アリアンヌとお茶会1
舞踏会から一夜明けました。
舞踏会の夜は、なかなか寝付けなかった。レイモンが帰ってきてからマリユスとアンベールはレイモンの執務室に呼ばれたらしいが、アリアンヌには何の小言もなかった。
アリアンヌは寝台の上で、リヒャルトと踊った時のことを思い出す。『アルト』の時とも違う、思慮深く優しい瞳だった。あの後リヒャルトを見かけることはなく、アリアンヌの側にはずっとマリユスが付いていた。マリユスは過保護だと言って苦々しい顔をしていた。
アリアンヌはリヒャルトに惹かれていた。それはリヒャルトのことをもっと知りたいという欲求だった。彼に悲しい顔をさせるものが何なのか。話せない振りをしているのは何故なのか。どんな時に笑って、どんな時に怒るのか。好きな食べ物や嫌いなものは何か。……アリアンヌに時折向ける切なく熱っぽい視線の理由もまだ知らない。
初めての感情に、アリアンヌは物語から得た知識で『恋』と名付けた。しかし本で読んだものよりも、それは激しく逃れ難い感情のようだった。
籠の中で寝ていたはずの子猫が寝台に入ってきた。天蓋の隙間から飛び上がり、身軽にトンと着地する。
「みゃう」
一声鳴いて布団の中にそろそろと入ってきた。この子も暖かい方が良いのだろうか。外へ出すのも可哀想に思え、アリアンヌは布団の中でそっと子猫の背を撫でた。擦り寄ってくる温かさが心地良い。気付くとアリアンヌは、子猫を抱いたまま眠っていた。
次の日、アリアンヌは貴族の邸で行われるお茶会に招待されていた。アリアンヌは水色の生地にレースを重ねたドレスを身に纏っている。少し大きめの丸襟で、長袖の袖口と襟、そしてドレスの裾には同生地のフリルが付いている。飾りは全てサファイアの控えめな物で揃えた。緩く纏めた髪は後れ毛を作っており、儚く柔らかな印象にまとまっている。
予定では友人のフェリシテも参加するはずだ。フェリシテに会うのは久しぶりで、とても楽しみにしていた。招待したのはアリアンヌの父の友人の侯爵だ。自慢の温室があり、その薔薇園での女性だけのお茶会を行うのだ。アリアンヌは薔薇の花と友人が楽しみで、今日はリラックスして臨めると思った。しかし会場の邸に着いて、その考えを改めざるを得なくなった。女主人に挨拶をし終え、フェリシテを探そうとした時、アリアンヌは年若い令嬢達に囲まれてしまったのだ。次々と向けられる質問に、アリアンヌはどうして良いか分からないでいる。
「アリアンヌ様と公爵様はどのようなご関係なのですか?」
「公爵様のあのような表情、私初めて拝見しましたわ」「私もですわ」
「以前からお知り合いでしたの?」
という、リヒャルトについての話もあれば、
「アリアンヌ様の今日のドレス、本当に素敵ですわ」「先日の舞踏会のドレスもお可愛らしかったですわ」
「普段お一人では何をされてますの?」
「アンベール様とリゼット様、お似合いですわよね〜」「憧れますわ!」
「アリアンヌ様はどのお花がお好きですの?」
という、アリアンヌについての話もある。一体何が起こったのだろうか。現状を飲み込めないまま、アリアンヌは困って視線を彷徨わせた。少し離れたところで、フェリシテが控えめに手を振っているのを見つける。
「皆様、御機嫌よう。友人が待っておりますので、一度失礼させて頂きますわ。後ほど、ゆっくりお話致しましょう」
アリアンヌは優雅にカーテシーをすると、急いでフェリシテの元に向かった。フェリシテは漆黒の瞳を興味深いものを見るように見開き、アリアンヌを自らと同じテーブルに迎える。
「御機嫌よう、アリアンヌ。貴女、人気者ねぇ」
「御機嫌よう。フェリシテ……私、一体どうしてこうなっているのか分からないのよ」
使用人が淹れた紅茶を飲む。紅茶からも薔薇の香りがした。アリアンヌはゆったりと息を吐き、紅茶の味を楽しんだ。
「貴女呑気ねぇ。昨日の舞踏会でロージェル公爵様と仲睦まじげにダンスをしていたのでしょう?今、どこも大騒ぎよ」
「それは話題にはなっただろうけれど……。私、昨日まで公爵様のお顔を存じ上げなかったのよ」
アリアンヌは温室の薔薇に目を向けた。見事に咲いているこの薔薇園は、きっとこの季節に合わせて育て作られたのだろう。フェリシテが呆れた様子なのは分かっていたが、アリアンヌは口元で緩やかに微笑んでいた。優しいフェリシテは、アリアンヌに色々と教えてくれるに違いないのだ。
「貴女がデビューした歳にはもう臣下に下った後だったのよね。第二王子で声を失う前の、あの方の人気はすごかったのよ。まぁ、今もあれだけ美形だから人気は高いのだけど……声より何より、あの気難しい性格じゃ、お近付きになれる令嬢なんていなかったのよ」
「そうだったの……」
「そうよ!──それがシーズンの最初の舞踏会で、愛しむような表情でただ一人とだけダンスをしたものだから、もう大騒ぎよ。しかも相手が、公爵様に引けを取らない美貌の、薔薇の妖精のような令嬢だった、なんて噂になってるのだから」
「それ誰の話よ!」
「貴女でしょ、アリアンヌ。もちろんシャリエ伯爵家のご令嬢だってのも、もう知れ渡ってるわよ」
アリアンヌは周囲の目線を改めて意識した。興味深げだったり、羨望だったり。向けられる視線は様々だった。この人達全員が、リヒャルトとの事を知っているのかと思うと、アリアンヌは頬が赤くなるのを止められない。フェリシテはその様子に、相思相愛だという噂もあながち嘘ではないだろうと確信した。