レイモンからの呼び出し
紅茶を飲みながら、アリアンヌはコームとの会話を続けていた。直接会うのは久しぶりだったこともあり、話は尽きない。二杯目の紅茶が空になる頃、コームは何でもないことを話すように、自然と話題を変えた。
「そうだ、アンナさん。君の婚約者のことだけれど。君はどのくらい彼のことを知っているのかな?」
「どのくらい──と、仰いますと……」
「そうだね。彼の母親のこと……とかかな?」
アリアンヌは驚きに目を丸くする。ティモテが作業の手を止めた。
「彼から直接、少しお話は聞いていますわ。ですが、あまり楽しい話でもないので、詳しくは……」
コームはおずおずと言うアリアンヌに、真面目な表情で頷く。視線をティモテに向けると、安心しろとでも言うように手を左右に振った。コームはアリアンヌに顔を戻し、表情を和らげた。
「いや、聞いているのなら良いんだ。……ただ、気をつけるに越したことはない。特に君は、女の子なんだからね」
「ご忠告ありがとうございます。覚えておきますわ」
アリアンヌは微笑みを浮かべた。帰り支度を始めたコームを、ナタリーが手伝う。ティモテも見送りに立った。
「──では。アンナさん、またね」
「はい。お世話になりました。また、お会いしましょう」
アリアンヌとコームは笑顔で別れの言葉を口にした。ナタリーが少し後ろで恭しく頭を下げる。
「ああ、そうだ。君」
コームがティモテに顔を向け、ポケットから一枚の紙を差し出した。ティモテはコームの行動を疑問に思いながらも、無言のままその紙を受け取る。
「これは、私の名刺だよ。何か困ったことがあれば、探偵コームの事務所へ来ると良い。私の事務所の扉は、いつでも開いているからね」
戯けた仕草で肩を竦めたコームに、ティモテは受け取った名刺を胸ポケットに無造作に放り込んだ。
「ああ。何かあればな」
ティモテは手をひらひらと振り、先に事務所の中へと戻る。コームもまた、一度も振り返ることなく人混みの中へと消えていった。
その日の夜、レイモンが珍しくアリアンヌをシャリエ伯爵邸の執務室へ呼び出した。最近は増えた家族の時間を嬉しく思っていたアリアンヌだが、執務室の調度品は重厚なオーク製のもので揃えられており、どうしても緊張する。
「アリアンヌ、来たか」
執務机の椅子に座っているレイモンが、入室したアリアンヌを一瞥して声を掛けた。
「お父様、どのようなお話でしょうか」
アリアンヌは自身の秘密の外出を咎められるのかと、内心の焦りを隠して微笑みを浮かべる。しかしレイモンは短く嘆息すると、視線を落とした。
「少し待て。じきにアンベールとマリユスも来る」
「お兄様方も?」
「ああ」
疑問を声に滲ませるアリアンヌに、レイモンは短く同意を返した。実際、それから程なくしてアンベールとマリユスが揃ってやってくる。二人は、その場にいたアリアンヌに驚いた。
「アリアンヌも呼ばれていたのか?」
「ええ、そうですわ」
「一体何だと言うんだ……」
小声で話す三人に、レイモンが口を開く。アリアンヌは姿勢を正してレイモンに顔を向けた。
「──揃ったな。今回呼んだのは、今度開かれるフーリエ伯爵家の夜会の件だ」
「フーリエ伯爵ですか?ですが父上、フーリエ伯と当家は付き合いがなかったはずでは」
アンベールが冷静な口調で返した。アリアンヌは、以前フーリエ伯爵と会った日を思い出す。忘れられるはずもない、トレスプーシュ侯爵家の夜会だ。割れて飛び散った華やかなシャンデリアの破片と、向けられた明確な殺意の証。あの夜、確かに一度会っている。
──王弟殿下は人形に惚れたか──
高齢の男だった。アリアンヌを蔑む意図で発せられた、既に他の中傷と共に記憶の奥にしまっていた言葉を、その名を聞いたことで思い出す。直接傷付けられはしなかったが、あの言葉に込められた感情は確かな悪意だった。リヒャルトに聞かれてはいなかったはずだが、他者からの感情に敏感なリヒャルトは、アリアンヌに向けられた悪意にも、気付いていただろうか。
「それが、今回、部署の移動でフーリエ伯が部下になってな。夜会に招待されたのだ。……本来であれば、貴族議会派の有力貴族が開く夜会など参加しないのだが、他に多くの人がいる場で言われて、断れなくなってしまった。ましてあの男、『派閥の関係ない夜会なので、ご家族の皆様で』とわざわざ言って招待状を渡してきたのだ」
「父上!それは──」
アンベールが思わずといったように口を開いた。レイモンはそれを片手で制する。アンベールはちらりとアリアンヌに一瞬視線を向けた。
「ああ。──あの男の目的は、アリアンヌと、それに同行するリヒャルト殿であろう。なにせフーリエ伯の王弟贔屓は王城でも有名だ。アリアンヌを呼べば、公爵が付いてくると思ったのだろう。本来なら伯爵家の個人的な夜会に、特に親しくもない公爵を招くなどできないからな」
「じゃあ、父上はロージェル公爵には声を掛けないつもりか?」
それまで黙っていたマリユスが口を開いた。レイモンが首を左右に振る。
「いや、……先程、他に多くの人がいたと言っただろう。その後すぐに私のところにやってきて、アリアンヌのエスコートを申し出てきたよ」
レイモンは深く嘆息した。アリアンヌはレイモンの返答に慌てて声を上げた。
「お父様っ!そんな──お断りしてくださいませ」
「できるわけがなかろう。リヒャルト殿は『知らないところでアリアンヌが傷付けられるのは嫌だ』とはっきり仰った。何かあると分かっていても、あれは絶対来るだろうな」
アリアンヌは目を見開いて息を飲んだ。リヒャルトは、きっと気付いていたのだ。






