エピローグ2
その日は爽やかな秋晴れで、まるで空も二人を祝福しているかのようだった。抜けるような青空の下、王都の大聖堂のステンドグラスは陽の光を受けてきらきらと鮮やかに輝いている。
王弟リヒャルト・ロージェル公爵とアリアンヌ・シャリエ伯爵令嬢の結婚式には、国内の多くの貴族が参列していた。そればかりでなく、親族としてクローリス国王である異母兄ラインハルトと王妃が、そして近隣諸国の外交大使や王族までもが集まり、国を挙げての大変な行事となっている。
「──誰よ、こんなに招待状を撒いたの……」
アリアンヌは控室で今更の溜息を吐いた。
「お綺麗ですよ、アリアンヌ様。こんなに素敵な花嫁支度のお手伝いができて……私、幸せです」
今にも泣き出しそうに瞳を潤ませたナタリーが、アリアンヌのウエディングドレス姿を賞賛する。
「ありがとう、ナタリー」
「私もお手伝いできて嬉しいです。アリアンヌ様、本当にお似合いです……!」
満面の笑みを浮かべているのはニナだ。からっとした笑顔が、今のアリアンヌには救いだった。
「──諸外国に招待状を配ったのは陛下だよ。弟が結婚すると言って、ご丁寧にも外交を任せるつもりだとの言葉と一緒にね」
「アリアンヌ、お前本当にとんでもない人と結婚するんだな……頑張れよ」
「アンベールお兄様、マリユスお兄様……」
アンベールとマリユスが、アリアンヌの支度が終わったと聞いて入室してきた。二人とも少し呆れているようだ。
「アリアンヌの方が私より先に結婚するとはね。……そろそろ私も日取りを決めねばならないな」
悪戯な表情で言ったアンベールに、アリアンヌは少し肩の力を抜いて笑った。
「そうですわ、お兄様。いつまでも婚約のままでいると、誰かに持っていかれてしまいますわよ。リゼットお姉様は魅力的なんですからね!」
「兄上、言われてますよ」
マリユスは他人事のように言った。アリアンヌはマリユスにじとっとした目を向ける。
「マリユスお兄様は、まず相手を見つけてくださいませ」
「なっ!──あ、相手……なら、その……」
マリユスはちらっとニナに顔を向け、すぐに逸らしてしまう。ニナは全く気付いていない様子で、部屋の隅に控えたままアリアンヌの姿に見惚れていた。
「まぁ……ふふ。失礼しましたわ、お兄様」
アリアンヌが微笑んだところで、使用人から時間だと知らせる声が掛かり、控室にはアリアンヌだけが残された。修道女の案内で、アリアンヌは大聖堂の前へと移動する。扉の前では、レイモンがアリアンヌが来るのを待っていた。
「お父様、お待たせ致しましたわ」
アリアンヌが声を掛けると、レイモンは俯いていた顔を上げた。アリアンヌの姿を見て、目を見張る。
純白のウエディングドレスには、銀糸で細かな花の刺繍が入れられ、縫い止められた小粒のダイヤモンドがキラキラと輝いている。エンパイアラインのドレスは荘厳かつ華やかな大聖堂に良く似合っていた。編み込み結い上げられた亜麻色の髪は清廉な印象で、澄んだ湖面のような碧い瞳と共に上質なボビンレースのヴェールに覆われている。まるで昔見た最愛の妻のように幸福な娘の姿に、レイモンの胸はいっぱいになった。
アリアンヌがぎこちなく微笑むと、レイモンは表情を戻しアリアンヌの手を取った。僅かに眉間に皺を寄せているレイモンの顔は怒っているようにも見えたが、その瞳は潤んでいる。
「アリアンヌ……今日は本当におめでとう。レティシアも、きっと喜んでいる」
レイモンはアリアンヌにだけ聞こえるように声を潜めた。
「お父様……」
「愛している。私のただ一人の、可愛い娘だ。──幸せになりなさい」
アリアンヌはヴェールの中で、目頭が熱くなるのを感じた。レイモンに直接このような愛の言葉を言われたのは、いつ以来だっただろう。
「ああ、まだ泣くな。これから本番なんだから」
アリアンヌに泣くなと言うレイモンは、ポケットから取り出したハンカチで目元を押さえている。全く説得力のないその姿に、アリアンヌは涙を堪えて笑った。
バージンロードを歩くアリアンヌに、大勢の視線が向けられる。リゼットが、フェリシテが、そしてアリアンヌよりずっと歳上の貴族達の目が、アリアンヌとリヒャルトの姿を追っている。緊張するが、今のアリアンヌはレイモンの言葉が自信になっていた。祭壇の前に立つリヒャルトは、各国の要人を招いていることもあり、今日は王族の衣装を真似た作りの正装だ。その凛とした立ち姿は、アリアンヌが子供の頃に憧れたお伽話の王子様そのもののようだった。
アリアンヌの右手が、レイモンからリヒャルトに渡される。重ねた掌から、リヒャルトの熱が伝わった。
「──綺麗だ」
リヒャルトに甘く微笑まれれば、アリアンヌにはもう怖いものなどなかった。祭壇に向き直ると、神父がアリアンヌとリヒャルトを見て頷く。
誓いの言葉を口にして、誓約書にサインを並べてしまえば、もうアリアンヌはリヒャルトのものだった。向き合うアリアンヌのヴェールを、リヒャルトがそっと持ち上げる。
「……なんだか、恥ずかしいです」
アリアンヌは頬を染め、潤んだ瞳でリヒャルトを見つめ小さく呟いた。リヒャルトはその澄んだ湖面のように碧い瞳から目を逸らせない。
「そのまま私だけを見ているといい」
強引な言葉に反して優しく柔らかな口付けは、神聖なものであるはずなのに、アリアンヌの鼓動をひどく高鳴らせた。
大聖堂の鐘が鳴る。
花弁の雨が教会から出たリヒャルトとアリアンヌに降り注ぎ、深紅の絨毯に白やピンクの華やかな祝福が散らばっていく。
アリアンヌはリヒャルトのエスコートで歩を進めながら、暖かい幸福で涙が止まらなかった。
「──アリアンヌ、私を選んでくれてありがとう。幸せにするよ、私の全てを賭けて誓う」
リヒャルトはアリアンヌと重ねている手を、少し力を入れて握った。前を向く瞳に、迷いは一切ない。アリアンヌも想いを返すようにぎゅっと握り返した。
「ずっとお側にいさせてくださいませ。リヒャルト様の隣が、私の一番の幸せですわ」
アリアンヌの幸福な涙が溢れる瞳には、優しい覚悟の色が滲んでいた。リヒャルトはアリアンヌに向き直ると、その頬に手を添える。リヒャルトはアリアンヌの頬を伝う涙を優しく拭うと、そのままふわりとアリアンヌを抱き上げ、頬に優しくキスをした。急に襲った浮遊感と突然の行為に、アリアンヌの頬は赤くなる。
「──な、何をなさっていますの!?」
「可愛い私の妻を、皆に見せつけたくて」
悪戯な微笑みを浮かべたリヒャルトに、アリアンヌは声を上げて笑った。
これからもアリアンヌは何度も迷うだろう。リヒャルトもまた、困難にぶつかることがあるだろう。
それでも互いの存在が、ずっと側にあるのなら、何があっても幸せだと、心の底から信じられた。
そうして『王子様』と『お姫様』は、ずっと幸せに暮らしていくのです。
── Ils vecurent heureux jusqu'a la fin de leurs jours──
これにて完結です!
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
ここまで書いてこれたのは読者の皆様のおかげです。
今後も番外編として、本編の裏話やその後のお話など、書いていきたいと思います。
今後も、アリアンヌ達の騒がしい日常と成長とたまに暇潰しを、見守って頂けると嬉しいです。
本当にありがとうございました。