予想外の出会い
「シャリエ伯爵殿のご令嬢でございますか、本日はようこそいらっしゃいました」
「いえ、父が是非にと私共兄弟の同行を求めた夜会です。お祝いに駆けつけるなど、当然のことでございますわ」
暗に強引に誘ったことを咎めるアリアンヌの言葉に、フーリエ伯爵は分かりやすく不機嫌を顔に出した。高齢の貴族の男相手に一歩も引かないアリアンヌは、凛とした姿勢を崩さない。リヒャルトはアリアンヌを窘めるようにエスコートしている手に僅かに力を込める。
「いや、以前の夜会以来ですねぇ。相変わらずお美しいご令嬢だ。それにお二人、とてもお似合いですな。ロージェル公爵殿も、鼻が高いでしょう」
「……恐れ入りますわ」
おずおずと答えたアリアンヌに、フーリエ伯爵が言葉を続けようとする。それを遮るように、リヒャルトが口を開いた。
「彼女の魅力はその見た目だけではありませんよ、フーリエ伯爵。ですが、貴方には分からないでしょう。──アリアンヌ、行こうか」
小さく手を引くリヒャルトに、アリアンヌは内心で頷く。
「本日はお招きありがとうございました。まだご挨拶がありますので、この場は失礼させて頂きますわ」
アリアンヌが微笑めば、リヒャルトはさっさとその場を離れる。フーリエ伯爵や周囲の視線など物ともせず、そのまま会場を出て、廊下を歩き始めた。
「──あまりあの男に関わりたくはない」
リヒャルトが漏らした不満に、アリアンヌはくすりと笑う。
「そうですわね。私は嫌われるようなことをしたつもりはないのですが……リヒャルト様は心当たりがおありなのでしょうか?」
「くだらないことだよ、アリアンヌは気にしないで良い。──もう帰ろう」
エントランスに向かうリヒャルトに連れられて、アリアンヌもまた歩を進める。普段よりも早い足取りに、アリアンヌは内心で首を傾げた。
リヒャルトはフーリエ伯爵の不満の内容を理解していた。声が出ない振りをする前からずっと、あの男はリヒャルトの望まない期待を寄せてくる人間の一人だったのだ。フーリエ伯爵が望むリヒャルトの相手は、トレスプーシュ侯爵家の娘か、他の貴族議会派の有力貴族か。シャリエ家が伯爵家であることも、余計に拍車を掛けているのだろう。だが、リヒャルトはそれをアリアンヌに伝えるつもりはなかった。
フーリエ伯爵邸の前には、馬車待ちの列ができていた。華やかに着飾った貴族達が、屋外で馬車の順番が来るのを待っている。まだ夜会は続いているのに、これほどの人が帰ろうとしているのは、異例であると言えた。リヒャルトはシャリエ伯爵家の馬車で来たことを少し後悔した。公爵家の馬車なら、他家の方が避けるだろう。
アリアンヌとリヒャルトは、列に並ぶより先にマリユスとニナと合流しようと、壁際に寄って周囲を見渡した。先程フーリエ伯爵に声を掛けられた時に、そのまま見失ってしまったのだ。
「ニナ達は何処にいるのでしょう?」
「私達が会場を出たことは分かっているだろうから、そろそろ来ると思うんだが」
しかしそれからしばらく待っても、二人が出てくることはなかった。夜風が冷たく吹き抜けていき、二人の体温を下げていく。
「中の様子を見てこよう。アリアンヌも来てくれるか?」
本来なら近くでアリアンヌを待たせるところだが、リヒャルトはあえて共に来るように言った。一人にする方が危険な可能性があると危惧したのだ。アリアンヌもリヒャルトの意図を汲んで頷く。
「はい、もちろんですわ」
リヒャルトはエスコートするため、左手をアリアンヌに差し出した。アリアンヌもそれに答えようと右手を軽く上げた、その時だった。
「あら、連れて行ってしまうの?こういう時は、女性には待っていてもらうものよ」
出入りの門とは逆の方から、歌うように軽やかな女性の声がした。リヒャルトは咄嗟にアリアンヌの腕を引き、自らの背後に庇うように引き込む。
「──そうですか、失礼致しました。このようなところで、何をなさっているのですか?」
「今日はリヒャルトのお嫁さんが来るって聞いたから、お話をしに来たのよ。貴方ったら、挨拶もなしに婚約してしまうのだから」
リヒャルトの背中からは緊張が伝わってくる。アリアンヌは、木陰から姿を現した女性に息を飲んだ。
年齢を感じさせない面差しのその女性は、白銀の髪を美しく風に靡かせ、ただ立っているだけでも存在感がある。一見して上質であると分かるドレスを上品に着こなす姿は、気品を滲ませていた。しかしアリアンヌにとって最も目を引いたのは、建物の灯りを受けて輝くエメラルドグリーンの瞳だ。美しい宝石のような色に、吸い込まれるかのような錯覚に陥る。その色は、アリアンヌを庇うリヒャルトと同じだ。
数回しか見かけたことはなく、直接話したこともない。それでも、確かにアリアンヌは女性を知っていた。知らない人はクローリス王国の貴族にはいないだろう。思い浮かんだその名前を、アリアンヌはぽつりと呟く。
「──王太后様……?」
「まあ、知っていてくれたのね。でも折角だから、名前で呼んでもらいたいわ」
ツェツィーリエは欠けた月の光を背に受け、その場には似つかわしくないほど軽やかに微笑んだ。