浮かぶ疑問
アリアンヌは何も言えず、口を噤んだ。反論がないのを確認したレイモンは、次いでマリユスに顔を向ける。
「マリユス、ちょうど良い。今回は誰か同伴の女性を見つけて参加しなさい」
レイモンからの難題に、マリユスは分かりやすく顔を顰めた。これまではアリアンヌと二人か、男なのを良いことに一人で参加していたのだ。
「しかし父上──」
口を開いたマリユスは、目を眇めたレイモンに喉元まで出かかった反論を飲み込んだ。
「いいな?」
「……分かった」
マリユスは乗り気でいないのを隠すつもりもなく、渋々頷いた。その不貞腐れたような仕草に、アリアンヌは思わず笑う。レイモンが言葉を続けた。
「家格は問わないが、派閥には気を付けて選びなさい。相手がいないという言い訳は私には意味がないぞ。自分で夜会の相手さえ見つけられないのなら、私が縁談を持ってくるから、そのつもりでな」
マリユスは無言のまま頷いた。マリユスは次男だが、伯爵家の直系だ。現在もまだ若いながら王城に出入りしているし、好ましいと思う貴族はいくらでもいるだろう。まして夜会等では、その見た目から女性に人気があるのだ。一人も相手がいないはずがないと、アリアンヌは思う。
「マリユスお兄様、応援しておりますわ」
アリアンヌが笑い声を堪えて言うと、マリユスは嘆息して亜麻色の髪を雑に掻いた。
「──私の都合に家族全員を付き合わせるのは本意ではないが、それぞれに準備を進めるように。詳細は追って報せる」
「承りました、父上。マリユス、アリアンヌ。行こうか」
アンベールが扉を開け、先にマリユスとアリアンヌを執務室から出す。アンベールは二人が廊下を歩いて遠ざかっていくのを確認し、レイモンに向き直って姿勢を正した。アンベールには、まだ言っておかなければならないことがあった。
「父上。フーリエ伯自身は賢い人間ではありませんが、操り人形としては有能です。今回の動きはどうにも気にかかります。裏に誰か噛んでいないか、調べられないでしょうか?」
王城や社交に多く出向いているアンベールには、何とも言えない違和感があったのだ。アンベールからの話にレイモンは神妙に頷いた。
「──ああ。私も今、調べているところだ。アンベールにも頼めるか」
「ええ、もちろんです。何か分かればお知らせします。……では」
アンベールは踵を返して執務室を出て行った。一人残されたレイモンは、誰もいないのを良いことに、深く溜息を吐いた。
「リヒャルト様、本当に行くのですか?」
モーリスはリヒャルトに思わず聞き返した。リヒャルトはロージェル公爵邸のサロンで食後の紅茶を飲みながら、モーリスとスケジュールの確認をしている。モーリスが疑問に思っているのは、フーリエ伯爵家の夜会についてだ。
「ああ。予定の調整は必要だろうが、そんなに無茶ではないはずだ。アリアンヌの同行者で私が行っても、支障はないだろう?」
ソファにゆったりと座っているリヒャルトに、傍に立つモーリスが困った表情で言う。
「問題はございませんが。リヒャルト様は、他人に利用されることはお嫌いであったと記憶しておりましたので。フーリエ伯爵殿の目的の一つは、おそらくリヒャルト様がいらっしゃることですよ」
「だろうな」
リヒャルトは短く嘆息して言葉を続けた。
「シャリエ伯爵殿にも止められたよ。フーリエ伯爵自身は頭の回る男ではないから、今回のように周囲を巻き込むような行動など単独ではできないであろうと。ウーヴェにも調べさせているところだ。……何かあるのなら、そこに行く彼女を一人にはしたくない」
「アリアンヌ様に仮病を使って頂くとか──」
「それでみすみす伯爵邸に一人きりにさせる訳にもいかないだろう。あの家の警備は、刺客の正体が分かったことで元に戻されているのだから。それにきっと彼女は、事情を知ったとしても行くと言うだろうな。目の前の問題から逃げることを嫌う人だから。……フーリエ伯爵の、トレスプーシュ侯爵家での夜会の時の態度も気にかかる」
リヒャルトはあの日のフーリエ伯爵を思い出す。あの男は、リヒャルトには聞こえないようにアリアンヌに何かを言っていたのだ。それもきっと、悪意を持って。何でもないように振る舞い、微笑みを浮かべていたアリアンヌは、不安を隠していた。強くあろうとする姿は美しいと思っているが、無理をする姿は見たくなかった。本来なら、甘く優しく真綿で包んで、家の奥に大切にしまっておきたいくらいだ。アリアンヌはきっとそれを望まないことをリヒャルトは知っていて、他人を引き込む力を素晴らしいと一目置いているのだが。
「──スケジュールは調整させて頂きますが、リヒャルト様も充分にお気を付けてくださいね」
「ありがとう、モーリス。世話をかける」
「いいえ、もう慣れております」
モーリスは苦笑し、手元の紙にいくつかのことを書き付けた。メイドを呼び、リヒャルトの空いた紅茶のカップを片付けさせる。
自室へ戻るリヒャルトに付いて廊下を歩きながら、モーリスはリヒャルトとアリアンヌに何事もなく、幸せな日々が訪れるように願っていた。