アリアンヌとマリユス
アリアンヌがリヒャルトと婚約した翌日には、マリユスが顔を真っ赤にしてアリアンヌの部屋にやってきた。
「アリアンヌ!ロージェル公爵と婚約したって本当か?!」
クラーラが居なくなって少し寂しくなったと感傷に浸りつつ編み物をしていたアリアンヌは、ノックもしないで開けられたドアと飛び込んできた兄に苦笑した。
「お兄様。ノックもしないで淑女の部屋の扉を開けるなど……アンベールお兄様に怒られますわよ」
「そんなことどうでも良いから!あの父上が納得したのか!?」
アリアンヌは控えていたナタリーとニナに合図し、紅茶の用意をさせた。これまではナタリーだけがアリアンヌに常に付いていたのだが、リヒャルトと婚約した事でニナも常に共にいるようレイモンが指示したのだ。
「どうぞこちらへお座りになって。紅茶をご用意しておりますわ」
マリユスは取り乱している自覚があったのか、深呼吸をしてアリアンヌの指し示した椅子に座った。
「それで、どうしてそんなに慌ただしくいらっしゃったのです?」
アリアンヌは紅茶を飲み、マリユスに問いかけた。マリユスは早く聞きたいと言わんばかりに身を乗り出す。
「昨日夜遅くに帰って、今朝起きたら父上が今日はロージェル公爵と王城に行くって言うだろ?で、今日は邸中の使用人が朝からずっとアリアンヌが婚約したって話題でもちきりで。これは本当なんじゃないかと思って来たんだ」
「そうですわね。お兄様は、昨日はいらっしゃらなかったですものね」
「そう。昨日は友人に会いに昼から出掛けて、そのまま男だけの夜会に行ったから……」
アリアンヌは背を伸ばしてマリユスに向き直った。
「はい。確かに昨日、私はロージェル公爵……リヒャルト様と婚約致しました。今日はお父様がリヒャルト様と一緒に婚約誓約書を陛下に提出しておりますわ」
マリユスは思わず立ち上がり、アリアンヌの左手を両手で掴むとぶんぶんと振り回した。
「良かったなぁ、アリアンヌ。お前は父上が過保護だから、下手したら結婚できないんじゃないかと思ってたよ!」
「お兄様、失礼ですわ!」
「だってアリアンヌ。父上は母上によく似たお前にだけは、これでもかと過保護だっただろう?夜会のエスコートを名乗り出る男が家に何度訪ねてきていたか、知っているか?」
アリアンヌは全く知らなかった情報に驚き目を丸くする。
「えぇ?!私、相手はいないとばかり……」
「そんな訳ないだろ?アリアンヌは『妖精姫』の生き写しの娘なんだぞ!?侯爵家嫡男の申し出を断ったって聞いた時には、お前は父上のせいで結婚できないんじゃないかと、俺は本気で心配したんだ!」
マリユスの剣幕にアリアンヌは驚く。これまでファーストダンスはいつも兄のどちらかで、セカンドダンスは兄の選んだ男性だった。以降は順に誘ってきた人と踊っていたが、アリアンヌを表立って口説いてくる男性はいなかったのだ。アリアンヌがそれを言うと、マリユスは呆れたように嘆息した。
「父上は最愛の母上によく似たアリアンヌを特別に大事にしていたよ。お前にとっては窮屈だったろうけどな。……それが、誰なら結婚できるのかと思ってたら、まさかの王弟!俺はついに父上が諦めたと知って笑ったよ。良かったな、アリアンヌ」
アリアンヌは分かりづらいレイモンの愛に嘆息し、祝いの言葉に礼を返した。
昼食に降りた食堂で、レイモンの執事から渡された書き付けによって、アリアンヌは二週間後の夜会にリヒャルトのエスコートで参加することになったことを知った。
その日の午後には、リヒャルトが依頼したというオートクチュールのオーダーメイドドレスを仕立てるため、職人が採寸にやってきた。アリアンヌはこれまで伯爵家の娘とは言え、プレタポルテのドレスばかりで、オーダーメイドはデビュタント以来だ。アリアンヌが緊張している中、採寸が終わり、職人達は後はリヒャルトと打ち合わせると言って帰って行った。
採寸だけで疲れてしまったアリアンヌは、後は自室で落ち着いて過ごそうと思い、部屋へ戻った。するとナタリーが、フェリシテから手紙が届いていると伝える。アリアンヌは机に向かい、届いた手紙を開く。微かにフェリシテがいつも使っている香水の香りがした。
──御機嫌よう、アリアンヌ。
この手紙はロージェル公爵様が来る予定の日の翌日に届くよう手配しているわ。
公爵様、愛の告白はしたかしら?それとも一足跳びにプロポーズ?わくわくしてしまって私、貴女のことばかり考えているわ。
出来れば公爵様との間にあったことを手紙に認めて欲しいけれど、それも難しいでしょうから、近いうちに二人きりでお茶会をしましょう。会場は貴女に任せるわ。
それでは、貴女の幸せを願って。
フェリシテ・ボレル──
アリアンヌは苦笑し、手紙を認めた。お茶会の約束と、婚約したことを伝えると、すぐに祝いの言葉が手紙で届き、こそばゆい気持ちになる。
そして夜会の二日前、アリアンヌ宛に、リヒャルトからドレスと宝飾品一式が届けられたのだった。