第八話 意外な出会い
流人は冒険者ギルドに行ってから数日後の昼下がり、森の中へと入っていた。
冒険者ギルドへの登録も終わり、やっと森の魔物の討伐ができるようになったのだ。
このためにわざわざ町まで出向いて冒険者登録をしたのだ。
流人の体には、やる気が漲っている。ただ――――
「おいおい、あまり気が逸りすぎると怪我をするぞ?落ち着いていかんか」
ドゥークがそう流人に注意する。
流人としては、保護者同伴なのが気に入らないところだった。
今日一人で森に行こうとする流人に対して、ドゥークがこう言ったのだ。
「待て、待て。お前は魔物狩りのイロハもまだわかるまい。森にどんな魔物がいて、どんな生態をしているかお前にわかるか?魔物の体からきれいに素材を剥ぎ取る知識と技術はあるか?当分はわしも付いていこう」
そう言われては、反論しようもない。流人はしぶしぶドゥークの同行に同意したのだった。
こういう点、流人の精神年齢が肉体年齢に引っ張られていることに流人自身は気が付いていない。
森の腐葉土の上を川に沿って歩く。森の濃い緑の匂いと川の水の匂いが入り混じっている。その中を流人は危なげなく歩いていく。二か月前にここで流人は死にかけた。しかし、そんな恐怖は感じていないかのような歩きぶりである。
実際、流人は恐怖など感じていない。今の流人は二か月前とは全く違う。この森に息づく生命のことが手に取るようにわかるのだ。
不意に流人が上半身を前に倒す。
すると、今まで流人の頭があった空間に鋭く何かが通り過ぎる。石だ。何者かが流人を投石で攻撃したのだ。投石攻撃は続く。しかし、流人はそれらをすべて軽々と躱す。
業を煮やしたのか、森からいくつもの影が飛び出してくる。キラーエイプだ。全部で五匹。流人は川を背にして取り囲まれた形だ。流人は念のため、キラーエイプに〈分析〉を使う。
「・・・・《分析開始》」
キラーエイプ
魔獣
筋力:E
耐久:F
敏捷:D
魔力:G
技巧:G
このように出た。軒並みランクが低い。一番高いものでも敏捷のDだ。視界に出る表示も黄色の文字で「注意報:敵多数・戦力差許容範囲内・戦闘続行注意」と出ている。油断しなければ大丈夫そうだ。
キラーエイプは数を恃みにして一度に飛びかかってくる。流人は慌てずそのうちの一匹に的を絞り、その腹を抜き打ちに斬り抜ける。残り四匹。
一匹斬られて警戒したのだろう。残りのキラーエイプは足を止めて、流人の隙をうかがう。そんなことにはお構いなしに流人は一匹のキラーエイプに無造作に近づく。近づかれたキラーエイプがぎょっとして攻撃態勢に入る。しかし、流人はそのキラーエイプを無視し、急に方向を転じて隣の一匹を唐竹割りにする。残り三匹。
攻撃態勢に入って攻撃をすかされたかたちのキラーエイプに向かって流人は鋭い突きを入れる。喉に突きが決まって絶命する。残り二匹。
二匹にまで減って劣勢を悟ったのだろう、残りのキラーエイプがじりじりと退がりはじめる。流人は足元に散らばった、キラーエイプが投石してきた石の一つを剣を腹で掬い上げるように打つ。石は過たずキラーエイプの顔面に当たる。その隙を逃さず掬い上げた剣を石の当たった一匹に向かって振り下ろす。残り一匹。
残った一匹は恥も外聞もなく逃げにかかる。流人はそれを追って斬りつけるが惜しくも届かない。いや、流人の剣先から不可視の衝撃波が飛び出て、キラーエイプを打つ。氣による遠当だ。吹き飛ばされてキラーエイプが木にぶつかる。倒れたキラーエイプに流人は止めの一撃を入れる。
これで五匹全部を倒しきったのだった。
「なかなかの手並みだったな。最後のは逃すかと思って、少々ひやりとしたが」
今までどこにいたのか、ドゥークが突如として姿を現して言う。
「師匠、隠れてるばかりじゃ退屈しません?一緒に魔物を討伐しませんか?」
「なに、これはお前の腕試しでもあるからな。陰からお前のお手並みを拝見することにするよ。それに、わしがいるとこの森の魔物はこちらに寄ってこんからな」
事実であった。ドゥークの気配があると魔物は近づいてこないのである。そのため、ドゥークは魔物狩りに同行はするものの、基本的には気配を絶ってどこかに潜みながら付いてくるのみなのだ。
「さ、手早く解体を行うぞ。早くしないと血の匂いで他の魔物が寄ってきちまう。急ぐぞ」
ドゥークはそう言って、キラーエイプの死骸に手をかける。小刀で手早く皮を剥ぎ、魔物の体内にある魔石を取り出す。魔物に分類される生物は全て体内に魔石を持っている。魔石から供給される魔力が魔物の強暴な力の源なのだ。魔物から採れる魔石は人間とって重要な資源でもある。
「今やって見せた通りに魔物を解体するんだ。お前もやってみろ」
ドゥークに言われ、流人もキラーエイプの死骸を解体してみる。やはりドゥークがやったようにはうまくいかない。数をこなして習熟するしかないだろう。
キラーエイプを解体する手を動かしながら流人が話す。
「それにしても、逃げるやつまで追って徹底的に殺さなきゃいけないのは、まだなんとなく抵抗がありますね」
「言っただろう?一匹逃したらそれで一〇人、一〇〇人の人間が死ぬと思えと。この世界で人間と魔物は過酷な生存競争をしているんだ。逃げる奴は見逃すなんて甘いことは言ってられないんだ」
そのことは、今回魔物狩りに行く際にドゥークからよくよく言い含められたことだった。
しかし、実際に逃げる魔物を追って殺すのは気分がよくなかった。
そうこう言っているうちに、五匹のキラーエイプの解体が終わる。
「さて、今度はお前も隠れるんだ。血の匂いを嗅ぎつけてここに現れる魔物を隠れて奇襲する。早くするぞ」
「わかりました」
流人はすぐ近くの茂みに身を隠す。
しばらく森の中を静寂が支配する。
しかし、流人は森の中を血の匂いを嗅ぎつけて近づいてくる大型の魔物をすでに感知していた。
森の木立が揺れる。重い足音が森の中に響く。
真っ赤な体毛に雄偉な体躯。ブラッディベアだ。
流人は固唾を呑んで状況を見守る。
ブラッディベアは、キラーエイプの死体があった血の跡の辺りに、しきりに鼻を擦り付けている。
辺りにはまだ血の匂いが濃厚に立ち込めている。
まだ、こちらには気づかれていない。
流人は茂みから飛び出し、ブラッディベアに斬りかかる。流人の剣は青白い光に包まれている。剣に目に見えるほどの氣が込められているのだ。剣はブラッディベアの右肩を深く傷つける。鮮血が宙を舞う。
続けて斬撃を入れようとしたところで、流人は急制動し後方に飛び離れる。
流人が飛び込もうとしていた空間をブラッディベアの左手が薙ぐ。攻撃を続けようとしていたら今の一撃で顔面を割られていたところだろう。
一旦仕切り直しだ。流人とブラッディベアが睨み合う。
流人がブラッディベアに対して鋭い斬り込みをかける。ブラッディベアの左手の爪で剣が弾かれる。すると、ブラッディベアの体勢が大きく崩れる。さっきの一撃は防がれることを織り込み済みで出した〈舞踏撃〉を込めた一撃だったのだ。ブラッディベアは自分の制御を離れて勝手に暴れまわる左手に振り回されて体勢を立て直せない。
その隙を逃す流人ではない。がら空きの首元に向けて斬撃を放つ。ブラッディベアの首から血しぶきが上がる。しかし、首を切断するには至らない。
止めの一撃を入れようと近づいたところで、突如横殴りの衝撃が流人を襲う。ブラッディベアの右手が襲いかかってきたのだ。右肩を斬りつけたことで死んだと思っていた右手がまだ動いたのだ。明らかな油断だった。
顔に爪でできたひっかき傷を残しつつ、流人は立ち上がる。右肩に重傷を負った状態ではやはり十全の威力を発揮できなかったのだ。それでも顔と首とに鋭い痛みが走る。ブラッディベアはすでに体勢を立て直している。
「おおおおぉぉぉぉぉ!」
「ガオオオオォォォォ!」
流人は雄叫びを上げて自らを鼓舞する。
ブラッディベアも同じく雄叫びを上げる。
流人はブラッディベアに向かって走り寄る。ブラッディベアも流人に向かって突撃してくる。
交錯は一瞬。しかしその一瞬で勝負は決した。
流人の腹には、ブラッディベアの爪痕が走り、そこから血が滴る。
ブラッディベアの額には一筋の斬線が走りそこから血しぶきが上がる。
ブラッディベアの体は轟音を立てて地に沈み、流人はゆっくりと剣を下す。
流人の勝利であった。
「やれやれ、危ないところだったな。途中殴り飛ばされたときは、飛び出しかけたぞ」
ドゥークがそうさっきの戦いを評価する。
「・・・・はい。最初の不意打ちが全てでした。あれがなかったら、今頃地面を舐めているのは俺の方だったかもしれません」
流人も苦しい戦いの感想をそう漏らす。
「傷の手当もあることだし、今日はこれくらいにしておくか?」
ドゥークはそう言うが、流人はすでに不穏な気配を察知していた。
「・・・・・どうも、そうもいきそうもないですよ。ここから九〇歩ほどの距離に小さな生命反応が二つ。多分、人間の子どもです」
「なに!本当か!・・・・しかし、どうしてこんなところに人間の子どもが?」
「それを考えるのは後にしましょう。今は保護が優先です」
そう言って流人は森の中へ駆け出した。
流人は、駆けながら気配察知を行う。
「師匠、いけません!小さな生命反応に大きな生命反応が近づいています!おそらく大型の魔物です!」
森の中は木立が密集して視界が悪い。そろそろ目標の生命反応が近いはずだが、いまだその姿は見えない。
流人は自分の感じる生命反応に向かって木立を抜け一直線に走る。すると―――いた。森の中で肩を寄せ合うようにして座り込む二人の子どもの姿が見える。
と同時にその二人に近づく大型の魔物の姿も見える。大型の猪の魔物――――ラッシュボアだ。
流人は、声の限りを尽くして二人の子どもに呼びかける。
「二人とも!!早くこっちに逃げてこい!!魔物が近づいているぞ!!」
しかし、二人は立ち上がりはしたものの、戸惑ったようにしてこちらに来ようとしない。
「・・・・・くそ!!」
流人は、苛立ちを吐き出しながら二人に近づき、その横を通り過ぎて、今にも二人に襲いかかろうとしていたラッシュボアに飛びかかる。そのままラッシュボアの顔面に斬りつける。
剣はラッシュボアの顔面を傷つけ、その右目を潰す。
猛り狂うラッシュボア。
一歩遅れてドゥークもラッシュボアに斬りかかる。
「ぬぅん!」
ドゥークの剣が暗い森の中に青白い軌跡を描く。
ラッシュボアの首が切り裂かれ血しぶきが地に落ちる。森の濃い緑の匂いに鉄臭い血の匂いが混ざる。
一呼吸遅れてラッシュボアの体が地面に沈む。
「君たち大丈夫か?どうしてこんなところに二人だけでいるんだ?なぜさっきこちらの呼びかけに応えなかった?」
流人が急き込んで聞く。
「こらこら。そう一遍に聞くものじゃない。とりあえずここじゃあ落ち着いて話も聞けやしない。一旦家まで連れて行ってそこで話をするぞ。お前たちもそれでいいな?」
二人の子どもに呼びかける。
さっきまでよくよく見る余裕がなかったが、二人とも女の子だ。一人は銀髪の短髪。もう一人が金髪の巻き毛だ。銀髪の方は男装して腰に短剣を差している。金髪の方はフリルをふんだんあしらったワンピース姿だ。二人とも汚れているがなかなかいい身なりをしている。歳の頃は二人とも今の流人と同じくらい。二人とも抜群に整った容貌をしている。
金髪の方が銀髪の陰に隠れながらこちらを見ている。
銀髪の方がドゥークの呼びかけに対してしばし黙考した後、うなずく。
なんだか面倒なことになってきたなぁ、と流人は思ったのだが、この後さらに面倒なことになるなどこの時の流人にはまだ知りようもないことであった。