ロージェル公爵邸へ
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──クローリス王国、ナパイア、カスタリアA地区、サロー通り十二
そこにあったロージェル公爵邸は、周囲の貴族邸と比較しても立派で真新しく見える。よく手入れされている背の高い生垣越しに見える壁は真っ白に塗られており、屋根の青は日の光を反射してキラキラと光っていた。正門前には警備兵が二人、他にも巡回しているものもいるようだ。タウンハウスであっても広い土地を取っている庭園の裏手にまわると、小さな家がいくつか建っていた。きっとあれが家族のいる使用人の家なのだろう。大きな屋敷だが外へと漏れてくる音は一切と言っていいほどない。裏口には警備が一人。ティモテが挨拶をし、アリアンヌ達三人を友人だと紹介する。
「この子達三人、仕事探してるんだ。丁度これからこの家にも奥方様がいらっしゃる予定だし、連れてきてみたんだよ。モーリスさんに紹介しようと思ってさ」
「ふぅん。随分と身なりの良いお嬢さん達だな」
「へへん、僕もなかなかやるだろう」
「何を言ってるんだ、馬鹿。……お嬢さん方、こちらに名前をお願いしますよ」
アリアンヌは偽名のアンナ・エルーシャと書く。フェリシテも偽名を書き、ニナは本名を書いた。
名前が書かれた紙を持ち、ティモテの誘導でモーリスの元を目指す。初めて見るロージェル公爵邸は、アリアンヌの想像を超えていた。
タウンハウスとして完全に計算された庭園は、季節の花々が咲き誇っており、中央の噴水の側にはベンチが置かれている。華やかな花を主役にするように、木々は控えめに配置され、しかし木陰を適度に作り出している。奥には温室のような建物もあった。
途中から石畳になった本邸への道を歩き、裏口から中へと入る。ティモテは真っ直ぐにリヒャルトの執務室へと向かい、その入り口の扉をノックした。
「この時間は、モーリスさんはここにいることが多いんです」
ティモテの言葉の通り、中から入室を促す返答がある。ティモテに続いて、アリアンヌ達も中へと入った。
「モーリスさん、お疲れさまです」
「ん、ティモテか?今の時間はシャリエ家の方にいるのでは──」
モーリスは、執務室の端にある机で何か書き物をしているようだった。ティモテの声に返事をしながら顔を上げたモーリスは、そこにいる人物達を見て栗色の瞳を細め、訝しげな表情になる。
「……ティモテ。こちらは、どなたですかな?」
一方のティモテは、笑みを崩すことなく言った。
「はい。アリアンヌ・シャリエ様とフェリシテ・ボレル様、そしてアリアンヌ様の護衛のニナ様です!」
モーリスは驚き音を立てて立ち上がった。アリアンヌは申し訳なく思いモーリスをはらはらと見ているが、ティモテは慣れているのかニコニコと笑っている。
「なんで貴方、護衛している人間が護衛対象を連れて帰ってくるんですか?!」
「え。ここが一番安全じゃないですか」
「そういう問題ですか?!」
平然と返すティモテに対し、モーリスは見る間に窶れていくようだ。アリアンヌはこのままではいけないと、口を開いた。
「はじめまして、モーリス様。私、アリアンヌ・シャリエと申します。私が相談屋として動いていることはご存知ですよね?……今回の依頼にも関わる事ですので、よろしければ私からお話させて頂きたいのですが──」
アリアンヌは敢えてゆっくりと挨拶をした。モーリスはカーテシーをして微笑むアリアンヌに暫し見惚れた後、自らのそれを無かったことにするかのように休憩用のテーブルとソファがある一角にアリアンヌ達を案内した。アリアンヌとフェリシテとニナを座らせ、自らも座ろうとしたティモテを目線で牽制する。ティモテは嘆息し、アリアンヌ達の斜め後ろに守るように立った。モーリスが三人の向かい側に座ると、ベルを鳴らして使用人に紅茶を淹れるよう申し付けた。
「──という訳なのです」
アリアンヌの説明を聞き終えたモーリスは、白いものが混ざり始めた栗毛を雑にがしがしと掻いた。アリアンヌ達に見られていることに気付くと、誤魔化すように笑って席を立つ。
「少々お待ちくださいませ」
モーリスは部屋の奥にある木棚の鍵を開ると、その中から一冊の帳面を取り出し、ぱらぱらと捲った。途中目的のページを見つけたのか手を止め、そこを見ながら話し始める。
「アリアンヌ様、ロージェル邸の従業員にエリスという娘がおりまして、住み込みでスカラリーメイドをしております」
アリアンヌはパッと顔を輝かせた。
「モーリス様、ありがとうございます!フェリシテ、ニナ。きっとその子だわ!」
「良かったわね、アリアンヌ。後はその子と話せれば──」
「そうですよ、アリアンヌ様!」
はしゃぐフェリシテとニナを見て、モーリスが複雑そうな表情をする。それに気付いたアリアンヌは首を傾げた。
「如何なさいましたか?モーリス様」
モーリスはソファに戻ると、困った顔でアリアンヌを見た。
「それがですね──エリスという娘は、今年になって入った新人なのですが、少々問題がありまして……」
「……それで?」
口を濁すモーリスにアリアンヌが続きを促す。
「端的に言えば、人見知りが過ぎるのです。いつも俯きがちで、仕事もなかなか覚えられないようで……。アリアンヌ様方がお話に行ったところで、会話になるかどうか──」
スカラリーメイドとは、主に貴族の邸で皿洗い等の厨房での雑用を行うメイドを指す。スカラリーメイドは料理人の管理下にある。料理人には職人肌の人も多いのだ。仕事をなかなか覚えられないのでは、きっとエリスという子は苦労しているだろう。アリアンヌはそこまで考え、難しいと思った。そんな彼女から恋愛の話を聞き出さなくてはならないのだ。
「──うーん。難しそうですね、アリアンヌ様」
ニナが眉間に皺を寄せて言った。モーリスは嘆息する。
「アリアンヌ様がエリスと仲良くなれそうなお茶会か何かの機会を用意してみましょうか?」
モーリスは二人が共に過ごす時間を持てるよう提案する。アリアンヌはぐるぐると考えていた。エリスと仲良くなる。そのためにはどうしたら良いのか。人見知りで、仕事をあまり覚えられない、モーリスの話からするとおそらく若い女性。アリアンヌは渦巻く思考の中からひとつの答えに行き着き、悪戯な笑顔をモーリスに向けた。
「モーリス様。──私を、このお屋敷で雇ってくださいませ」