第六話 死闘のあと
流人は屋根裏部屋の自分のベッドの上で目を覚ました。
外が暗い。今は夜か。
どうも意識がはっきりしない。確か自分はドゥークの指示で森の中で魔物退治していたはずだ。どうしてそれがベッドに寝ているのか。
猿の魔物に襲われたのは覚えている。それを倒した後、確か巨大な熊の魔物と遭遇したはずだ。そこから先の記憶が曖昧になる。
(・・・でかくて真っ赤な熊に出会って・・・〈分析〉を使って・・・それで撤退推奨って出たから逃げようと考えて・・・逃げる隙をつくるために氣を込めた一撃をぶつけて・・・それが通用しなくて・・・〈徹し〉を使って・・・あとは・・・何だ?)
そこから流人の記憶はぷっつりと途切れている。
そこで自分はやられたのだろうか。
体の各部を確認してみる。どこにも怪我はない。
やられたにしては、どこにも怪我がないのはおかしくはないか。
しかし、自分は意識を失っていた。
やはりやられたと考えるのが妥当だろう。
いずれにしろドゥークには感謝しなければならない。
あの場で意識を失ったと思われる流人を家まで運んでこられるのはドゥークしかいないからだ。
流人は自分がやられてドゥークに助けられたと半ば思い込んでいた。あのブラッディベアに対する凄まじい一撃については全く記憶にないようであった。
ともかく、下に降りてドゥークと話をしなければと流人は思った。やられたうえむざむざと助けられて顔を出すのもばつが悪いが、だからといってずっと寝転んでいるわけにもいかない。
起き上がって頭を掻いて、ふと違和感を感じる。違和感の正体はすぐにわかった。頭に角がないのだ。額から後頭部、頭頂まで触る。角が一本もない。一体どうしたことだろうか。まさかあの熊に全部へし折られたのか。いやいやそれなら折られた痕くらい残っているだろう。全くわからない。これもドゥークに聞いてみるしかない。
流人が屋根裏部屋から降りてくるとドゥークはコップから何かを飲んでいるようだった。微かなアルコールの匂い。酒だ。
ドゥークは流人を見て驚いたように言う。
「うお!誰かと思ったぞ。お前リュートか?そうか角が引っ込んじまって、目ん玉も白くなったか。まぁ、よかったじゃねぇか」
いつもと口調がちょっと違う。酔っているからだろうか。
「そうそう、角がなくなって目も・・・・・目が何ですって?」
流人が聞き返す。
「だから目ん玉の黒かったところが白くなってるんだよ。ついでに言うと瞳の色も黒に変わっているぜ。お前って元々そういう顔だったんだな」
「・・・・あの、何でいきなり角がなくなって、目の色が変わったかわかりますか?・・・なくなったのはいいことのはずなんですけど、突然なくなると何か不気味で・・・・」
「ありゃあ、元々そういうもんなんだよ。力がお前の制御下に置かれたっていう証拠だ。これからはお前が力を必要としている時に角が現れ目ん玉の色が黒く変わるようになる」
「力が俺の制御下に置かれたってどういうことですか?俺があの角の・・・クラウン?・・・の力を使えたってことですか?」
「おうともよ。お前はクラウンの力を発現させて、ブラッディベアを一撃で葬り去った。いや、あれは物凄ぇもんだったぜ」
そう言ってドゥークは酒を呷る。
「しかし、俺には全く記憶にないんですが。本当なんですか?」
「ああ・・・・そのことでお前に話したいことがある。ちょっとそこに座れ」
そう言って、ドゥークは自分の隣の椅子を示す。
「丁度よかった。俺も話したいことがあったんです」
流人が椅子に座る。
「で、お前の話したいことってのは何だ?」
「いえ、ドゥークさんからお先にどうぞ」
「そのドゥークさんって呼び方もあれだな。他人行儀すぎる。これからはわしのことを・・・そうだな・・・師匠と呼べ」
「わかりました。では師匠からお先にどうぞ」
「わしの話は後でいい。先にお前から話せ」
「・・・・では、俺から。あの・・・・ありがとうございました」
この流人の言葉にドゥークはぽかん口を開ける。
「・・・・待て、待て。お前が何について感謝しているのかわしにはわからん」
「あの昼間の熊の件で助けてもらったことです。記憶が曖昧なんですけど、俺、あの熊にやられて意識を失ちゃったんですよね。だから師匠には助けていただいてとても感謝を――――」
「ちょっと待て。わしはお前を助けとらん。さっきブラッディベアをお前がクラウンの力を使って葬り去ったと言っただろうが。ちゃんと人の話を聞いていたのか?」
「助けてくれたじゃないですか。そうじゃなきゃ自分が屋根裏部屋で寝てるわけないでしょう?
ああ、そういえばあの熊、ブラッディベアって名前でしたね。確かに血まみれみたいに真っ赤でしたけど。血まみれ熊とは言い得て妙ですよね」
妙なことに感心する流人。
それに対してドゥークの表情は暗い。
「第一、わしはお前を死地に送り込んだ張本人だ。わしはお前があの森の魔物と戦えば絶対に敵わんことはわかっておった。わかっていながらお前を森に送り出した。そのうえ、お前が致命傷を負うのをずっと見ているだけだった。わしはお前に対してとんでもない罪を犯したのだ」
「なぜ、そんなことを?」
「お前の力を見極めるためだ。これまでの訓練ではお前のクラウンとしての力を見極めることはできなんだ。これはもうお前を本当に死の淵に突き落とす他に道はないと思ったのだ。昨日、森に行かせたのはそういうわけだったのだ」
「でも師匠としては、必要だと思ったからやったんでよね?」
「それは、確かに必要だと思ったからやった。しかし、だからと言って許されるかどうかは別の――――」
「だったらいいんです。俺は師匠を信じていますから」
流人はあっけらかんと言う。
「信じているって、お前、危うく見殺しにされるところだったんだぞ?ちゃんとわかっているのか?」
「わかっていますよ。ただ信じたからには見殺しにされかけても信じぬきたいんです。師匠が必要と思ってやったんだったら、俺はそれを許します。それに俺は今もって生きています。だから師匠、あんまりそのことで気に病まないで下さい」
「はは、まったく・・・・お前は大した奴だ。ほれ、お前も飲め。わしが注いでやる」
そう言って、ドゥークはコップを流人に渡してくる。
「やだな。師匠こそちゃんとわかってます?俺、子どもですよ?」
「お前はクラウンなんだ。どうせ酒毒などお前には効かん。ほれ早く受け取らんか」
困ったものだと思いつつ、流人はコップを受け取るのだった。
その後もドゥークによる流人の剣の修行は続いた。
流人は修行によって確実に剣術の腕を上げていった。
また、角がなくなる前後で流人に違いがあったかといえば、確かにあった。
まず無意識のうちに氣息を使って呼吸できるようになった。前は意識しないと氣息を整えるができずに氣の力を自由に使うことができなかった。しかし、角がなくなった後は例え食事中だろうと眠っているときであろうと氣息を維持できるようになった。これにより身体能力は飛躍的に上がり、氣を使った技も多彩に使えるようになった。
次に生物の気配がわかるようになった。超感覚とでもいうべきか、自分を中心にて百歩以内の距離ならどこにどんな大きさのどれだけ強さの生き物がどれだけの数いるのかわかるようになったのだ。おおまかでよければもっと距離は伸びる。
力を制御下に置くということは、こういうことなのかもしれない。
しかし、いいことばかりではない。
自分の体の中に得体の知れない力が蠢いているがわかるのだ。素振りをしている時も、ドゥークと立ち会っている時も常にその力が鎌首をもたげようとする。自分の中に正体の知れない大きな力を常に感じて生活するのは、なかなかに恐ろしいものだった。とにかく、クラウンの力にはまだわからないことが多い。制御下に置かれているということと、その正体を知って制御できるということは全く別のことだと痛感した。
いずれにしろ、流人は確実に強くなっていった。
人間は強くなると、欲が出てくる生き物だ。
流人の欲はブラッディベアであった。ブラッディベアをこの手で倒したい。一度は致命傷を負わされるまでに一敗地に塗れることになった相手に、この手で雪辱したい。自分がクラウンの力を使ってブラッディベアを倒したのは話で聞いた。しかし、全く記憶にないのだ。自分の意識がある状態で倒さなければ意味がない。
そして、できればクラウンの力を使わずに倒したい。あの力はまだ今の自分では完全に制御できない。流人は、クラウンの力に対して得体の知れない恐怖を感じていた。あの力をむやみやたらに揮えば何かしらよくないことが起きる。そんな恐怖が流人にクラウンの力を使うことを躊躇わせた。生きるか死ぬかの場面で甘いことは言ってられないのはわかるが、それが流人の正直な気持ちだった。
しかし、あの日から一度も流人が森に入るのをドゥークは許していない。よほどあの時、流人が致命傷を負わされるのを見過ごしたことを後悔しているらしい。修行のために流人が森に入りたいと言っても、頑として聞き入れない。
そんな状況が変化したのは、流人が修行をはじめて二か月もたったある日のことであった。
この日はドゥークが森を出て町に出かけてきた帰りであった。最寄りの町はドゥークの足で片道二日半の距離にある。ドゥークは時折、生活必需品を仕入れに町に出かける。貨幣は魔物を倒した討伐の報酬と解体した素材で手に入れている。この日もそんないつもの買い出しからの帰りであった。
「おう、今もどったぞ。わしがいない間、素振りはさぼらずちゃんとやっていただろうな」
「おかえりなさい、師匠。他にやることもないんですから、ちゃんとやりましたよ」
流人は読書家であった(主に読むのはライトノベルだったが)。ドゥークの家にも少ないながら本はある。しかし、異世界転移のお約束というべきか、流人はこの世界の文字が読み書きできなかった。字を習い覚えようとしてもなかなか時間がとれないのが現状である。ともかく今の流人にとって暇ができたときにやることといえば修行であった。
帰ってきて荷物を置いた後、ドゥークは流人の顔をじっと見ている。
どうしたのかと流人が見返していると、ドゥークはおもむろに切り出した。
「お前、森に入りたがっておったな?」
「ええ、まぁ、はい・・・・・」
「最近、お前にかまけて、森に入るのを疎かにしていたせいか、付近の村々が魔物の跳梁に困っているらしくてな、魔物の討伐に高い賞金がかかっておった。・・・・お前、やってみるか?」
流人は驚いた。普段は森に入るのを厳に戒めるドゥークであるのに、どうしたことか。
「やってもよいと言われるならすぐにでも」
「わしも少々過保護すぎた。今のお前の力ならば、この森の魔物にも引けを取るまい。やってみるがいい」
「はい!ありがとうございます!」
思いがけなく、流人は森に入れることとなった。
森ではどんなことが流人を待っているのだろうか。流人はそれを思って静かに闘志を燃やした。