王城の舞踏会2
アリアンヌは令嬢達によって壁を背に囲まれている。ここは人の多い舞踏会、助けを期待できそうなものだが、騒めきの中ポレット達の姿によって端にいるアリアンヌが囲まれていることは遠くからは分からない。近くにいる人々も、相手が侯爵令嬢だと分かると関わりを避けた。アリアンヌはどうにか対処すべく考えを巡らせた。
「確かに兄と共に参りましたが……決まった相手がいない場合には親族がエスコートするというのは、私達にとって当然ではございませんか?」
「そういう話はしていないわ。昨年も毎回マリユス様のエスコートで夜会に参加して。貴女は、いつまで彼を煩わせるつもりなのかしら」
アリアンヌの言葉に言い返したのはポレットの友人であろう女性だった。その言葉でポレット達が言いたいことが分かってきた。つまり、マリユスに相手にされなかったのだろう。最初から一人で参加していればチャンスがあったと、本当に思っているのだろうか。そもそもマリユスに頼まれているのはアリアンヌの方だ。しかしその発言に勢いをもらったのか、黙っていた令嬢達もアリアンヌを責め立てた。
「こんな端の方で小さくなって、お兄様がいないと何もできないのね」
「仕方ないわよ、しがない伯爵家ではね」
「アンベール様とマリユス様の影に隠れてばかりで何もできないのね」
「まぁ、そんなこと仰っては可哀想よ」
ほほほ、と笑うポレットは美人なのだろうが、その顔は今は美しいとは言えない表情だとアリアンヌは思った。社交界ではお淑やかに大人しくと言っていた父や兄、家庭教師の言葉が頭を過る。言い返してはいけない、火に油を注ぐようなものだ。彼女達は黙ったままのアリアンヌに、次々と言葉を浴びせた。心無い言葉の数々はひとつひとつは小さな石のようなものでも、集まると凶器の刃にもなる。
「立派な家族の影で、彼女は何もできない可哀想な方なのよ。マリユス様のように、私達ももっと彼女に優しくしてあげなければ」
ポレットの含みのあるその言葉は、アリアンヌの自尊心にはっきりと傷を付けた。反論せず治めようとしていたアリアンヌは思わず言い返してしまう。
「貴女に……私の何が分かるのよ」
俯いたまま呟いた言葉は、令嬢達には届いていないようだった。
「何かしら?」
「──貴女達だって、同じようなものじゃない!」
顔を上げ、睨むように言ったアリアンヌに、ポレットは顔を赤くした。周囲の令嬢達がそれを見て何かを言っているが、最早アリアンヌには聞こえていない。不味いと思った時には遅かった。ポレットはアリアンヌに近付き、アリアンヌが手にしていた飲みかけの果実水の入ったグラスを力づくで奪い取る。
「……貴女は少し、身の程を知るべきだわ」
低い声でそう言ったポレットは口の端を上げた。
マリユスはその時、アリアンヌからいくらか離れた軽食のためのスペースで友人達と話していた。昨年の社交シーズン振りに会う友人もいて、話は尽きない。
──アリアンヌもさっきまで踊っていたし、大丈夫だろう。
自分の妹は存外しっかりしているのだ。見目麗しい妹は、マリユスの友人達からも紹介しろと言われるが、父と兄がアリアンヌの婚約について口を噤んでいる以上、マリユスは何もできない。そのとき、友人の一人が慌てた様子でマリユスに声を掛けた。
「おい、あれ──」
小さく指で示す先には、女性が数名壁を覆うように立っている光景があった。訝しんでしばらく見ていると、ちらりと覗いたのは薄い緑色のドレスだ。
「え、ちょっ。どういうことだよ」
「俺に聞くなよ。さっきあそこにマリユスの妹がいただろう?いきなり囲まれたみたいで……」
「相手は」
「トレスプーシュ侯爵令嬢らしい」
アリアンヌを囲んでいるという令嬢達の中でも最も華やかなドレスの女性をそっと示した。マリユスはそれを確認して顔を顰める。
「……さっき話し掛けてきた女だ」
友人を待たせていた時だったので、丁重にお断りしたのを覚えている。正直言えばそれはマリユスの言い訳で、ただ気位の高そうな令嬢と関わりたくなかっただけなのだが。
「マリユスのせいじゃないのか?それ……」
マリユスは会場を見渡した。相手が悪い。今この場で対抗し得るのは、マリユスでもアンベールでもない。父であるレイモンは当てにならない。とすれば、同じく侯爵令嬢のリゼットだ。慌てて視線を巡らせてリゼットを探す。反対側の端で、アンベールとリゼットは年嵩の貴族らしい夫婦と社交に勤しんでいた。
マリユスはそれを確認すると、友人達に一礼してアンベールとリゼットの元へ向かった。途中人混みを左右に避けながら、どうにか二人の所まで辿り着いた。マリユスの様子に、アンベールが一度会話を止めてマリユスの方を向いた。マリユスはアンベールの耳元で簡単に状況を説明する。アンベールは視界の端でアリアンヌ達を確認し、リゼットに声を掛けた。
「リゼ、しばらくマリユスと一緒にいて貰えるか?」
アンベールが目を一瞬眇めた態度から、リゼットは何かがあるのだと察した。
「構いませんわ。後で迎えに来てくださいませ」
エスコートの形で差し出したマリユスの左手に、リゼットは右手を乗せた。
マリユスはなんだかんだと良い女ばかりエスコートしている気がする……