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通じ合う想い

エリスに借りた馬車は、すぐにロージェル公爵邸に着いた。アリアンヌが裏口から入ろうと門の前に立つ。ロージェル公爵家の使用人が使う馬車から降りた、明らかに貴族の風貌の令嬢に、門番が怪訝な顔をした。眉を下げアリアンヌがどうしようか逡巡していると、ティモテが本邸の方から駆け足でやってきた。


「アリアンヌ様、来るなら先に知らせを……って、その様子じゃ無理だったかな。あ、この人はアリアンヌ様だから。通して良いって」


「アリアンヌ様──って」


ティモテは笑顔で困惑している門番の肩を叩いた。アリアンヌはティモテの言葉で自らの今の姿に気付き、羞恥に俯く。泣いた上に途中までは走ってきたのだ。今更と知りつつ、アリアンヌは乱れた髪とドレスの裾を整えた。化粧は薄かったから大丈夫だろうと、取り出したハンカチで乾いた涙を拭う。


「ほら。行きましょう、アリアンヌ様。リヒャルト様なら、今はサロンにいらっしゃいますよ」


アリアンヌはティモテに導かれるままにロージェル公爵家の敷地内に入った。リヒャルトの護衛として働いているティモテを、アリアンヌは知っている。アリアンヌは今更の疑問をティモテに問いかけた。


「公爵様は、今日はご公務ではないの?」


「今日は、ちょうどお休みです」


悪戯っ子のような笑みを浮かべたティモテは、迷い無く後をついて歩くアリアンヌに首を傾げた。


「あれ、なんだ。身体は覚えてるんですね」


「……どういうことかしら?」


「アリアンヌ様は、ここに来たことがあるんです。サロンの場所、分かるんですね?」


アリアンヌはティモテの言葉に目を見張った。確かに、なんとなくだが場所は分かる。


「ええ。不思議な感覚だわ」


「では、ここからはお一人でどうぞ。──ご武運をお祈りしています」


サロンの入り口の手前の廊下で、ティモテは立ち止まった。アリアンヌに先を促すように、手でサロンを示す。


「……ありがとう」


アリアンヌは、この先にリヒャルトがいると思うと、逸る心と拒絶への恐怖が綯い交ぜになった。それでも会いたい気持ちのままに、疲れて重い足で廊下を進みサロンの扉を開ける。





サロンの中では、リヒャルトが新聞を広げていた。テーブルには書類が積まれているようで、隅に控えている使用人達以外誰もいない。ここで仕事をしていたのだろうか。


「──ティモテ、遅かったな。何かあったのか?」


入ってきたのがティモテだと思ったのか、顔を上げたリヒャルトはそこにいたアリアンヌを見て動きを止めた。アリアンヌは、サロンに入って数歩で足を止めてしまう。驚きに見開いた目で、真っ直ぐにアリアンヌを見つめるリヒャルトの視線が痛かった。


「アリアンヌ、どうしてここに?私は忘れて良いと言っただろう。この場所は、貴女には記憶に絡む物が多過ぎる。もし話があるのなら、何処か他の場所で──」


リヒャルトは立ち上がり、アリアンヌの方へと数歩進んだ。アリアンヌはそれ以上のリヒャルトの言葉を聞くのが辛かった。忘れるように言ったのも、場所を変えようと言うのも、アリアンヌの為だ。リヒャルトは、拒絶するような言葉ですら、どうしてこんなにもアリアンヌに優しいのか。




「──リ……ヒャルト、様」


その名を口にすれば、頭に刺すような痛みが襲う。アリアンヌはそれを分かっていて、リヒャルトを呼んだ。咄嗟に頭を押さえたアリアンヌに、リヒャルトは複雑な表情で眉間に皺を寄せる。アリアンヌはリヒャルトから目を逸らさなかった。


「なにを──」


「リヒャルト様──リヒャルト様。……リヒャルト、様」


それでも堰を切ったように名前を繰り返すアリアンヌは、強くなっていく頭の痛みと疲れ切った足のせいで、床に膝をついた。できれば笑っていたいと思うのに、どうしても表情が歪んでしまう。それが悔しくて仕方なかった。リヒャルトは慌ててアリアンヌの元へ駆け寄り、肩を掴む。


「止めろ、アリアンヌ!」


至近距離からアリアンヌの顔を覗き込むリヒャルトの真剣な表情には、純粋な心配だけが浮かんでいた。アリアンヌは肩に触れる感触にふっと身体の力が抜け、床に座り込む。リヒャルトの腕が、アリアンヌが倒れないように咄嗟に背中を支えた。それはまるで、二人で床に座り、緩く抱き締めているかのような体勢だ。アリアンヌはリヒャルトとの近くなった距離で、じっとエメラルドグリーンの瞳を覗き込んだ。リヒャルトの瞳の色が、アリアンヌにはとても優しく映る。




「──リヒャルト様。私、貴方をお慕いしております」


痛みを堪えて溢れ出た言葉は、飾り気のないアリアンヌの本心だった。言葉と一緒に堪えていた涙も溢れてくる。滲む視界の中、リヒャルトが固まったまま動けずにいるのが分かった。頭を襲う痛みが、生理的な涙になり、アリアンヌの心からの涙と共に次から次へと流れていく。


「忘れた過去を思い出せなくとも、もう私はリヒャルト様……の、隣にいたいのです。リヒャルト様、どうか私を一人にしないでください。私を、諦めないでください。お荷物かもしれないですが、──私は、リヒャルト様が……っ」


アリアンヌが続けようとした言葉は、リヒャルトからの突然の口付けに飲み込まれた。


「──そんなに自分を傷付けないで。分かったから、無理に名前を呼ばなくて良い」


リヒャルトは涙と痛みと疲労でぐしゃぐしゃの顔のアリアンヌを、まるでこの世界に引き留めようとするかのように強く抱き締める。


「リヒャルト様──」


それでも名前を口にするアリアンヌに、リヒャルトは抱き締める腕の力を緩め、正面から真っ直ぐにアリアンヌの瞳を見た。互いの視線が絡み、アリアンヌはそこに潜む熱に息を飲む。リヒャルトの瞳も、涙を湛えて揺れていた。


「私も愛しているよ、アリアンヌ。──だから、もう黙って」


再び重ねられた唇は、ただただ甘く柔らかかった。背に回されたリヒャルトの腕は優しくアリアンヌを抱き締めている。アリアンヌは襲われていた痛みも忘れ、瞳を閉じて幸福な感覚に酔いしれた。

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