誰かの企み
ここから第2章です。
その部屋は、絨毯、カーテン、リネンに至るまで、全ての調度品が白に統一されていた。それはまるでこの世のものではないようだ。
「アリアンヌ・シャリエ伯爵令嬢ねぇ……」
ソファに座り、白銀の髪をサラリとかき上げた女は、身を乗り出すと、目の前に座る黒髪の男に、妖艶に笑いかける。
「邪魔だわ。貴方の方でどうにかして」
黒髪の男は、まるで始めから全て承知していたかのように、口の端を引き上げて笑った。
「よろしいのですか?」
「ええ。彼に幸福など……与える訳にはいかないのですわ」
女は宝石のような瞳を妖しげに輝かせ、はっきりと言い放った。それに頷いた男は、次の瞬間にはその姿を消していたのだった。
アリアンヌとリヒャルトの婚約期間は一年間だ。来年の社交シーズンの始まりに挙式し、アリアンヌはロージェル公爵夫人となる。その為にアリアンヌには、すべきことがたくさんあった。
アリアンヌは伯爵令嬢だ。伯爵家に恥じない令嬢として、様々なことを学んできたが、それでも王弟であり公爵であるリヒャルトの元に嫁ぐには、まだ学ばねばならないことは多いのだ。更に、お茶会や夜会の誘いも多く来ている。リヒャルトとの婚約で一躍時の人なったアリアンヌと少しでもお近づきになりたい貴族が大勢いるのだ。
「ねぇナタリー。これ、どの程度参加すれば良いのかしら?」
アリアンヌは机に積まれた招待状の山を一瞥し、ナタリーに問いかけた。ナタリーは苦笑してアリアンヌの問いに答える。
「そうですね……恐らくシャリエ家とロージェル家の事情もございましょうし、参加しなければならないものは精々二割程度ですわ。ご安心なさいませ」
「この二割は多いわよ……」
アリアンヌは嘆息し、ナタリーに弱音を溢す。やはり長く側に仕えているナタリーには、アリアンヌも本音で弱音を吐ける。
「まずは旦那様とリヒャルト様にご相談致しましょう」
「そうね」
アリアンヌはナタリーの提案に安心して頷き、招待状の山をそのままナタリーへと渡した。ナタリーはその山を受け取り、嘆息するのだった。
そしてリヒャルトもまた、これまで声を出さずにいたことで避けていた社交の場に出なければならなくなった為に、忙しい日々を過ごしていた。
現在リヒャルトは政界の派閥争いからは距離を置いている。しかし思想としては現在の主導である分権王国派だ。これは、貴族と平民それぞれに議会を設け、双方の主張を最終的に国王が判断するといったものだ。今回のことで、分権王国派がリヒャルトの意思とは関係なく派閥にロージェル公爵を引き入れようとする動きがあり、それを抑える為に貴族議会派のトレスプーシュ侯爵が動きを見せているという情報がリヒャルトの元へ入ってきていた。貴族議会派とは、平民議会の存在を無視し、貴族議会の決定を王の意思と見なすという考えの派閥である。
そもそもリヒャルトは自身の考え以前に貴族の派閥に属するつもりはないのだが、本人の意思とは無関係に周囲は目まぐるしく変化していた。
「モーリス。この山と積まれた招待状は、分権王国派の物で間違いないな」
モーリスはリヒャルトの言葉に頷いた。リヒャルトが声を出すようになって、最も益を得たのは、間違いなくモーリスであろう。仕事がしやすくなったという意味で、モーリスは日々の仕事に潤いを感じていた。
「はい、ほとんどがそうでございます。しかし、このトレスプーシュ侯爵家の夜会は、貴族議会派の人々の会合だそうで、何故招待状が届いたのか……私にも不思議でございます」
「そうか。……では、そのトレスプーシュ侯爵家の夜会は出席する。それ以外は、良いように返事を頼む」
リヒャルトの返答にモーリスは一度瞬きをしてリヒャルトを見た。リヒャルトは悪戯に笑ってモーリスに返す。
「なんだ。せっかく相手から招待して下さったんだ。貴族議会派は、母上に接近した貴族でもある。……この機会に、懐に入ろうというのだ。悪い作戦ではあるまい」
「承りました。しかし、リヒャルト様。──これはご婚約者様との、同伴を前提としたものでございますが……」
リヒャルトは顔を顰めたが、次の瞬間には和かな微笑みを浮かべていた。
「あぁ、構わない。アリアンヌ嬢はあれでいて、とても聡い女性だ」
「左様でございますか。また、アリアンヌ様からも、夜会と茶会の招待についてのご相談の連絡が来ておりますが」
モーリスの言葉に、リヒャルトは笑った。
「な?アリアンヌ嬢も聡いだろう。今この場面でレイモン殿だけでなく私へ相談を持ち込むのは、自らの立場を理解しているからこそ──だ」
「リヒャルト様の仰る通りでございます。……きっと一年後には素敵な奥方となられましょう」
リヒャルトはモーリスの言葉に、それまでの陰を潜め、モーリスも驚くほどの純粋な笑顔と声で笑ったのだった。