新たな依頼
冬も深くなってきたある日のこと、アリアンヌは、久しぶりにフェリシテと共にお忍びで町へと出てきていた。事務所のポストに依頼の手紙が入っていたと報告を受けたのだ。
アリアンヌは社交シーズンが始まり外出が増え、社交のない日は家庭教師による勉強の日々で、これまでのように長時間家を抜け出すことが難しくなってきていた。今日はフェリシテからの誘いという名目で家を出て、ボレル伯爵邸から町へとやってきたのだ。もちろん二人とも変装している。そしてレイモンにも秘密の相談屋を続けるため、リヒャルトはアリアンヌにロージェル公爵家から護衛を付けていた。ティモテというその男性は、リヒャルトと長い付き合いであるそうだ。
「それにしても、アリアンヌ。貴女いつまで相談屋を続けるつもり?公爵家に嫁ぐのよね、危ないことも増えるわよ?」
事務所への道を歩きながら、少し距離を空けて付いてきているティモテを一瞥し、フェリシテが言う。アリアンヌは頷きつつ訂正した。
「アンナよ、フェル。……だから、あと一年の間だけね。少し寂しいけれど、その分きっと忙しくなるわ」
はっきりと言い切ったアリアンヌに、フェリシテは笑った。
「ええ、わかったわ、アンナ。……でもまぁ、それが妥当でしょうね。でも気をつけるのよ。これまでと違って、権力闘争から無関係ではいられないのよ。なにせ、あのロージェル公──おっと、アルト様に嫁ぐのですもの」
「ええ、そうよね。おかしいわよね」
アリアンヌはあの夜会の後にフェリシテに二人で会った際、馴れ初めについて話をしていた。そもそも最初アリアンヌが恋をした相手は『アルト』だったのだ。思わず笑いが込み上げてきたアリアンヌに、フェリシテは呆れた顔だ。
「おかしいって……貴女、本当に状況分かってる……?」
フェリシテはアリアンヌの言葉に疑問を覚えたが、アリアンヌがあまりに楽しそうなので、つられて笑ってしまったのだった。
事務所には、先にニナが到着していた。ニナは、アリアンヌとフェリシテとティモテの分と、ついでにちゃっかりとニナ自身の分まで紅茶を淹れる。ティモテも、ここにいる時は友人であるような距離感でというアリアンヌとリヒャルトからの指示で一緒に椅子に座っている。そして四人は問題の手紙を見た。桃色の封筒には、住所が書いてある。中を開いて、思わずアリアンヌとフェリシテは声を上げた。
「あら」
「まあ──」
そこには愛らしい丸文字で、ただ一言だけ書き付けられていた。
『私の初恋の人を探してください。エリス』
アリアンヌは手紙の裏まで確認するが、依頼文はこれだけだ。
「アンナ様、どうなさいますか?」
ニナが今後の方針をアリアンヌに問いかける。ティモテは様子を窺っているようだ。アリアンヌは笑みを浮かべ、紅茶を一口飲んで喉を潤した。
「これだけだと、初恋の相手になり得る人を探すのか、初恋の相手にもう一度会いたいのか、分からないわ。まずは一度事情を聞く必要があるわね」
「あら、この依頼引き受けるの?」
フェリシテは少し意外そうに言う。アリアンヌはそれに頷いた。
「まずは話を聞いてみてだけれど。女の子の初恋なら、引き受けるのは女性の方が良いわ。もし大事になりそうな依頼だったら、さっさとコームさんに引き継いじゃうけどね」
「なるほど。それならアルト様も安心かしら?」
フェリシテは意味有りげな視線をアリアンヌに向けて微笑んだ。アリアンヌは楽しげに笑っているフェリシテを心強くも不安にも思う。
「まずは、この住所の場所を特定しましょう。そして依頼人に連絡をするわよ」
アリアンヌが封筒を取り上げ、住所を読み上げていく。
「ええと、クローリス王国、ナパイア、カスタリアA地区──」
「アンナ!そこ、貴族街よ!?」
フェリシテは悲鳴のような声を上げた。アリアンヌはその言葉に難しい顔をする。貴族が相手では、アンナとして堂々と顔を出すことができない。依頼人が使用人だった場合には、逆にアリアンヌとして会うと萎縮させてしまってそれどころではなくなってしまう。
「……待ってください。続きの住所は?」
真剣な表情でティモテがアリアンヌに問う。アリアンヌは封筒を見直し、続きを読んだ。
「カスタリアA地区、サロー通り十二」
ティモテは息を呑んだ。その表情にアリアンヌだけでなくニナとフェリシテも怪訝な表情をする。
「ティモテ、どうしたの?」
アリアンヌの問いかけに、ティモテは複雑な表情で答えた。
「そこ、僕の住所です。僕の家は──ロージェル公爵邸内です」
貴族の邸には、使用人が寝泊まりする部屋がある。高位の貴族だと、タウンハウスであっても使用人のために小さな家を敷地内に建てていることもある。ティモテの情報に顔を輝かせたのはフェリシテだ。
「あらまあ。アンナ、ここ数日アルト様にゆっくりお会いできていないのでしょう?会いに行きましょうよ!」
「そうですよ、アンナ様!これは依頼のためですよ!」
ニナまでもがアリアンヌにロージェル公爵邸への訪問を勧めてくる。
「でも私、この格好では正面からはお伺いできないわ。でも着替えてしまっては、依頼人にはきっと会って貰えないし……」
俯いたアリアンヌに、ティモテは笑った。
「じゃあ、使用人用の出入口から入って、モーリスさんに相談してみませんか?一旦リヒャルト様には内緒で。モーリスさんなら、きっと面白──いや、素敵なアイデアをくれると思いますよ!」
アリアンヌはティモテのその言葉に不安を覚えつつも、モーリスを頼るのは良い判断であると思い、従うことにした。
今回は人探しです!
アンナのときを書いてるのは楽しいです。
1章完結記念短編『悪役令嬢は最愛の婚約者との婚約破棄を望む』もよろしくお願いします!