幸せな未来へ
※リヒャルトとアリアンヌの新婚初夜編です。
盛大に行われた結婚式が終われば、披露宴が行われた。公爵邸のホールには華やかな花が飾られ、アリアンヌもエメラルド色のドレスに着替えた。この日の為に仕立てたドレスは重ねたシフォンの生地に金糸で精緻な刺繍が入れられており、まだ若いアリアンヌを少し大人に見せていた。リヒャルトは碧いクラヴァットとチーフを身につけており、違いの瞳の色を交換したような装いに、国中ばかりでなく近隣諸国からも集まった多くのゲストが感嘆の声を上げていた。
皆が笑顔で、公爵邸が賑やかで、幸せな涙が何度も溢れる。忙しそうに駆け回る使用人達でさえ、披露宴が終わるのを惜しむほどだった。
公爵家から来賓が帰った後、場所をシャリエ伯爵邸に移し、宴は深夜まで続いた。
そしてアリアンヌは、披露宴が終えてから、ナタリーとニナ、そしてエリスによって念入りに寝支度をされていた。
「ねぇナタリー。……大丈夫かしら」
アリアンヌにしては珍しく弱気な発言だ。ナタリーは主人を可愛らしく思い、少しでも安心させるように言う。
「大丈夫ですよ。リヒャルト様にお任せすれば良いと、母さんも言ってましたし」
ナタリーの母親は、アリアンヌの乳母でもある。
「──そう、そうよね」
アリアンヌは頷く。亜麻色の髪に薔薇の香油を馴染ませ、薄く化粧をしてもらう。前をリボンで留めるデザインの白い夜着には、繊細なレースが惜しげもなく使われており、いかにもなそれがよりアリアンヌの緊張を高める。
エリスは何を言って良いか分からないようで、恥ずかしさに頬を染めていた。
「大丈夫ですよ、アリアンヌ様! 何をするのか分からないですけど」
呑気なニナの言葉に、アリアンヌは肩の力を抜いた。
「みんな、ありがとう。……私、幸せよ」
ふわりと微笑んだアリアンヌに、ナタリーも笑みを返す。一度も使われていなかったロージェル公爵邸の公爵夫人のための私室、その寝室に、アリアンヌは一人取り残された。
「──アリアンヌ、入って良いかな?」
扉がノックされ、外から声が掛けられる。
「はい。お待ちしておりましたわ」
高鳴る心臓を抑え、アリアンヌは返事をした。リヒャルトもまた夜着を着ていて、少し緩い襟元がアリアンヌの頬を染めさせる。ソファーから立ち上がってリヒャルトの側へ歩み寄ると、リヒャルトはアリアンヌの手を取った。室内はランプと月の明かりだけだ。
「怖い?」
窺うように見下ろしてくるリヒャルトに、アリアンヌは少し背伸びして不敵な笑みを浮かべる。
「──誰に聞いていますの?」
「そうだね」
リヒャルトのとけるような微笑みが、アリアンヌの見たことのない熱をはらんでいた。まるで魅入られてしまったかのように、目を逸らすことができない。リヒャルトもアリアンヌの澄んだ湖面のような碧い瞳から目が離せなかった。潤んだ瞳は、僅かな光で揺らいでいる。リヒャルトは手を引いて、アリアンヌと共に寝台に座った。
「今日は疲れただろう?」
「ええ。ですが、幸せですわ。皆が笑っていて、リヒャルト様もお幸せそうで──」
「アリアンヌは?」
「私も、もちろん幸せです。暖かく賑やかな場所になると、あの日お話しましたわ」
それは流れ星の下交わした約束だ。そして何度もアリアンヌが口にした、リヒャルトへの愛の言葉でもある。
「──本当にありがとう。アリアンヌに出会えて、良かった」
その言葉で、アリアンヌはそれまで色々と悩んでいたことを全て放棄した。リヒャルトに任せていれば大丈夫だと言ったナタリーの言葉が、すとんと腑に落ちる。唇が軽く重なった。
「リヒャルト様……」
熱っぽく見上げると、リヒャルトはもう一度顔を近付けた。少しずつ深くなっていく口づけが、次第にアリアンヌの思考を溶かしていく。
リヒャルトはアリアンヌを寝台に優しく横たえた。見下ろすエメラルドグリーンの瞳が揺らいでいる。アリアンヌは、そっと手を差し伸べてその赤銅色の髪に触れた。
「大丈夫です、リヒャルト様。愛しています」
目を見張ったリヒャルトの手が、優しくアリアンヌの頭を撫でた。そのまま頬を滑り、首筋に触れる。アリアンヌは擽ったさに首を竦めた。
「私も愛している。誰より素敵な──私の妻だ」
胸がいっぱいになって、アリアンヌの瞳から一雫の涙が溢れた。認められたいと走ってきたアリアンヌだが、リヒャルトのただ一人だと言ってもらうことが、一番嬉しく心に沁みる。
リヒャルトの唇がアリアンヌの頬に触れ、涙を拭うように動いていく。
「──愛している」
何度も聞いた愛の言葉が、こんなにも艶やかに響くのは今が夜だからだろうか。耳元で低く囁かれ、背中に甘い痺れが走る。
「私もです……っ」
アリアンヌの顔は、羞恥に火照っている。リヒャルトは薄く微笑み、アリアンヌを優しく抱き締めた。
窓の外は、白く明るい。アリアンヌは微睡みから目覚めると、隣にあるはずの温もりがないことに気付いて身体を起こした。まだ朝ではなく、月明かりだったようた。初めて感じる痛みに、僅かに顔を顰める。しかしそれも幸福の象徴のようで、心がほわりと温まる。手探りで見つけた夜着を着て寝台から出ると、リヒャルトは窓辺で外を見ていたようだった。
「──リヒャルト様」
声を掛けると、リヒャルトは振り返った。アリアンヌはすぐ隣に並び、同じように外を見る。月が明るく、よく晴れた夜だった。
「アリアンヌ、身体は平気か?」
「はい」
本当は少し辛いが、一つになれた喜びの方が大きい。初めて見た余裕のないリヒャルトの表情を思い出すと、頬がまた熱を持った。リヒャルトは気遣うようにそっとアリアンヌの腰を引き寄せる。少し冷えた夜に、触れ合う身体の体温が心地良かった。
「もう少し休みなさい。まだ夜中だよ」
「リヒャルト様も一緒が良いです」
アリアンヌはねだるようにリヒャルトの胸に手を当て、上目遣いで見上げた。リヒャルトはそんなアリアンヌを見下ろし──痛いくらいの強さで抱き締めた。
「……ありがとう」
その声は少し掠れていた。側で寄り添う優しさが、リヒャルトの心の最後の氷を溶かしていく。その雫が涙となって、静かにアリアンヌの首元に落ちた。
「リヒャルト様。……まだこれから、もっと幸せになりましょう」
アリアンヌはリヒャルトを抱き締め返し、その胸元に頬を寄せた。これからの毎日が、暖かい幸せで溢れていけばいい。アリアンヌはリヒャルトに、リヒャルトはアリアンヌに──互いにそう思って、もう一度口付けた。
以上で完結です。
ご愛読頂き、ありがとうございました!