きょとんとしたエリスは首を傾げた。
「急にどうしたの?」
「私、ほとんど執務室で仕事をしているんだけど、まだきちんとお話したことないの。だから、知ってることがあれば教えて欲しいなって」
アリアンヌの言った理由に納得したのか、エリスは思い出そうとするように視線を彷徨わせた。
「──そうですね……私も、あまり近くでお会いしたことは無いのですが……この前までは、すごく怖くて、近寄り辛かったのが、最近は柔らかい感じになったのは分かります。……カッコいいとは思うけど、公爵様だし。あ、でも、最近すごく素敵な方と婚約したって聞きました!未来の奥様ですよね、どんな方なんでしょう……」
アリアンヌはエリスの話に苦笑し、立ち上がった。つまり、良く知らないのだろう。
「ありがとう、エリス。──もう休憩も終わる時間でしょう?私、一旦執務室に戻るわ」
エリスは使用人に支給されている時計を見て、目を丸くした。
「わわっ!……あと十分しかない……?!」
「焦って失敗すると大変だわ。……ゆっくり、落ち着いて戻りましょう?また後でね」
アリアンヌはエリスに手を振り踵を返して、小走りで本邸の執務室へと戻って行った。
執務室に戻ったアリアンヌは、扉をノックするとモーリスの返事を待たずに扉を開け、中へ入った。閉まった扉にそのまま寄りかかり、ずるずると座り込む。メイドの制服が床に付くのを気にする余裕もなく、両手で胸元の緑のブローチを握りしめた。
大分時間が経って戻ってきたアリアンヌに、依頼人とうまくいっていたのだろうと思っていたモーリスは、その明らかにおかしな様子に立ち上がった。
「アンナ様、どうなされたのですか?」
「──たの」
消えそうなほど小さな声に、モーリスは聞き返す。
「なんですか?」
「エリスの初恋の人が、リヒャルト様だったの……」
アリアンヌの言葉に、モーリスは何も言えなかった。座ったままモーリスを見上げるアリアンヌの瞳は潤んでいて、執務室は奇妙な沈黙に支配された。