子猫の行方
やっとリヒャルト様の登場です。
また癖の強い人です。
ロージェル公爵は、王弟リヒャルトが臣下に下った際に賜った爵位である。クローリス王国の貴族にとって、リヒャルトは不遇の王族であった。
今より五年前、十六歳のとき。それまでリヒャルトは思慮深く愛想の良い人物であり、また、前王の正妃ツェツィーリエの第一子であったため、将来の王と目される事もあった。しかしその年リヒャルトは大病を患い、声を失ってしまったのだ。さらにそれをきっかけに性格まで変わってしまい、他人を寄せ付けず、常に厳しい表情を崩さないようになった。
これにはリヒャルトの兄である現王のラインハルトも悲嘆したが、リヒャルト本人の希望もあり、ラインハルトが王として即位した三年前に臣下として王領の一部を賜り、王の相談役として公務の手助けをすることを条件とし、公爵となった。
そんなロージェル公爵のタウンハウスでは、執務室に篭るリヒャルトに、執事のモーリスが苦言を呈していた。
「リヒャルト様、そのように根を詰めてはお身体に触ります。どうか、お休みくださいませ」
リヒャルトは言葉を受けつつ、眉間の皺を緩めることのないまま、視線を書面に向けていた。エメラルドグリーンの瞳は厳しさと不安と疲れを湛えている。赤銅色の髪が室内の光を反射して揺れた。
ロージェル公爵家の飼い猫、クラーラが行方をくらませてから、今日で十日目となる。隣国ネーレウスの王から譲り受けた猫は、今日も見つかっていない。親切な者に拾われていれば良いが、もし悪人にピアスが見つかってしまったらと思うと、胸が痛い。
リヒャルトは雑念を振り払うように、執務机の上の書類と格闘する。これが終われば、町に出られるだろう。リヒャルトは今日も自らの足で町を歩き、クラーラを探すつもりであった。
ガラティア市場で子猫の目撃情報があったとの報告を受けたのだから、市場の人間に話を聞きに行きたい。幸いあの地域では動きやすいはずだった。
その様子に主人の説得を放棄したモーリスは、リヒャルトの机上の書類へと手を伸ばし、素早く分類をした。
「リヒャルト様、こちらは急ぎのものと国王様からの書類ですので、取り急ぎこちらだけお願い致します。残りの書類に関しましては、先に私の方で調査致しまして、ご報告させて頂ければと存じます」
薄い方の書類をリヒャルトの正面に置くと、残りの書類をモーリス自身の書類入れに入れ、脇に抱えた。リヒャルトは少しだけ眉間の皺を緩め、手元のメモ紙に素早くモーリスへの言葉を書き付ける。
『いつもすまない』
たまに素直に感情を表現するリヒャルトには、憎めないどころかその美しい顔と細く鍛えられた体躯から、同性であっても思わず心奪われてしまいそうになるほどだった。モーリスは顔を緩めないよう意識して、挨拶を返す。このような時に笑うと、リヒャルトは恥ずかしさからか不機嫌になることがあるのだ。
「勿体無いお言葉でございます。では、私はこれにて失礼させて頂きます。リヒャルト様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
表情を崩さず頷いたリヒャルトに一礼し、モーリスは退出した。足音が遠ざかっていくのを確認したリヒャルトは、深く嘆息して天井を見上げる。モーリスのお陰で、今日は昨日より少し長く探せそうだ。気を取り直して執務机に向かい、先程よりも早く書類を捌いていくのだった。
子猫を拾った翌日、アリアンヌはナタリーを連れ、王都ナパイアにナタリー名義で借りている事務所へ足を運んだ。中心地から少し離れたアパートメントの一階にあるそこは、やや裕福な商人の家のような室礼で揃えられ、奥の窓を背に執務机が、手前に応接セットがある。右の壁は本棚に、左の壁は奥の部屋へのドア以外を王国と王都、周辺の地図で覆われている。窓に掛けられたカーテンは青地の小花柄と目隠しのレースカーテンを重ねており、そこだけ年頃の女性らしさが漂っていた。
シャリエ伯爵家の者でも数名しか知らないそこは、相談屋アンナ宛の手紙を受けたり、直接話したい者が訪れるための場所である。ナタリーは奥の部屋で紅茶を淹れ、執務机に座るアリアンヌに声を掛けた。
「アンナ様、これで今抱えてる案件はあと一つですね。お疲れ様です」
アンナとして相談屋をしている時はアリアンヌに対して丁寧すぎる言葉遣いをしないよう言い含められている。そっと紅茶を置き、ナタリーは微笑んだ。
「ええ。それも、『家で失くした指輪を引っ越しの手伝いをしながら探して欲しい』というものだったから、明後日、ニナとナタリーと三人で行けば大丈夫でしょう」
アリアンヌは紅茶に右手をかけ、優雅に口元に運んだ。美味しい紅茶に口元が緩む。
「勿論お手伝いさせて頂きます。特に指輪でしたら、大体の場所も見当がつきますわ」
アンナの相談屋に来る依頼のうち、半分は物探しだった。人探しや復讐、浮気の証拠集め等もあるが、事件性の高いものはそのまま懇意にしている警察官へと依頼を回している。また、同じ土地で探偵業を営む人とのコネクションもあり、互いに依頼を融通することもある。特に伯爵令嬢であるアリアンヌの都合のつかない時間や場所の仕事は、他人に譲ることが多かった。逆に本職の探偵からは、利益の見込めない仕事や小さな依頼を回されることが多かった。儲けたい訳ではないアリアンヌにとってもそれはまた好都合だった。互いに詮索し合わないよう不可侵の同盟を結んでもいるため、アリアンヌの素性が明らかになる危険もない。彼らはもし知っていたとしても、無言を貫いてくれるはずだ。
「それでは、子猫の足取りを追ってみましょうか。何か分かるかもしれませんわ」
アリアンヌは紅茶を飲むと、執務机を立ち資料を手に壁の地図に向かった。ナタリーが新しい王都の地図を元の地図の上に重ねて貼る。
「こちらが、ナパイアの最新の地図でございます」
「ありがとう」
アリアンヌは手元の資料を見ながら、子猫の目撃情報が出た順に数字をふる。
その地点が十五を数えたとき、軽く何かを窺うように、三度、扉がノックされた。
そろそろ人物と地名がこんがらがってきました。
もう少し進んだら登場人物・地名一覧を公開できるようになるはず!(まだネタバレ多過ぎて出せない)
お付き合いをお願いします。