二度目のプロポーズ
私がその日出会ったのは、可憐で美しい『妖精姫』だった。私とあまり歳は変わらない筈なのに少女のような雰囲気があり、私はこの女性が社交界で『妖精姫』と呼ばれる所以を知った。儚げな姿は薔薇の温室の中にいるとより幻想的で、私は声を掛けられて驚いた。
「──王妃様、こんなところでどうなさったのですか?」
王城ではガーデンパーティが開かれていて、私はそこで場に馴染めないでいた。『彼女』は貴族達に囲まれていたし、『彼』は気軽に席を動けない。私だけが自由で、孤独だった。
「貴女こそどうなさったの?」
「──私は……少し、疲れてしまっただけですわ」
言われてみれば、確かに『妖精姫』の顔色は悪かった。私はどうしようか悩み、咄嗟に侍女達にティーテーブルと椅子を用意させる。
「せっかくですので、お茶をご一緒してくださいませんか?」
「──まぁ、よろしいのですか?」
パーティから隠れていたような私にとって、一緒にお茶をしてくれるのはありがたかった。ゆっくりと、とりとめのない話を色々とした。『妖精姫』は話を聞くのが上手だった。私はこの儚げな女性に三人も子供がいたことに驚いた。
「レティシア、ここにいたのか?──王妃様、妻の相手をしてくださっていたのですか。ありがとうございます」
それまで微笑んでいた『妖精姫』は、聞こえてきた声に僅かに頬を染めた。二人きりのお茶会に乱入してきたのは、精悍な印象の男だった。
「レイモン様──」
「体調はどうだ?貴女はあまり身体が丈夫ではないのだから、今日は無理をしないで帰ろうか」
「……大丈夫です。王妃様と温室でお話していたら、元気になりましたわ」
男は心配そうに『妖精姫』の手を撫でる。穏やかに優しく愛されているのだろう。『妖精姫』もまた、男を信頼して甘えているのが分かった。
「王妃様、ありがとうございます」
「いいのよ。──身体が弱いのなら、長く風に当たるのは良くないわ。気を付けてあげなさい」
私が男に言うと、男は頷いた。『妖精姫』は私にお礼を言う。話したのはその一度きりだったが、その美しさと素直さと──ただ一人に大切に愛されている姿に、私はどうしようもなく憧れた。私が心から欲しいと思って、手に入らないものを『妖精姫』は全て持っていた。まだ何も壊れていなかった、私の子供が十になる年のことだった。
アリアンヌが目を開けると、そこはまだロージェル公爵邸のサロンで、ソファに寝かされていた。リヒャルトの腕に抱き締められ口付けをしたまま、眠ってしまったのだ。すぐ側にいたリヒャルトが、アリアンヌが起きたことに気付いて手を握る。心から安堵していることが分かる柔らかな表情で、リヒャルトはアリアンヌに微笑んだ。
「──目が覚めて良かった」
アリアンヌが前に倒れたときは、一日半目を覚まさなかったのだ。アリアンヌは身体を起こし、リヒャルトの手を握り返した。
「リヒャルト様、ありがとうございます。ですが、私はただ貴方に守られていたい訳ではないと……以前も申し上げた筈ですわ」
アリアンヌは久しぶりに思考がはっきりとしていた。頭にかかっていた靄のようなものが消え去ったようだ。名前を呼んでも、もう何処も痛みを感じない。アリアンヌは繋いでいない左手を口に当て、驚きに目を見張った。リヒャルトは動けないまま、アリアンヌの澄んだ湖面のように碧い瞳を、探るようにじっと覗き込む。
「アリアンヌ、記憶が──?」
リヒャルトは右手をそっとアリアンヌに伸ばした。アリアンヌはリヒャルトに撫でるように頬に触れられ、顔が熱を持つのが分かる。胸の中が温かいもので満たされていくようだった。今日のアリアンヌは泣いてばかりだったが、嬉しさから流れる涙は温かい。
「はい。はい……確かに覚えておりますわ。リヒャルト様──やっと、お名前をお呼びできます」
穏やかに涙を流しながら微笑んだアリアンヌを、リヒャルトは優しく抱き締めた。アリアンヌはおずおずとリヒャルトの背に腕を回す。抱き締め返す感触がアリアンヌの良く知っているものと同じで、リヒャルトを思い出せたという事実がすとんと胸に収まった。
「アリアンヌ、ありがとう。……私のせいで辛い思いをさせてすまなかった。──愛している」
リヒャルトが、アリアンヌにだけ聞こえる小さな声で、囁くように言う。アリアンヌはその愛情が込められた言葉に、リヒャルトに頬ずりをした。
「──私も愛しています、リヒャルト様」
アリアンヌは腕の力を強め、ぎゅっとリヒャルトにしがみ付く。リヒャルトは片腕を抱き締めたまま、もう片手でアリアンヌの頭をあやすようにゆっくりと撫でた。
「体調はもう大丈夫?」
「……はい、何ともありません。──リヒャルト様はやっぱり、私の運命の『王子様』ですわ。また私を、隣に置いてくださいますか……?」
甘えるようにリヒャルトに身体を預けるアリアンヌは、その腕の心地良さに安心する。リヒャルトもまた、腕の中にいるアリアンヌが愛おしく、二度と離したくないと強く思った。
「当然だよ。……私はもう、貴女がいないと駄目なようだ。離してやれなくてすまないが、何があっても側にいてほしい。だから……早く私と結婚してくれ、アリアンヌ」
リヒャルトからの二度目のプロポーズは、格好良いとは言い難い、縋るような言葉だった。アリアンヌは共に過ごした時間を噛みしめるように、リヒャルトの腕の中で頷いたのだった。