第一七話 襲撃
バルドの大暴れから一日が経った。
屋敷の被害は甚大だったが、奇跡的に死者は一人も出なかった。
流人たちは、屋敷への滞在が延びることになった。
バルドとの大立ち回りで、流人が負傷したのだ。
肋骨にひびが入り全治二週間と診断された。
流人としては、魔法があるのだから、ぱぱっと回復魔法を使って直してもらえないのかと思ったが、そう簡単にはいかないようだ。
回復魔法の使い手は貴重なうえ、そのほとんどが教会に所属しているらしい。傷を魔法で治してもらいたかったら教会に寄進をして回復魔法をかけてもらうわけだ。
そのため、回復魔法で傷を治療してもらうのは、よほど裕福な家の者か、命に関わる緊急の場合に限るのだという。
無論、公爵家の客分である流人は、その治療を受けられる立場にあったし、なにより公爵家には専属の回復魔法の使い手がいた。
しかし、流人は回復魔法による治療を辞退した。
バルドが暴れまわったことで公爵家は治療を必要とする重傷者が少なくなかったし、わざわざ教会に金を払って貰ってまで回復魔法による治療をしてもらうのも気が引けたからだ。
幸い傷は氣を集中することで普通よりずっと早く治るとドゥークに教えてもらったことであるし、流人は今回の負傷を自力で治すことに決めていた。
ちなみにドゥークは全くの無傷だった。バルドの衝撃波に吹き飛ばされても気絶もしていなかったらしい。自分に止めを刺そうと近づいてくるバルドに反撃する隙をうかがっていたのだそうだ。だから少女二人が飛び出してきたときは相当焦ったようだ。
ケイオスは騒動が治まってからひょっこり姿を現した。この大変なときにどこに行っていたのか尋ねても、のらりくらりと言を左右にして、はっきりと言おうとしない。
流人は、今回の騒動にケイオスが何らかの形で関与をしているのではないかと直感したが、根拠のない疑惑なので、口に出して言うのは控えた。
公爵家の屋敷は本格的な修築工事を行っているところだった。窓という窓のガラスは割れ、壁には罅が入っているのだから当然だ。
こういう人の出入りが激しいときこそ、暗殺を注意しなければならないというものだ。流人は大いに暗殺者を警戒していた。幸いというべきか狙われているエリザベートは流人に付きっきりだ。
流人の怪我を心配してのことなのだが、守る方としては真にやりやすい。流人はエリザベートの暗殺の危機がまだ去っていないことを確信していた。
ある日の公爵邸の修築現場。職人風の二人の男が世間話をしている。
「お前、最近どうだ?」
「あまり良くないな。そっちはどうだ?」
「こっちも良くない。施工主は大変に焦っている。作業をできるだけ急いでほしいそうだ」
「作業を急ごうにも、障害があってうまくいかない。特に例の男の影がちらついていて、作業が実行に踏み切れない。なんとか対象を障害から引き離さなければ・・・・」
「施工主にはそちらの状況を話してみる。施工主のことが対象の周囲に知られていることも考慮に入れなければならん。作業は安全第一に慎重にやってくれ」
そう言って二人の男のうち一人が修築現場から離れて歩き出す。
その男はほどなくカールスリーエのコスモス神大教会に入っていった。
教会の中に誰もいないことを確認すると、教会内の大司教執務室に入っていく。
「・・・・大司教閣下、少しよろしいでしょうか?」
「・・・おお、お前か。頼んでいた作業の進捗はどうだったかな?」
大司教は鷹揚に男に尋ねた。
「ご懸念されている作業の件ですが、やはり実行は難しいようです。対象の周囲には奴がいます」
「お前たちの前に現れた、恐ろしい悪魔という奴か。・・・・やはり私が今回の件に関わっていることは、対象の周囲にすでに知られてしまっているのかな?」
「それは何とも。・・・・ただ私個人の見解を述べるならその可能性は非常に高いと思います。対象を狙う急先鋒が死んだというのに、警戒が緩められた様子がありません。まだ対象を狙う者がいると考えていると推察して間違いないかと」
「・・・・ふむ、しかしこちらとしても長期戦は嬉しくない。たかが小虫一匹始末するのに年単位の時間をかけていては、私の能力が疑われる。コスモス神の定める秩序に賭けて、作業は実行するのだ」
大司教は断固たる口調でそう告げる。
「はっ、了解いたしました」
男―――神罰隊の生き残りはそう答えた。
流人は、屋敷の庭で素振りをしていた。
素振りに使っているのは、ここまで腰に帯びてきた剣ではない。
バルドを斬り裂いたときに引き抜いた、流人の額に生えていた角である。
一見すると真っ黒い棒のように見える。形は微妙に湾曲していて、剣というより刀である。
握ってみると、流人の手に恐ろしく馴染む。
その角刀を使って流人は、熱心に素振りしている。
一つの型がまた別の型へと繋がり、巡り巡ってまた最初の型に還る。
流人の素振りをしている姿は舞を踊る熟練の踊り手のようであった。
そんな流人の様子を、エリザベートは心配そうに、リーズフェルトは感心したように眺めている。
エリザベートは怪我をした状態での訓練に大いに反対したのだが、流人はもう傷は痛まない旨を告げて、素振りを強行した。
怪我を負ってから六日目のことである。
氣の集中が怪我の治りを早くするというのは本当のことのようで、もう傷は本当に痛まなかった。
それまで傷の療養のためにぼんやりと生活していた流人は、傷が痛まなくなると矢も楯もたまらず剣に飛びついた。
少なくとも、こちらの世界に来るまで流人はそれほど熱心に運動をする方ではなかった。
インドア派の流人を運動に駆り立てるのは、何といってもまずこの世界に娯楽が少ないことがある。
公爵邸に来てから、エリザベートに字を習って絵本程度なら読めるようになった流人だが、当然、流人は絵本を読んで満足するような精神年齢ではない。
そうすると自然に剣の練習の方に楽しみを見出さざるを得ないことになる。
それに流人はこの剣術というものが段々と好きになりはじめていた。
昨日はできなかった動きが今日はできる。自分の動きが少しずつ合理的なものになっていく。
そのちょっとづつの成長が今、流人はたまらなく面白いのだ。
それで、自分から引き抜いたものであるが、どうやって元に戻したものかわからない角刀を使った素振りを試してみているのだ。
使い心地は最高だった。まさに自分の手足の延長のように振るうことができる。
そんな風に素振りをし、一通り満足して流人が手を止めたときであった。
屋敷の修築のために屋敷内に入っている職人と思しき男が、三人ばかりこちらにやって来る。
一体何の用かと流人が見ているうちに、その三人の男はエリザベートに向かって恐縮したように頭を下げる。
「・・・・すいやせん、お嬢様。お寛ぎ中のところ、大変申し訳ないんですが、ちょいと見ていただきたいものがあるんですが・・・・」
「・・・・・あの・・・えと・・・工事のことでしたら・・・・その・・・父に聞いていただかないと・・・うんと・・・わからないんですが」
エリザベートは相変わらず見知らぬ職人に人見知りして、つっかえつっかえ答える。
「いえね、公爵閣下のご令嬢はとても博識だと聞いたもんですから、俺らじゃ今一つ何なのかわからない物がありやしてね、一つ判じていただこうかと、こう言うわけでして・・・・」
つまり、職人たちでは何だかわからないものがあるので、エリザベートに鑑定してほしいというお願いだ。
実のところ、こういうことは珍しくないらしい。
この世界の文明レベルでは明らかに作れない流人のいた世界由来の道具、つまり場違いな工芸品が見つかって、それをエリザベートが判じるということはたまにあるという。
大抵は壊れて使えないガラクタだが、中にはきちんと使える道具もあるらしい。
どういう経路で持ち込まれたものかわからないが、そんなオーパーツがまた見つかってエリザベートにその判断をしてもらいたいというお願いのようだ。
今のところ職人たちに怪しい素振りはない。
本当に何だかわからないものが出で困っているという様子だ。
だが、流人にはなぜかぴんと来るものがあって、男たちに声をかける。
「それは、俺も付いて行ってもいいのかな。その何が何だかわからない物に、すごく興味があるんだ」
男たちは一瞬戸惑ったようにお互いを見交わしたあと、愛想よく流人に応えた。
「ええ、ええ。構いませんよ。お坊ちゃんも一緒にあれが何なのか判じて貰えれば、こちらも助かるってもんで」
流人がわざわざ付いて行ってもいいか確認したことに、今度はリーズフェルトがぴんときたようで、リーズフェルトも男たちに声をかける。
「私も姫様の側使えとして同行します。構いませんね」
「ええ、そりゃあもう、構いやしませんよ。どうぞ付いて来て下さい」
男たちは今度は戸惑うこともなく、即決で答える。
男たちが先に立って、流人たちを案内して歩き出す。
流人たちはその後を無言で付いて行く。
その場所は屋敷の奥まった人気のない場所のであった。
植え込みに周りを囲まれた人目つかない場所で、今回の修築工事の現場ではない。
「・・・・あの・・・・何かわからないものっていうのはどこ―――」
そうエリザベートが聞きかかった瞬間にはもう流人は動き出していた。武器を手にして流人たちの背後に現れた影に素早く躍りかかる。
流人の動きに一瞬反応が遅れた襲撃者たちは、流人の角刀の一撃をなす術なく受ける。
一人が肩に角刀を受けて、もんどりをうって倒れたのを皮切りに次々と襲撃者たちは打ち倒される。
「《風烈波》!」
リーズフェルトは流人たちを先導して来て、こちらを振り返って隠していた武器を構えた職人風の三人の男に容赦なく魔法をぶつける。
エリザベートの命を狙って襲いかかるはずの男たちが、逆に流人たちに襲いかかられてばたばたと倒れていく。
襲撃者たちが鎮圧されたのはそれからほどなくのことだった。