あの日の裏側で
第四章『はやる心』から『流れ星にかけた願い』までの舞台裏です。
ギャグ成分あります。
あの時、彼らはどうしていたのか……!
少しでも楽しんで頂ければと思います。
ティモテはモーリスの言葉に嘆息した。
「なんだかモーリスさん、呪いを解きたくないみたいですよ。もう少し前向きに考えましょうよ」
「──毎日リヒャルト様を側で見ているティモテなら分かるだろう」
ティモテはモーリスの言葉に目を見張った。最近のリヒャルトは、空いた時間は常に仕事をしようとしている。それは考えてしまう時間を減らそうとするようでもあった。それでも諦め切れないティモテは、他に方法がないか真剣に考えるのだった。
そしてティモテが相談したのは、シャリエ家で働くナタリーとニナだった。早朝、アリアンヌが目覚める時間より早くいきなりシャリエ伯爵邸を訪ねたのだ。
「──確かに可能性はありますね」
ティモテの言葉に、ナタリーが真面目な表情で呟く。ニナは顔を青くしていた。
「でも、アリアンヌ様はただでさえお辛い思いをなさっているのに……」
「だけど、呪いが解けないとリヒャルト様とアリアンヌ様は、側にいられないんだ!僕は……僕は、二人には幸せになってもらいたい」
ティモテがニナに焦った口調で言う。ティモテにしては珍しい取り乱した様子に、ニナは目を見張った。
「ティモテさん、そんなにお二人のことを……分かりました。私はお手伝いします!」
「私も是非協力させてくださいませ」
ナタリーも同意する。アリアンヌは明日領地に帰る予定なのだ。限られた時間の中、賭けられるものがあるなら賭けてみたかった。
「あとは……」
ティモテが他に誰かいないかと顔を上向けると、天井裏から板をずらして覗き込んでいるウーヴェと目が合った。ウーヴェは嘆息し、天井板を元に戻しつつ床に降り立つ。
「──俺の力も使え」
どこか気まずそうに顔を背けるウーヴェに、ティモテは驚きを隠せない。
「いいのか?君、僕のこと嫌いだろ?」
「嫌いじゃない、気配を悟られるのが苦手なんだ。……オウジサマとオヒメサマが中々幸せになってくれないから。俺にできることがあればさせてくれ」
ウーヴェの言葉に、ティモテはくしゃりと笑った。
「ありがとう、ウーヴェさん!君がいると本当に助かるよ!」
「……お前、タチが悪いな」
それから四人は、どのようにして二人を引き合わせるか打ち合わせをした。残された時間は少ない。短い時間でどう動くのか、それが鍵だった。
【モーリスの場合】
「モーリスさん、お願いします!これだけ、今回だけ助けてください!」
ティモテがモーリスに深く頭を下げる。モーリスは寝起き姿のままである。なにせ、まだ早朝なのだ。リヒャルトが起きる時間より、使用人達が起きる時間より早く、ティモテはモーリスの家族が住む建物のモーリスの私室へと押しかけたのだ。
「だけどなぁ……」
「お願いです!一日くらい、モーリスさんならどうにかなるでしょう!?」
モーリスは頭を抱えた。確かに、モーリスならどうにかすることができる。頭を上げようとしないティモテの姿は、本気であると強く訴えかけてくる。
「──分かった分かった。だけど、後は貴方達でどうにかしてくださいよ」
モーリスが溜息混じりに言うと、ティモテはぱっと顔を上げた。
「本当ですか?ありがとうございます!あ、僕他にもやることあるので、よろしくお願いします!」
嵐のように走って行くティモテに、モーリスは一度伸びをして立ち上がる。期待し過ぎたくはないが、リヒャルトにもアリアンヌにも気取られずに作戦を実行できるのなら、モーリスは行動すると決めていた。リヒャルトに隠し事をするのは心が痛いが、今回ばかりは仕方がない。
「──では、書きますか。ええと、一番上質な紙は……」
モーリスはラインハルト宛に、リヒャルトが出勤したら今日は帰らせるように依頼する手紙を書く。リヒャルトに付いて王城に行くこともあったモーリスは、ラインハルトと何度も面識があった。そうでなくとも公爵家の筆頭執事からの依頼だ。ラインハルトの性格上、無碍にされることはないだろう。
【ナタリーの場合】
「──アリアンヌ様。そういえば、持ち帰ってきた相談記録って、ご覧になったのですか?」
ナタリーはさり気なさを装ってアリアンヌに問い掛けた。アリアンヌは自室で首を捻る。
「そういえば、読んでいなかったわ。……何か手掛かりがあるかしら?」
「それでは、午後にお庭でお読みになりますか?せっかく暖かくなって来ましたし、紅茶をお持ちします」
ナタリーの提案に、アリアンヌはぱっと表情を明るくした。ナタリーは心に過る罪悪感を敢えて無視してアリアンヌに微笑んだ。
「良いわね、そうしましょう。──あら、そういえば、ニナは今日はどうしたの?」
ナタリーは突然のアリアンヌからの問い掛けに焦りを必死で隠す。
「ニナは──今日は、お休みですわ!」
開き直ってきっぱりと言い切ったナタリーに、アリアンヌは頷くしかなかった。
【エリスの場合】
「ウ、ウーヴェさん……アリアンヌ様とリヒャルト様が喧嘩って、本当ですか!?」
エリスは、最近知った新しいロージェル公爵家に仕える仲間であるウーヴェの言葉に目を見張って動きを止め、手に持っていたタオルを落としてしまった。そのあまりの驚きように、ウーヴェの方が驚いてしまう。
「い、いや……エリス。仲直りさせれば良いだけだ」
少し引き気味に口を開いたウーヴェに、エリスは少しだけ安心したようだった。
「そう……そう、ですよね。──それで、私は何をすれば良いのでしょうかっ!」
ウーヴェは、ティモテから聞いていたエリスの話とは、雰囲気が大分違っているように感じた。遠慮がちではあるが、意思ははっきりしているようだ。
「──ありがとう。エリスには馬車を用意しているから、適当に走って、アリアンヌ様を見つけたら譲ってあげて欲しいんだ」
「はいっ、分かりました!」
そのままの勢いで出て行ってしまいそうなエリスの腕を、ウーヴェが慌てて掴む。エリスはびくっと肩を震わせた。怖がらせてしまっただろうか。
「いい?あくまで自然に、自然にだ。良いね?」
ウーヴェはエリスに念を押す。エリスは肩を竦めたまま、それでもはっきりと返事をして駆け出して行った。
【ティモテの場合】
「ええ!?アリアンヌ様、本当に飛び出してっちゃったの!?」
ウーヴェの報告に、ティモテは目を丸くした。
「ナタリーが伯爵家の人に言付けを頼んでから追いかけるそうだ。エリスが上手く拾ってくれると良いけどな」
「と……とにかく、公爵邸に着いたら知らせてくれ!」
ティモテはリヒャルトのいる執務室へと向かった。リヒャルトは相変わらず、机に向かって書類を片付けている。
「リヒャルト様、お疲れ様です」
「──ティモテ、用はもう良いのか?」
目線を書類から逸らさないまま、リヒャルトはティモテに言う。ティモテはどうにかしてリヒャルトを執務室から連れ出さねばならなかった。
「え、ああ、はい。大丈夫です!あのー……リヒャルト様?」
リヒャルトは珍しいティモテの窺うような言葉に顔を上げた。怪訝な表情で万年筆に蓋をする。
「──なんだ、どうかしたのか?」
リヒャルトの眉間には皺が寄っていた。ティモテはどうやってこれを説得しようかと頭を抱えたい衝動に駆られる。当たって砕けろとばかりに、ティモテは勢いよく口を開いた。
「リヒャルト様、サロン行きましょう、サロン!陛下から自宅勤務の指示が出たからって、ずっと執務室に篭ってたら、キノコ生えますよ、キノコ!その綺麗なお顔の額から、にょきにょき生えてきますよ!?」
まくし立てるようなティモテの言葉に、リヒャルトは目を見開いて驚いた。
「……ティモテ、何を言っている?」
「ああ、そうじゃなくて……僕とサロンで仕事してください!」
「いや、ええと……」
ティモテはついに頭を抱えてしまった。どう言って良いのか、上手く言葉が出てこない。
「──お願いですから、素直に頷いてくださいリヒャルト様ー!」
「……分かった、行く。行くからティモテは少し落ち着こう、な?」
ティモテは苦笑混じりのリヒャルトの言葉に、ばっと顔を上げた。
「本当ですか!?」
「ああ、本当だ。……そんなに執務室が気詰まりなら、素直にそう言えば良いんだ」
「ありがとうございます……!」
ティモテはリヒャルトの書類を抱え、悠々とサロンへと運び込んだ。
【ウーヴェの場合】
「──ティモテ、彼奴、人使いが荒いっての……!」
ウーヴェはシャリエ伯爵邸からロージェル公爵邸へ移動し、それからエリスの馬車に合流し、アリアンヌがロージェル公爵邸に着いたことを知らせにサロンの物陰からティモテにサインを送った。慌てて廊下に出てきたティモテに、ウーヴェは口を開く。
「今、裏口で門番に止められてる」
「──もっと早く教えてくれっ!」
ティモテは廊下を全速力で駆け抜けて行った。ウーヴェはそれを見送り嘆息して、公爵邸の二階に移動する。これだけ動いたのだから、せめて特等席でリヒャルトとアリアンヌの行く末を見守ろうと思ったのだ。
ロージェル公爵邸の天井裏は、ウーヴェが自分の為にこつこつ掃除した甲斐あって、埃もほとんどなく快適な場所になっている。隠し扉から一階サロンの丁度上にあたる場所に出る。ウーヴェが僅かに天井板をずらしたのと、アリアンヌが入って来たのは、ほぼ同時だった。
「──リヒャルト様。私、貴方をお慕いしております」
痛みを堪えて溢れ出た言葉は、飾り気のないアリアンヌの本心だった。言葉と一緒に堪えていた涙も溢れてくる。滲む視界の中、リヒャルトが固まったまま動けずにいるのが分かった。頭を襲う痛みが、生理的な涙になり、アリアンヌの心からの涙と共に次から次へと流れていく。
「忘れた過去を思い出せなくとも、もう私はリヒャルト様……の、隣にいたいのです。リヒャルト様、どうか私を一人にしないでください。私を、諦めないでください。お荷物かもしれないですが、──私は、リヒャルト様が……っ」
アリアンヌが続けようとした言葉は、リヒャルトからの突然の口付けに飲み込まれた。
「──そんなに自分を傷付けないで。分かったから、無理に名前を呼ばなくて良い」
リヒャルトは涙と痛みと疲労でぐしゃぐしゃの顔のアリアンヌを、まるでこの世界に引き留めようとするかのように強く抱き締める。
「リヒャルト様──」
それでも名前を口にするアリアンヌに、リヒャルトは抱き締める腕の力を緩め、正面から真っ直ぐにアリアンヌの瞳を見た。互いの視線が絡み、アリアンヌはそこに潜む熱に息を飲む。リヒャルトの瞳も、涙を湛えて揺れていた。
「私も愛しているよ、アリアンヌ。──だから、もう黙って」
再び重ねられた唇は、ただただ甘く柔らかかった。背に回されたリヒャルトの腕は優しくアリアンヌを抱き締めている。アリアンヌは襲われていた痛みも忘れ、瞳を閉じて幸福な感覚に酔いしれた。
【ニナの場合】
「アリアンヌ様の記憶が、戻ったのですね!良かった、良かったです……!」
ウーヴェからアリアンヌの呪いが解けたと報告を聞いたニナは、今にも泣き出してしまいそうなのを必死で堪えた。ロージェル公爵邸の二階、公爵夫人が使う部屋で、ニナはアリアンヌの着替えを並べている。
「もうすぐこっちに来るから、予定通り着替えを頼む」
「ええ、もちろんです。私だけここで待っていて、もうそろそろ我慢の限界でした!」
ニナはわきわきと手を動かした。ドレスは春らしい薄い水色だ。きっと疲れているアリアンヌの為に、温めた濡れタオルも忘れない。多少泣いていても大丈夫なよう、化粧品は伯爵家から持って来ていた。
「──そ、そうか……」
少し引き気味のウーヴェに、ニナはにっこりと笑う。自覚しないままに、笑顔の頬から涙が溢れた。後悔を越える嬉しさが、ニナの心を満たしている。
「私にはこれくらいしかできません。本当に──本当に良かったです」
モーリスは報告を受けると、待っていたとばかりにリヒャルトの同意のないまま食堂を片付け、メイドに料理と飲み物を運ばせてしまった。
アンベールとマリユスが、リゼットとフェリシテが、レイモンとリヒャルトが、そしてラインハルトが楽しそうに酒を飲み会話に花を咲かせている。ティモテとウーヴェは、仕事から離れようとしないモーリスに酒と料理を勧めていた。
アリアンヌが、ありがとうと言って、ナタリーとニナを抱き締める。
すっかり無礼講の宴会となったロージェル公爵家の厨房では、エリスが嬉しそうに皿を洗っていた。
楽しく温かい雰囲気は、伝染して皆を笑顔にしていった。ロージェル公爵家の使用人達は、これからの賑やかで幸せな未来を想像し、期待に胸を膨らませたのだった。
新作長編『捨てられ男爵令嬢は黒騎士様のお気に入り』2019年3月21日、連載開始しました!
家を追い出された男爵令嬢ソフィアと黒騎士ギルバートの恋愛模様、お楽しみ頂ければと思います。
今後も『伯爵令嬢の華麗なる暇潰し』の番外編は書いていきます。
引き続きよろしくお願いします!