第四話 訓練風景
朝、目が覚める。
手を見る。子どもの手だ。
頭を触る。角に手が触れた。
やはり、昨日までのことは、夢ではないらしいことを確認しつつ。流人は起き上がった。
あの後、屋根裏部屋の片づけはなんとか日暮れまでに終わり、パンとスープの簡単な食事を摂りすぐに就寝することになった。
最初、何か恐ろしい獣の遠吠えが聞こえてきて眠れなかったが、慣れないことに疲れていたのだろう眠気は確実に忍び寄り、気が付いたら眠っていた。
寝覚めは悪くない。
今日から本格的な訓練が開始される。流人は気合いを入れた。今日からの訓練が自分の今後の異世界生活を左右する。望んで異世界に来たわけではないが、野盗や獣に殺されて人生が終わるのは絶対に嫌であった。
強くなるのだ。強くなればこの世界から元の世界へと帰る道も見つけられるかもしれない。
流人は強く決意した。
「さて、まず素振りをしてもらう」
ドゥークはそう流人に言う。
すでに朝食は済ませている。朝食の席にケイオスはいなかった。ドゥークに聞いても、どこに行ったのかわからないらしい。ケイオスが突然現れたり、姿を消したりするのはいつものことらしい。気が向いたらまた来るだろう、気にしても始まらない、というのがドゥークの意見であった。
そんなわけで流人は手早く朝食を済ませ、今日、初めての訓練に臨むことになったのだ。
流人の格好は昨日に引き続き、ドゥークの服を借りたものだ。自分の丈にあった服ができるだけ早くほしいところだが、服が買える町までは、ドゥークの足で二日以上かかるらしい。今日は腰に剣帯を吊って剣を一本帯びている。
「剣術は型が大事だ。型を極めて無形に至る。これが、わしの剣術の極意だ。それじゃあ、わしが剣を振るのを真似て、お前も剣を振れ。ではいくぞ」
そう言って。ドゥークは剣術の型を見せる。腰間から銀色の光が迸り、朝陽のなかを銀光が流麗な軌跡を描く。手足が舞うように動く。それらは一つの技芸を極めた者のみが到達できる基本にして究極の技。
流人はそれにしばし見惚れる。とても真似するどころではなかった。
「おいおい、わしに見惚れてどうする。ちゃんとわしの真似をせんか」
そうドゥークから声がかかるまで、流人は心ここにあらずの状態であった。
「すいません。ちゃんとやりますので、もう一回はじめからやってもらっていいですか?」
「まったく、しょうがない奴め。今度はちゃんと真似するんだぞ?」
ドゥークが剣を鞘に納めながら言う。
もう一度行われる究極の剣舞。それを真似て流人も剣を振る。しかし、それはドゥークの見せるものには比べようもないほど不格好なものだった。
とりあえず一通りの型は真似終わる。
「これが基本だ。とりあえずこの型をどんな時でも、寝ていようとも、腕が折れていようとも、足が捥げていようともできるように修練せい」
「・・・・・はい。わかりました」
修練の道は一日にして成らず、という言葉が流人の頭に浮かぶ。目標とする究極の剣舞までの道のりはまだまだ遠そうだった。
「さて、今度はわしが見ていてやるから、はじめから型をやってみろ」
「えっと、・・・・まだ一回しか型を見せてもらってないんですが・・・・」
「一回も見れば十分だ。ほら、早くやってみろ」
仕方なく、流人は剣を鞘にもどし、抜き打つ動作からはじめる。
「違う!そんな温い抜き打ちで敵が斬れるか!もっと速く、鋭く抜き打て!」
早速ダメ出しが入る。この後流人は最初の抜き打ちの動作だけで数百回を数える素振りを行った。
「さて、今度は立ち合いだ」
結局、素振りは昼まで続いた。
そこから昼食を摂って、今度は立ち合いの稽古だ。
「昨日みたいな形式で試合をするんですか?」
「ああ、いや、今度は剣は鞘に納めたままの状態ではじめようか。うまく抜き合わせるのも修行のうちだ」
「わかりました」
「今日は昨日みたいな手加減は期待するなよ。本気でいくからな」
そう言うと、ドゥークの周りの空気が恐ろしいほどに張りつめる。
慌てて流人が剣に手をかけると、ドゥークはたちまちのうちに流人の目の前まで駆け寄り、体当たりを食らわせくる。
たまらずひっくり返った流人の目の前に白刃が突き付けられる。
「これでお前は一回死んだわけだ。今日は何回死ぬことになるかな?」
流人は無言で立ち上がって、距離をとり仕切り直す。
どちらからともなく剣の柄に手をかけ、抜き打ちの体勢をとる。
緊張で空気が張りつめ、今に張り裂けそうだ。
間合いを測りながら、じりじりと近づき合い、剣を抜き打つタイミングを計る。
そして、今――――抜き合った。
二人の剣がぶつかり合って甲高い音を立てる。
すると、どうしたことか流人の剣のみがはじき出されて、剣が流人の制御を離れて空中を踊りまわる。流人は空中を踊りまわる剣に振り回されて、体勢を立て直すことができない。
そんな流人にドゥークは無情にも白刃を突き付ける。
「剣法〈舞踊撃〉。氣を使った攻撃だ。これで二回目」
「もう一度お願いします」
「ああ何度でもかかってこい」
流人もドゥークも剣を鞘に納めてまた仕切り直す。
ドゥークが静かに剣を抜き放つ。それに合わせて流人も剣を抜き合わせる。
静かに二人は間合いを詰め合う。そして無造作にドゥークが剣を打ちかけてくる。これを剣で受けようとした流人は寸前で思い直し、身を翻して躱す。無造作すぎる。今の一撃にも舞踊撃のような仕掛けがあるに違いない。
ドゥークの二撃、三撃目も受けずに躱す。しかし、四撃目をとうとう剣で受けてしまう。すると、ドゥークの剣から流人の剣へ何かが伝わっていき、流人の顔の前で衝撃が炸裂する。流人はしかし、剣を放さずあえて衝撃に身をまかせて吹き飛ばされる。自然、ドゥークとの間に距離ができて衝撃から立ち直るゆとりができる。
「今のを〈徹し〉という。これも氣を使った攻撃だ。三回目・・・・となるかと思ったが、お前もなかなかどうしてやるではないか」
流人はその言葉には答えず、無言で剣を構えた。
この日の立ち合いは日暮れまで続き、流人が三四度戦って三四回負けるという散々なものとなった。