ひとつの解決
アリアンヌがリヒャルトの記憶を無くしたことが分かってから、リヒャルトは暇さえあれば王城の禁書庫に篭るようになった。王城の執務室とロージェル公爵邸の執務室、そしてシャリエ伯爵邸と禁書庫の四ヶ所を毎日移動し、合間に仮眠をして、しっかりとした休息を取る時間も作らずひたすらに仕事と呪いの解明に全力を尽くしている。そんなリヒャルトの元にウーヴェが紙の束を抱えてやってきたのは、夜になってからのことだった。
「──主、ご要望の品です」
リヒャルトしかいない王城の執務室で、リヒャルトはウーヴェから紙の束を受け取った。その書面に目を走らせると、疲労から光を失いかけていた瞳に、輝きが戻ってくる。
「流石だ、ウーヴェ。ありがとう」
リヒャルトは執務室の鍵付きの引き出しから箱を引き出すと、ウーヴェが持ってきた紙の束と合わせて持ち、ラインハルトの執務室へと向かった。
ラインハルトはリヒャルトが持ってきたものを見ると、ガラスペンを置き、満面の笑みを浮かべた。
「……揃ったか」
「確認してほしい。リストと証拠品だ。こっちは、先日話した人事の書類。サインを頼む」
「分かった。すぐに確認するから、そこに座って待っていてくれ。…紅茶を用意させよう」
リヒャルトは言われるがままに椅子に座った。出された紅茶を一口飲むと、肩の力が抜ける。小さく嘆息して顔を上げると、ラインハルトが書類に目を通しながら口を開いた。
「気持ちは分かるが無理し過ぎだよ、リヒャルト。アリアンヌ嬢は強いし、リヒャルトが倒れたらどうにもならない。……朝になれば騒ぎになる。終わったら起こすから、今は少し休んでおけ」
言われている間にもリヒャルトの瞼は重くなってくる。やっと一つのことに決着がつく安心感が、リヒャルトを久しぶりに穏やかな眠りへと誘った。ラインハルトは侍従を呼び、椅子に座ったまま眠ったリヒャルトに毛布を掛けさせる。
「──ウーヴェ、いるんだろう?リヒャルトが寝ている。今は人払いをしているから、私が仕事をしている間の警備を頼む」
ラインハルトが宙に向かって言うと、どこかからコツコツと何かを叩く音がした。
レイモンが朝、王城へと出勤すると、仕事部屋の前にリヒャルトが壁に寄りかかって立っていた。近くにティモテもいる。レイモンは早足にリヒャルトに近付いた。
「リヒャルト殿、どうかしましたか」
リヒャルトはレイモンの姿を確認すると、姿勢を正した。レイモンはリヒャルトの顔色が悪くないことに、おやと思う。ここ最近のリヒャルトは、いつ倒れてもおかしくない様子で、気力で動いているように見えていた。
「おはようございます、伯爵殿。早くいらして頂けて良かったです。思ったよりここにいるのは目立つようで」
リヒャルトは苦笑して肩を竦めた。ここは王城の一般区画だ。貴族や官吏の職場として機能している場所である。まだ時間は早いが、ちらほらと出勤してくる人が通りかかっていた。そんなところに公爵が、まして王弟でもあるリヒャルトが朝からいれば、目を引くのは当然だ。レイモンは小さく嘆息した。
「中へ。会議用の個室が空いているはずだ」
「助かります」
仕事部屋には、レイモン以外まだ誰も出勤していなかった。部屋の中にある会議用の個室は、それぞれ椅子と机だけが置いてあり、入口に扉が一つ付いている。リヒャルトを座らせると、レイモンもその向かいに座った。ティモテは扉の前で警備にあたっている。
「何かありましたか」
レイモンがリヒャルトの用件を尋ねると、リヒャルトは口の端を上げた。ポケットから折り畳んだ紙を出して、レイモンに手渡す。
「こちらを。ご覧頂きましたら、ここで燃やします」
レイモンは紙を広げて目を通す。そこに書かれている内容に、レイモンは目を見張った。
「これは──」
「呪いも、当時の王太子と第二王子の暗殺未遂も、公にはできませんから。……国の威信に関わりますので、これが苦肉の策です」
その紙には、いくつもの貴族の名前が並んでいた。隣にはそれぞれの罪状が書かれている。横領、税収賄、書状の隠蔽、窃盗──その中には、フーリエ伯爵の名前もあった。特定の派閥に固まっているのかと思いきや、決してそうでもない。十を超える貴族の数に、レイモンは眩暈を覚えた。
「──証拠は揃っているのですか?」
「ええ。今はラインハルトに預けています。間もなく交替人事と併せて発表されて、彼らは拘束されます。……アリアンヌ嬢の身も、安全と言えると思いますよ」
レイモンは紙をリヒャルトに返した。微笑んだリヒャルトは、それをその場でマッチで燃やしてしまう。焦げた臭いがするが、すぐに紙は燃えてなくなった。
「リヒャルト殿、それは──」
「だから、彼女をもう少し自由にしてあげてください。……私が会えなくても、構いませんから」
レイモンは驚きに肩を揺らした。リヒャルトは、これだけの貴族の処罰を、アリアンヌの為にやってのけたのだ。もちろんラインハルトとリヒャルトが暗殺未遂の関係者を調査していたのはレイモンも知っていたが、それも纏めてこの短期間で終えてしまった手腕に舌を巻く。レイモンはしばらく考え、少し俯いて口を開いた。
「王城の舞踏会が終われば、アリアンヌを領地に戻そうと思っています。あそこは王都と違って、噂話も聞こえてこない。町にも知り合いが多いので、ゆっくりできると思います。ですがリヒャルト殿……」
領地に帰れば、これまでのように簡単に会うことはできなくなる。アリアンヌに忘れられているリヒャルトにとっては、思い出させる可能性が下がってしまうのではないかと、レイモンは思っていた。
「良いんです。──辛い思いは、させたくありませんから」
リヒャルトは、レイモンが見たことのない柔らかな微笑みを浮かべた。レイモンはその微笑みを向けられるべきがアリアンヌであることに気付き、そっと唇を噛んだ。






