リヒャルトの出逢い
ここから少しずつ調子が戻ります。
よろしくお願いします!
リヒャルトはお忍び用の服に着替え、髪型を変え、眼鏡を掛ける。アルトという偽名は隠れて市井へ行く時に毎回使うものだ。そもそもリヒャルトの場合、性格を変えて話をするだけで別人と思ってもらえるのだが。そうして一週間以上、自ら足を使ってクラーラを探していたリヒャルトだが、なかなか見つけることはできなかった。町の探偵の方が町のことには詳しいかと予想し、王都で評判のコームという探偵の事務所を訪ねる。コームは白髪混じりの上品な男で、リヒャルトに相談屋を紹介すると言った。
「いや、私も依頼を抱えていてね。話を聞く限りでは、早く動ける人間の方が良さそうだ。なに……まだ若いが、探し物の腕については保証できるよ」
リヒャルトは紹介されたアンナという人物に会ってみることにした。教えられた住所は、王都ナパイアの中心地から少し離れた一般的なアパートメントの一階だった。コームの紹介であると告げて入ったそこは、外観に反してやや裕福な商人の家のような室礼で揃えられている。
しかし最も目を引いたのは、リヒャルトを招き入れたアンナの容姿だった。まだ十代であろう幼さの残る顔は愛らしく、澄んだ湖面のように碧い瞳は見たことのない宝石のようだった。リヒャルトは、天使か妖精が人間に姿を変えて現れたようだと、幼い頃に読んだ童話のようなことを考える。しかし長い亜麻色の髪は左右で三つ編みにしており、襟にフリルのついたブラウスに重ねて水色のチェックのワンピースを着ているその華奢な姿は、見た目少し裕福な町娘だ。リヒャルトは動揺を悟られぬよう意識して姿勢を正すと、アルトと名乗った。
「いらっしゃいませ、アルト様。コーム様からのご紹介とのことで、私でよろしければ、お話をお聞かせくださいませ」
鈴を鳴らしたような声は、音は高いのにどこか柔らかく心地良い。勧められるがままにソファに座ると、助手であろう女性が奥の部屋に消えた。リヒャルトは事務所を観察し、窓に掛けられたカーテンに目を止める。可愛らしい青地の小花柄で、女性の部屋に招かれているような違和感がある。そう感じて思わず素で表情を緩めてしまったことを誤魔化すべく、『アルト』の軽薄さでアンナを口説いてみたが、紅茶を持って戻ってきた助手の女性に牽制されてしまった。しかしそれで良い。これで『アルト』は軽く女性を口説くような性格だと思って貰えただろう。
出された紅茶に口を付け、向かいに座るアンナを盗み見た。右手で紅茶のカップを持ち、一切の音を立てずにカップをソーサーへと戻したその姿にリヒャルトは驚愕した。このような所作は一朝一夕に身に付けられるものではない。それは上流階級の貴族の子女と比べても、特に洗練されたものだった。
「貴女は……」
アンナは町娘ではあり得ない。三年前まで王城にいた貴族のリヒャルトは、理解した瞬間、思うより早く立ち上がっていた。怪訝な顔をしたアンナを構っていられない程に動揺していると自覚している。そんなリヒャルトにアンナは声を掛け、カーテシーをした。挨拶としてされたその仕草にも、リヒャルトは平静でいられなかった。
「体調がお悪いようでしたら、どうかお大事にして下さい。またお元気になりましたら、どうぞ、アンナの相談屋へお越しくださいませ」
リヒャルトは慌ただしく逃げるようにアンナの事務所から出て、ロージェル公爵邸へと戻った。執務室で腰を落ち着けても様子のおかしいリヒャルトに、モーリスが訝しんで声を掛ける。
「如何なさいました。そんな……ええと、お化けでも見たような表情をなさっていますよ」
リヒャルトは右手を眉間に当てて首を振った。いよいよ様子のおかしいリヒャルトに、モーリスは首を捻る。
『相談屋に行ったら、相手が貴族の令嬢だった』
しばらくしてリヒャルトが嘆息しながら書いた文章に、モーリスは目を見張った。
「気付かれたのですか?」
モーリスに聞かれて初めて、リヒャルトはアンナが一度もアルトをロージェル公爵として扱っていなかったことに思い至る。
『こちらが先に気付いて帰ってきてしまった。相手が気付いたかは分からない』
「リヒャルト様……それは、気付かれていない可能性もあるのではありませんか?知っている顔でしたか?」
リヒャルトはアンナを思い出す。きっと一度会ったら忘れないだろう美しさだった。
『いや、知らない顔だ。あんな美人忘れるはずがない』
サラサラと書き付けてから、しまったと思い慌てて破棄して書き直そうとしたが、モーリスがそれより早くメモ紙を奪った。書いてある文章に目を丸くしたモーリスは、笑みを深くしていく。
「ほー、これはこれは。リヒャルト様が美しいと仰るご令嬢でございますか。興味が湧きますねぇ」
リヒャルトは立ち上がりモーリスからメモ紙を奪うと、そのまま暖炉の火にくべた。しかしアンナに依頼できないとなると、誰かに依頼しようという計画自体が頓挫してしまう。嘆息するリヒャルトに、モーリスが笑いを堪えるように声を掛けてきた。
「良いじゃないですか、リヒャルト様。その娘に依頼なされば。……ではこちら、留守の間に用意させて頂いた資料でございます。よろしくお願いしますね」
執務室を出て行くモーリスを恨めしく見送ったリヒャルトは、執務用の椅子に座り、両手で顔を覆った。今日は自分らしくないとリヒャルトは思うが、その原因は分からない。気を取り直して机に向かうが、頭の片隅にアンナの柔らかな表情がちらつき、なかなか消えてくれなかった。