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伯爵令嬢の華麗なる暇潰し  作者: 水野沙彰
本編 第四章
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アンナの事務所にて

「──そういえば、アンナの事務所ってどうしていたかしら?」


アリアンヌは紅茶を飲みながら、読んでいた外国文学の本をテーブルに伏せ、ナタリーに問いかけた。


「お辞めになるからと片付けを進めておりましたが……」


ナタリーは覚えているか窺うように口を開いた。アリアンヌは頷く。相談屋を辞めるために、片付けをしていたことは覚えている。何故辞めようとしていたかは覚えていない。


「ええ、覚えているわ。片付け、まだ途中だったわね。行きたいけれど……」


昨日、レイモンから馬車での外出許可が下りたばかりだ。しかし、パーティーやお茶会等以外で、友人の家を訪ねる程度の許可だ。数日前に不正をしていた貴族の一斉摘発とそれに伴う大きな人事異動があったらしく、レイモンとアンベールは忙しそうにしている。マリユスも手伝いに駆り出されていた。王城の夜会は、もう三日後に迫っている。



「──行きましょう、アリアンヌ様」


躊躇しているアリアンヌに、ナタリーが勇気付けるように笑いかける。アリアンヌは首を傾げた。


「どうしたの?ナタリーがそんなことを言うなんて、珍しいわね」


「最近はニナも元気がありませんので、私が盛り上げてみようかと思いまして」


ナタリーは苦笑し、ニナを振り返った。アリアンヌが倒れて以来、ニナは確かに元気がない。きっとアリアンヌが忘れている記憶と関係があるのだろうと、深く聞けずにいた。しかし、部屋に引き篭もっているから余計に気が滅入るのかもしれない。辞書を引きながらの読書も、何故そんなに頑張って外国のものを読んでいるのか覚えていない。それでも読もうという意思だけは残っている。この部屋には、そんなものばかりだった。アリアンヌは思い切って笑った。


「そうね。お昼を食べたら事務所へ出掛けましょう。アリバイにフェリシテの家を借りるわ。二人とも、そのつもりでね」


ナタリーとニナは頷き、すぐにアリアンヌの外出着を用意し始めた。





久しぶりの事務所は、片付けの途中で来れなくなってしまったため、物がほとんどない状態のまま、雑然としていた。ナタリーとニナが処分するものを運び出し、アリアンヌは持ち帰るものを纏めている。窓からは陽の光が差し込んで、春の手前の穏やかな風が吹き込んでいた。


アリアンヌは久しぶりの事務所の執務机の感触が嬉しく、椅子に座って頬杖を付いた。これまでの相談屋としての記憶が蘇ってきて、感傷に浸る。執務机には仕掛けのある隠れた引き出しがあって、そこには相談記録が入れてあった。記憶の通りに引き出しを動かすと、奥にあるのはもう一つの引き出しだ。アリアンヌは、そこから深紅の布張りの厚みのあるノートを取り出した。


「アリアンヌ様、何かありましたかー?」


少し元気になったニナが、アリアンヌに聞く。


「ええ、相談記録があったの。毎回書いていたけれど、記録というよりは日記なのよね、これ」


アリアンヌは笑いながら言った自らの言葉に息を飲んだ。



「──日記……?」


呟いた言葉には、忘れている記憶への深い興味が滲む。


「アリアンヌ様、お読みになるのでしたら、お気を付けてください」


ナタリーが真面目な表情で釘をさす。アリアンヌはノートの表紙を手で撫でて頷いた。


「ええ、そうね。大丈夫、倒れるほど読んだりしないわ。それに、これは持って帰るから」


話しながら、リヒャルトはアリアンヌが相談屋をしていたことを知っているのだろうかと考えた。ナタリーかニナに聞いてみようと思ったが、きっとこれは呪いの範囲だろうと聞くのを止める。


「そうでございますか」


ニナがほっとしたような表情で頷いた。アリアンヌは、意識して表情を笑顔にして、明るい声を出した。


「せっかくだし、急いで片付けて、カフェに寄って帰りましょう?……もう来れないかもしれないから」


アリアンヌはレイモンから、王城の夜会が終わったら先に領地に戻るよう言われていた。それが優しさだと分かってアリアンヌは素直に頷いたが、リヒャルトを王都に一人にすることが何故か気になった。


リヒャルト・ロージェルという男のことを、アリアンヌは覚えていた。ただ、その関わりを忘れてしまっただけだ。だから、貴族であれば当然に知っている情報は、アリアンヌの中にもある。

クローリス王国の貴族に名前を知らない人はいないであろうその人。現王の弟で、前王の正妃の第一子。三年前に臣下に下った、常に厳しい表情を崩さないという噂の、王の相談役。気に入らない貴族は一切の容赦なく追い詰めるだとか、社交嫌いで王城の行事にしか顔を出さないだとか、また声を出せない理由についての憶測まで、アリアンヌも様々な話を聞いていた。直接会ったことがなかったのは、レイモンがアリアンヌの近くに兄弟以外の男を置こうとしなかったからであり、アリアンヌがデビューしたときにリヒャルトは既に臣下に下っていたため、王族席にいなかったからだろう。

そんなリヒャルトについての自らの知識と、目覚めた後に初めて見た寂しげな微笑みを思い出すと、ちくりと胸の奥が痛んだ。リヒャルトは声を出せない筈なのに、当然のようにやや低く艶のある声でアリアンヌを呼ぶのだ。


アリアンヌは思考を振り払うように首を振り、ナタリーとニナと共に片付けの作業を続けたのだった。

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