第二話 異世界へようこそ
流人の意識はぼんやりとしていた。前後ののことが思い出せない。自分が今どこにいるのかもわからない。
真っ暗闇の中、流人はベッドのようなもののうえで仰向けになっている。
目だけ動かして、見える範囲で周囲を見回してみる。すると、メスやはさみ、鉗子といった手術道具が目に飛び込んでくる。すると、今自分がいる場所は―――――――
(手術台の・・・・上・・・・?)
どうして自分は手術台の上なんかにいるのだろう。何か手術を必要とする病気か怪我でもしたというのだろうか。しかし、今自分は気分も悪くないし、体も見える範囲ではどこも怪我などしていない。
(手術?・・・・・手術、手術・・・・・・何だろう、凄く嫌な感じがするな・・・・・・・そうだ!改造!)
フラッシュバックするように直前の記憶が呼び起こされる。
そうだ、自分は怪しげな男と話をしていて、話をするうちに男が自分を改造すると言い出して、それを断ったら突然地面に体がずぶずぶと沈みだして――――――――
そこから先が思い出せない。
とにかく、何が何だかわからないが、自分は男に捕まってしまって、今は改造手術の準備中といったところだろうか。幸い、今男はここにいない。体も物理的に拘束されているわけでもない。早く逃げ出さなければ。
しかし、流人がいくら体を動かそうとしても、体が動かない。いったいどうしたことだろうか。
(もしかしたら、あの男が魔法か何かで俺を金縛りにでもしたのか?くそ!動け!動け!動け!!)
そうこうしているうちに、闇の中からひたひたと足音がしてくる。男が戻ってきたのだ。流人はいよいよ焦るが、体は依然として動かない。
そして、男が姿を現す。街で出会った時と同じローブを頭からすっぽりかぶっている。その表情をうかがえない姿が、今は何とも不安で不気味だ。男はしばらく流人のことを眺めまわした後、おもむろに手術道具の中からメスを取り出す。
(うわぁぁぁぁぁぁ!やめてくれ!お願いだ!やめてくれ!他のことならなんでもする!だから、そのメスを俺に近づけないでくれ!)
流人は力いっぱい叫んだつもりだったが、声は出ていない。口や喉にも金縛りの効果が及んでいるのだろうか。男は流人の状況などお構いなしにメスを流人の体に近づけてくる。そして、とうとう、メスが流人の体を切り裂いて――――――
「やめてくれ!」
流人はベッドから跳ね起きた。体中が汗でぐしょぐしょだ。
「・・・・・え?・・・・何だ?・・・・・えと、夢?・・・・・ここ、どこ?」
そこは、流人が知らない場所であった。簡素な作りのログハウスの中で、同じく簡素な作りのテーブル、椅子が見える。そこに設えられたベッドで流人は寝ていたようだった。どうしてこんな場所で寝ているのか。流人は一時頭が混乱する。
とにかく、さっきまでのことは、全部夢であったようだ。流人は、安心して長大息をもらす。
ここはどこだろうか。なんとなく辺りをうかがう。飾り気のない丸太づくりの家の内壁が見える。ここは、どこかの山小屋だろうか。ローブの男がここまで自分を連れてきたのだろうか。
ここで目覚める前の記憶を思い出す。男の影が底なし沼のようになって自分を捕らえたのだ。あんな現象を見せられては、男の言う魔法とやらも信じないわけにはいかなくなる。ということは、異世界の方も無視できなくなる。もしかして、もうここは異世界なのだろうか。
そこで、流人は違和感を覚えた。視点がありえないくらい低いのだ。
慌てて両手を見てみる。そこにあったのは、見慣れた二〇歳の自分の手ではない。一〇歳くらいのかわいらしい子供の手であった。体を見下ろす。小さな体が簡素な貫頭衣に包まれいるのが見える。さらに慌てて、顔も触ってみる。顎のあたりににひげの剃り跡がない。顔も小さい。声も確認してみる。少年特有の高い音が紡ぎ出される。
(もしかして、・・・俺、体が縮んでる!?)
流人は、急いで今の自分の姿を確認できるものを探す。できれば姿見のようなものが欲しい。しかし、見たところ、この家には鏡一枚ない。叫びだしたいほどの焦燥に駆られ、家の中を走りまわって鏡をさがす。しかし、鏡は見つからない。
(ああ、くそ!いったいどうなってるんだ。・・・・・もしかして、もう俺の体は改造されてしまったのか!?)
その時、家の出入り口があった方から、誰かの足音がする。反射的に身を隠そうとするも、どこにも隠れられる場所がない。流人が一人おろおろとしているうちに、足音が流人の方に近づいてくる。
「やぁ、もうお目覚めかい?改造後の体の調子はどうかな?一応、技術上は何も問題ないはずなんだけど」
あのローブの男だ。相変わらず顔がみえないほどローブを目深にかぶった格好で、呑気に流人に話しかけてくる。
流人は、男に噛みつくようにして怒鳴る。
「あんた、俺の体に一体何をした!この姿はいったいどういうことなんだ!?」
男はそれに対して、ちょっと困ったというような表情をして答えた。
「あぁ、その姿ねぇ。確かにちょっとびっくりするかもしれないね。なにしろ、君のもともとの姿からはだいぶ変わってしまっているものねぇ。でも大丈夫だよ。技術的な問題は全て解決しているから」
「・・・・技術的な問題ってそういう話をしているんじゃ・・・!ってもともとの姿からだいぶ変わっているってどういうことだ?そもそも一体どんな改造を俺に施したんだ?」
「いや、君を改造している途中で、思わぬ事件があってねぇ。ちゃんと君に最強の肉体を与えることはできたんだけど、もともとの姿とはだいぶ変わった姿になちゃってね。いやぁ、本当に大変だったんだよ」
「あんたの苦労話なんかには興味はない。とにかく、今の俺の姿を確認したい。あんた、鏡を持ってないか?」
「鏡か。悪いけど持ってないね。この家には・・・・・そんな気の利いたものが置いてあるわけないか。だったら、この家を出て右手に川が流れているから、そこで確認したらいいよ。ついでに顔でも洗ってきたらどうだい」
流人は、裸足のまますぐに出口まで走っていく。出口を扉を開けて右手側を見ると、確かに川が流れているのが見える。流人は、川岸まで急いで走る。そして川岸から川面をのぞき込んで息をのんだ。
川面には、少しおとなし気な少年の顔が映りこんでいる。流人の幼い時の顔そのままだ。それはいい。しかし、川面に映った流人の容貌には看過しえない特徴が二つあった。
まず、両目の本来白いはずの部分が真っ黒に染まっている。しかも瞳の色は金色だ。その色彩の対比は、夜空に不気味に浮かぶ満月を連想させる。
さらに頭には角が生えている。これにどうして今になるまで気づかなかったのか、不思議なほど立派な角だ。額から後頭部、頭頂にかけて全部で一〇本。角の連なりからまるで頭に王冠を戴いているようである。
「何だよ・・・・・これ・・・・・」
まるで、物語に出てくる魔王のようであった。川面に映る流人の容貌は、彼がもはや人間ではないのだと容赦なく突き付けてくる。不安が、恐怖が、怒りが、絶望が、色々な感情がないまぜになって心が真っ黒に染まっていくようであった。我知らず涙までこみ上げてくる。流人はそのままそこにうずくまり、少しの間泣いた。
「泣いているのか。泣けるときに泣いておくのは、大事なことだ。これから先、泣いている暇もなくなるかもしれないのだからな」
不意に後ろから誰かの声がした。ローブの男の声ではない。振り返ると男が一人立っていた。全身黒づくめの格好の上に、頭のついた熊の皮衣を頭からかぶっていて、傍目にはまるで熊が歩いてしゃべっているように見える。腰に剣帯を吊って剣を帯びている。
「わしの名はドゥーク。小僧、お前は名を何という?」
男が何とも太い声で問うてくる。
「・・・・・・・波風、波風流人です。」
「ナミカゼリュートというのか?長いうえに、変わった名だな」
「いえ、・・・・・姓を波風、名を流人といいます」
「そうか、ではリュートと呼ばせてもらおう」
この男は何者であろうか。流人は訝しんだ。あのローブの男の関係者であろうか。まさか、ただの通りすがりの男というわけではないだろう。
「リュートよ、今回のことは災難だったな」
「・・・・・はい?」
流人はドゥークが何のことを言っているのかわからない。
「わしは、お前が寝ていた家の家主だ。ことのあらまし程度ぐらいしか聞いていないが、お前があ奴の思いつきに振り回されてここにいるということはよくわかっている。まったく、あいつはとんでもない奴だからな」
ドゥークが苦々しげに言う。
これは、もしかすると目の前の男もローブの男の被害者なのだろうか。そう思って聞いてみる。
「ドゥークさんは、あの男とどんな関係なんですか?」
「どんな関係も何もあるか!あの男が思いつきで引き起こす厄介ごとを、わしが解決する。そんなことをもう何十回繰り返したかわからん!今度のこともそうだ。いきなり子どもを連れてきて、わしの寝床を奪い取り、果てはその子どもをわしに預けたいなどと言い出す。まったくあ奴は懲りるということを知らん!」
男がドゥークに自分を預けるつもりだったとは知らなかった。しかし、ドゥークが自分を預かってくれるなら、それは良いことに思えた。流人はこの短いやり取りのなかでドゥークに好感を持っていた。
「預かってくれるんですか?」
流人は、試みに聞いてみる。
「わしが拒否してみろ。お前、どんな修羅場にいきなり放り込まれるかわからんぞ。人情としてそんなことはできん」
やはりドゥークは良い人のようだ。流人は、ますますドゥークに好感を持つ。
「人が聞いていないと思って、好き勝手言ってくれるなぁ。ドゥーク、友人として悲しいよ」
突然、ローブの男が現れ、会話に割り込んでくる。
「誰が友人だ。誰が。お前のような迷惑な友人を持った覚えはないわい」
「まったく、素直じゃないなぁ。ここ数百年来の付き合いじゃないか。」
ドゥークは、ローブの男のあしらい方に慣れたもののようだった。二人のやり取りはよどみがない。
「ああ、ちょっといいかな。聞きたいことがあるんだけど」
まだ言い合いを続けそうなローブの男に対して、流人が割り込む。
「まず、あんた、何て名前だ?」
「あれ?そう言えば名乗ってなかったけ。僕のことはケイオスと呼んでくれよ。君の名前も聞きたいな?」
「まったくお前は、名乗りもぜすに、名前も知らない子どもを連れてきたのか?だからお前は常識に欠けると何度も―――――」
ドゥークから茶々が入りそうなったので、目で抑える。
「わかった、ケイオス。俺の名前は波風流人だ。それで、もう一つ聞きたいんだけど、ここはもう異世界っていう認識でいいのかな?」
「そうだとも、流人君。ここはもう君にとっての異世界だよ。」
予想していたことのため、これにはそんなに驚かずに済んだ。
「なるほど。それで、俺はこれから何をすればいい?」
「まずは、改造した体を十全に使えるようになっておいてほしいかな。ここに来る前も言った通り、この世界は、流人君の世界よりもずっと物騒だからね。そこの我が友人ドゥークに付いて力の使い方を覚えてほしいんだ。あとは、僕のちょっとした魔法の実験に付き合ってくれれば嬉しいかな」
そこで、流人はドゥークに注目する。ドゥークはやや戸惑ったように言う。
「わしはしがない剣士だ。わしのところに来たって剣術くらいしか教えてやれんぞ?」
「その剣術が流人君のこれからに必要なものだと僕は考えている。ドゥーク、君の習得している技術は体の動かし方、力の使い方を覚えるのに最適なんだ。大丈夫、君で足りない部分は僕が補うさ。」
ケイオスは自信満々に言い切る。
「剣術を教える・・・か。やるからには、わしは手は抜かんぞ。この小僧を殺すつもりで鍛える。それでも構わないんだな。」
ドゥークは物騒なことを言う。
「それで殺されるなら、それまでということさ。僕が考えている実験には不適格ということだ。どうか全力で流人君を鍛えてくれたまえよ。僕からもお願いする」
ケイオスも物騒な答えを返す。
「わかった。剣術を習おう」
流人は短くそう答える。
「いやに従順だな。死ぬかもしれんのだぞ?」
ドゥークが重々しく問いをなげかけてくる。
「何もしないで元の世界に帰れるはず、ありませんから。こうなったら死ぬ気で力をつけて、ケイオスに無理矢理にでも元も世界に帰してもらうしかありませんから」
流人は開き直って言った。
「あはははは!いいねぇ。気宇壮大な話だ。僕に力づくで元の世界に帰してもらおうという思いつき、実に気に入った。できるものならやってみるといい」
ケイオスは嬉しそうに答える。
ドゥークはやれやれと言うよう首を振る。
とまれこれで流人がこれからやるべきことは決まった。ドゥークに付いて剣術を学ぶのだ。
波風流人の異世界での第一歩がはじまった。