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気付いたもの

それから数日、アリアンヌは自らの記憶を辿る作業に没頭していた。これまでの生活、価値観、好きなもの、嫌いなもの。全て当然のように思い出せるのに、最近のことになると、途端に曖昧なところが増える。深く考え思い出そうとすると、刺すような頭痛がアリアンヌを襲った。


「アリアンヌ様、ご無理はなさらないでください」


ニナが辛そうにアリアンヌの背を支える。アリアンヌは微笑んで首を振った。あの日から、リヒャルトは一度もアリアンヌの元に顔を出さない。シャリエ伯爵邸には毎日訪れ、レイモンやアンベールと話して帰っているらしい。しかし、アリアンヌと会うことはなく、代わりに深紅の薔薇の花が一輪ずつ届けられている。毎日リヒャルトが持参しているという薔薇は、アリアンヌの部屋で同じ花瓶に活けられている。少しずつ数が増えていくそれに、アリアンヌの心は騒めいた。


「私はきっと、大事なことを忘れているの。……思い出さないと」


「ですが」


痛みが引いてきたアリアンヌは、自らの至らなさに俯きぎゅっと目を瞑った。アリアンヌの周囲の人は皆、アリアンヌに優しい。リヒャルトとのことを思い出そうとする度に辛そうなアリアンヌの為に、薔薇の花について以外、アリアンヌの前でリヒャルトを話題にすることもなかった。


「お父様もお兄様方も、隠し事ばかりよ。私自身のことなのに……」


それでも何もできずにいる自分が歯痒かった。今のアリアンヌが動いても、荷物にしかならないことも分かっている。小さく嘆息して意識的に表情を緩めたアリアンヌは、ニナに微笑みかけた。


「ごめんなさい、ニナ。心配ばかりかけているわね。──紅茶をもらおうかしら」


アリアンヌの指示にニナが動こうとしたその時、扉をノックしてナタリーが入ってきた。


「アリアンヌ様、ボレル伯爵令嬢フェリシテ様がお見舞いにいらしております」


「まあ、フェリシテが?私室に通して構わないわ。ニナ、紅茶は二杯分ね」


アリアンヌは嬉しさから声を弾ませた。ニナが頷き部屋を出ていく。すぐにフェリシテがアリアンヌの部屋へやってきた。


「──アリアンヌ、ごきげんよう」


「来てくれてありがとう、フェリシテ」


アリアンヌはフェリシテに椅子を勧め、自らも向かいの席に座る。ニナが紅茶をそれぞれの前に置いた。


「元気そうで安心したわ。貴女ったら、すっかり引き篭もっているんだもの」


「心配かけてごめんなさい、フェリシテ」


フェリシテは紅茶を一口飲むと、微笑んで首を左右に振った。そして一転、真剣な瞳をアリアンヌに向ける。


「貴女は気にしなくて良いのよ。それよりアリアンヌ、ここに来る前にロージェル公爵様の話はしないようにって言われたのだけれど、どういうことなの?何かあったの?」


アリアンヌは僅かに俯いてフェリシテから目を逸らした。


「公爵様のことを、忘れているみたいなの。名前を呼ぶのも、思い出そうとするのも、以前の話を聞くのも……頭痛と目眩と耳鳴りで、全部邪魔されてしまうのよ」


「それって──」


フェリシテは、アリアンヌの言葉の意味を理解して息を飲んだ。アリアンヌは悲しげな表情で話を続ける。


「ええ。──だから、外に出られないの。社交の場に行くと、立っていられなくなってしまいそうで……お父様が、部屋にいるようにって」


アリアンヌは、リヒャルトとの関係を予想していた。誰も話してくれない上に、深く考えると痛みに邪魔をされてしまうが、深紅の薔薇を毎日届けるような間柄など、決まりきっている。もしそうなら、リヒャルトの寂しそうな表情の理由も、アリアンヌの心の空虚感も、全て説明できてしまう。それでも今のアリアンヌの中に、恋や愛のような情はなく、その矛盾が怖かった。


「それでずっと篭ってたのね。……それにしても、信じられない話ね。まるでお伽話みたい」


フェリシテが首を傾げて嘆息する。アリアンヌはフェリシテの言葉に息を飲んだ。特定の相手だけを忘れる──なんて、おかしな状況は、普通ならあり得ない筈だ。


「お伽話……」


アリアンヌはぽつりと呟いた。


「それも、王子様とお姫様の物語。なんて──まさかね。そんなことある訳ないわ」


フェリシテは自らの言葉に笑う。深刻な顔をしてしまったアリアンヌを慰めるつもりだった。しかし、アリアンヌはフェリシテの話に、思わず無言のまま考え込んだ。頭の痛みは強くなるが、それを無視して思考を続ける。痛みを堪えてティーテーブルに手をつけば、フェリシテが心配しているのが分かる。それでも、アリアンヌは痛みに反して口を開いた。



「──アルト様を……忘れる、呪い……?」


アリアンヌは口にしてすぐ、あまりの痛みにそれ以上考えるのを止めた。荒くなった息を落ち着けようと、意識してゆっくりと呼吸する。ふらりと椅子の背凭れに身体を預けた。


「アリアンヌ、大丈夫!?貴女、無理しちゃ駄目よ!」


顔を青くしたフェリシテが、思わずといったように立ち上がる。アリアンヌは弱々しく微笑み、大丈夫だと小さく手を振った。座り直したフェリシテに、アリアンヌは真剣な表情を向ける。すっかり冷めてしまった紅茶を飲めば、痛みも引き、意識が明瞭になっていく。

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