呪いの正体
先にレイモンが連れ帰ってきた医師の診察を受けたが、やはりアリアンヌの身体には何も異常がないとのことだった。長く眠っていた為か眩暈があり、しばらくは無理をしないようにとだけきつく言い付けられる。
診察が終わると、先程までいたアンベールとリゼットだけでなく、レイモンとマリユスもアリアンヌの寝室へと入ってきた。
「アリアンヌ、体調はどうだ?」
眉間に皺を寄せたレイモンが、アリアンヌに問い掛けた。アリアンヌは微笑んで答える。
「寝過ぎてしまった以外、本当に、おかしなところはないんですのよ。ご心配をお掛けしました、お父様」
「いや──後でリヒャルト殿が来るから、話をしたら今日はもう休め。私はこれからまた王城に戻る。皆も、あまり長居しないように」
レイモンは踵を返し、すぐに部屋を出て行った。アリアンヌは小さな違和感を抱くが、マリユスがレイモンを庇うように口を開いたことで、すぐに忘れてしまった。
「父上は今回のことから、フーリエ伯爵を追い詰めようとしているらしい。……あれでもアリアンヌのこと、心配しているみたいだぞ」
アリアンヌはマリユスの言葉に驚き、目を見開いた。そして、思わず声を上げて笑う。
「お兄様、ありがとうございます。大丈夫ですわ、お父様が不器用な方なのは分かっておりますもの」
その明るい声に、集まった面々はそれぞれに安堵の表情を浮かべた。それは、アリアンヌの無事を知ったためでもあり、内面が深く傷付けられていないことへの安心のためでもあった。
皆が出て行き、アリアンヌはナタリーに言われるがままベッドに横になった。まだ目覚めたばかりのアリアンヌに、無理をさせたくないらしい。目を閉じていると、自然と意識が遠くなる。
午後の暖かい陽射しの中、しばらく微睡んでいたアリアンヌは、優しく髪に触れる手の感覚で目を覚ました。
「──アリアンヌ、目が覚めて良かった……」
アリアンヌはゆっくりと目を開き、澄んだ湖面のような碧い瞳を覗かせた。来客に気付いて慌てて身体を起こす。リヒャルトは目覚めたばかりのアリアンヌを、引き寄せるようにして抱き締めた。腕の中で身動ぎをする華奢な身体に、アリアンヌが生きていることを確認し、リヒャルトは心から安堵する。
「あ、あの……」
突然の温もりと自らのものとは違う硬い身体の感触に、アリアンヌは驚きに頬を染めた。僅かながらも抵抗を見せたアリアンヌに、リヒャルトは抱く力を弱めてアリアンヌを窺い見る。
「ああ、急に抱き締めて悪かった。アリアンヌが休んでいると聞いて、ナタリーに寝室に通してもらったんだ。私のせいで辛い思いをさせて、本当にすまなかった」
そこまで話すと、リヒャルトはやっとアリアンヌから手を離し、用意されていた椅子に腰を下ろした。アリアンヌはぎこちない表情で微笑んだ。
「いえ、ご心配をお掛けしました」
リヒャルトは、レイモンから先にアリアンヌに異常がなかったことを聞いていた。呪いについての知識がなければ、リヒャルトも手放しで喜べただろう。アリアンヌの健康に問題がなく、無事であることが嬉しくて思わず抱き締めてしまったが、この呪いの引き金は、きっとリヒャルトにある。
── お嫁さんの目が覚めれば分かるわ。……ふふ、もう『お嫁さん』ではなくなるのかもしれないわね──
耳の奥で響く声は、目覚めたアリアンヌを見た今でも離れてくれない。禁書庫にあった本には、様々な呪いについて記されていた。今は手に入らない道具を使うものを除いても、種類が多く、アリアンヌにかけられた呪いが何であったか判断できないままだ。リヒャルトはアリアンヌの瞳を真っ直ぐに見つめ、覚悟を決めて問い掛けた。
「私に会って、何か身体に不調はある?」
リヒャルトの問いに、アリアンヌは驚き瞬きをした。アリアンヌは、特に不調といえるものは感じていない。最初にあった眩暈も、今はほとんどなかった。だから何故そんなことを聞かれるのか、アリアンヌは分からない。
「いえ、特に不調はありませんわ。ただ……あの」
「ただ……?」
アリアンヌは目を伏せて俯いた。リヒャルトはアリアンヌの、今にも泣いてしまいそうな子供のような表情に唇を噛む。辛そうに手で胸を押さえる仕草が痛々しい。
「──申し訳ございませんが、貴方のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?高貴な身分の方かと思いますが……私、存じ上げなくて」
部屋の隅でナタリーが息を飲んだのが分かる。リヒャルトは溜息を吐かないように意識し、できるだけ柔和に見えるように微笑んだ。
「──そうか。突然のことで驚かせて申し訳なかったね。私は、リヒャルト・ロージェルというんだ。……私のことは知っているかな?」
アリアンヌは慌てたように腰まで掛かっていた布団を引き上げ、顔をすっぽりと覆ってしまった。らしくもないか細い声が、アリアンヌの口から漏れる。
「ロ、ロージェル公爵様でございますかっ?このような姿で失礼しました。……あら、でもロージェル公爵様って確かお声が……痛……っ」
アリアンヌは布団から手を離し、突然襲った痛みに頭を抑えた。リヒャルトは慌てて立ち上がり、アリアンヌの手に自らの手を添える。怯えたような瞳でリヒャルトを見上げたアリアンヌに、リヒャルトは呪いの内容を正確に理解し、ツェツィーリエの言葉の意味を悟った。